PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

他人の失敗
失敗について・3

PR誌「ちくま」1月号より藤野可織さんのエッセイを掲載します

 よく失敗する者として、他人の失敗が他人事とは思えない。被害が失敗した当人ひとりで完結するものならまだいい。よくはないが、しかたがない。しかし、誰かに取り返しのつかない被害をもたらしてしまったらどうしたらいいのだろう? そういう事例は、たいていはニュースによってもたらされる。私が特にいたたまれなくなるのは、舌禍、交通事故、子どもの虐待死だ。
 政治家や著名人による差別的な発言には、私だって腹を立てる。私は女性というカテゴリーに属するので、女性を蔑視する発言にはそれなりに敏感だ。怒りや悲しみや抗議の声をあげる人々に賛同し、そうした人々の意見をもっと知りたいと求め、しまいには同化する。それと同時に、なぜあの発言をしたのが自分ではなかったのだろうといぶかしく思う。私の心の奥底にも、女性を蔑む気持ちがひとかけらもないとは断言できないからだ。それは生々しい自傷行為であり、自分以外の者を見下そうと舌なめずりする傲慢さでもある。私は軽率な人間だから、今この瞬間もそれの暴走を許してしまうかもしれない。
 交通事故もおそろしい。事故を起こしたくて起こす人はいない。報道を見るたび、あれを起こしたのは私であってもおかしくなかったのだ、とちぢみあがる。あのように失敗も度を過ぎれば犯罪になるのだ、と自分に言い聞かせる。私の日々のささやかな失敗が積もり積もって地滑りを起こし、日常を破壊するのが目に見えるようだ。
 そして虐待死。おそらく人は誰でも、自分より弱く小さい者に対する暴力的な衝動と、慎重に距離をとって生きている。一人では生きていけない命の全責任を負うことに疲れ果てたとき、その衝動に目配りが行き届かなくなるなんて、容易に想像できてしまう。私は体が大人になったときから、いもしない子に自分がなにかしてしまうんじゃないかと恐れ続けている。
 このようにしょっちゅうびくびくしているので、他人の失敗には寛容でありたいと思っている。もちろん、ちょっとしたものに限る。たとえば、別にどうということもない服を着ているとき、たまたま居合わせた隣席の人に飲み物をかけられるとか。
 ここ数年で、三度、そういうことがあった。一度目は国際線の飛行機で、私は万が一こぼしても被害を最小限に抑えられる飲み物として水を頼んだ。しかし、隣席の人は赤ワインを頼み、そして私に向かってコップを倒した。「イッツオーケー」と私は愛想よく言った。二度目も国際線の飛行機だった。暗闇の中、隣席の人がしきりに私のズボンの太ももを拭いているので目が覚めた。何の飲み物でした?と尋ねると、彼女はすまなそうに「コーヒー」と答えた。またしても私は笑顔で「イッツオーケー」と言ったが、あとでべたべたしていたので砂糖がたっぷり入ったコーヒーだったのだろう。三度目は、映画館だ。映画の序盤で、隣席の人が私の肩から頭にかけてポップコーンを撒き散らし、膝と床にコーラをぶちまけた。その人は自分のしでかしたことに驚き、口も利けないようだった。気持ちはわかる。私はうなずいた。あれらはすべて、私が他人にかけた赤ワイン、砂糖入りのコーヒー、ポップコーンとコーラだったかもしれないのだ。そうでなかったという事実は、思い出すたび私をわりと幸福にする。

PR誌「ちくま」1月号

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