PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

なぜ、歴史を書くのか。
なぜ、世界史なのか。
ちくま新書『人類5000年史Ⅰ―紀元前の世界』に寄せて

PR誌「ちくま」12月号より出口治明さんのエッセイを掲載します

「保険会社の人が、なぜ歴史を書くのですか」「大学で歴史を専攻したのですか」などと聞かれることが多い。僕は、歴史書を含め読書が大好きなだけで、大学での専攻は人権(憲法)だった。正直に告白すると、歴史書を書くようになったのはツイッターのおかげである。
  僕は、還暦を過ぎてからライフネット生命を開業した。まだ売り上げが一〇〇億円をわずかに超えた小さなベンチャー企業である。若い社員には、「大手生保のできないことをやる以外に、ベンチャー生保の生き残る道はない」と口癖のように話していた。ある日、若い社員が僕のところに来て「今日から、ツイッターを始めてください。生保や銀行のトップでツイッターをやっている人はいません。差別化ができますよ」と指示された。有言不実行は嫌なので、恐る恐るツイッターを始めた。
 その直後、京大の友人から「教養学部でイスラム史を講義してほしい」と頼まれた。友人は、僕が歴史オタクであることを知っていたのである。そのことをツイッターで呟いたら、「僕たちも聞きたい」という反応があった。「じゃあ講演会を企画してください」と返したら、瓢箪から駒でイスラム史講演会が実現してしまったのである。主催者の若者が熱心で、歴史をテーマとした講演会が継続して年に二、三回行われることになった。
 参加者の中に出版社の方がおられて、「話が面白い」と言ってくださって歴史の本が生まれた。それが、いくつかのテーマ毎にまとめた『仕事に効く教養としての「世界史」』(祥伝社)で、幸いにも好評を博したので、歴史の本が何冊か世に出ることになったのである。
 そして昨年には『「全世界史」講義Ⅰ、Ⅱ』(新潮社)という通史を出版したが、読者の皆さんから「もっと詳しい通史の物語を読みたい」という要望をたくさんいただいた。それに応えて書き下ろした第一巻が本書というわけである。紀元前の約三〇〇〇年間(BC三五〇〇~BC一年)を一冊にまとめた。
 次に、「なぜ、日本史ではなく世界史なのですか」ともよく聞かれる。私見では、「極論すれば、日本史はない」と考えている。それは次のような意味だ。
 僕はペリーの来航について中学校で「捕鯨船の食料や燃料の補給を求めて来日した」と習った記憶がある。しかし、これは史実ではない。当時のアメリカは、大英帝国と豊かな中国市場を巡って争っていた。ペリーはアメリカ東海岸のノーフォークから出港し、ヨーロッパ、喜望峰、インド、中国を経由して来日した。この航跡からも明らかなように、アメリカには大西洋を横断する船賃が必ず加算されるので、中国市場を巡る戦いにアメリカが勝利を収めようとすれば、太平洋航路を新たに開拓する以外に道はないのである。ペリーは、アメリカでは艦隊派遣の理由としてはっきりそう述べており、捕鯨の話は出てこない。
 つまり、ペリーの来航一つをとっても日本に残された史料を調べるだけでは決定的に不十分で、アメリカ側の史料をも参照しないと来日の真意は掴めないのである。つまり、世界の歴史はすべて繋がっているというわけだ。東京の株式市場の分析を行う場合、外国人投資家の動向を無視した分析が意味を持たないのと同じである。だから世界史なのであって、世界史から切り離された日本史はそもそも存在しないのだ。
 なお、歴史は日々新しい事実が明らかにされているので、執筆にあたっては、できるだけ主観を排して最近の成果を反映するように努めた。例えば、始皇帝の名前は司馬遷の「史記」の叙述に従い「秦王政」と記憶してきたが、近年になって発見された木簡・竹簡には「正」と記したものが多いようなので、本書では気づき効果も期待して「正」を採用した。また、地域間や主な出来事の相互関係が出来るだけ分かるように書いてみた。
 とは言え浅学非才の身。極力、正確を期したつもりだが、多くの点を見過ごしているに違いない。読者の皆さんの、率直で忌憚のないご意見、ご批判を乞い願うばかりである。


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