ちくまプリマー新書

「複雑化」を超え、「液状化」する情報とメディア
猪谷千香『ネット時代の情報選別力』「第一章」より

私たちはいつの間にかインターネットと毎日繋がっています。そこにはたくさんの情報が溢れています。その情報に流されたり、惑わされたりしないために大切なこととは何か?2月刊行のちくまプリマー新書『その情報はどこから? ネット時代の情報選別力』の第一章から一部を抜粋して公開します。

 私たちが泳ごうとしてる情報の海はどのようなものなのでしょうか。
 インターネットが登場し、SNSが私たちのコミュニケーションのインフラとなり、スマートフォンでどこからでも簡単に情報を送受信できる今、情報の流れてくる経路は複雑化しています。新聞社とニュースメディアで合わせて記者歴20年となる私でも、これは本当の情報なのか、どこから来たのか、悩むことは毎日のようにあります。合成された画像や巧妙に書かれたデマにうっかりだまされかけたことも、一度や二度ではありません。
 複雑化なんて表現では生ぬるい。情報とメディアは液状化を起こしているといっても、言い過ぎではないと思います。だからこそ、信頼性の高い情報を得ることが今後、ますます大事になってくるでしょう。
 この本では、今、液状化しながら私たちを取り巻いている情報を解きほぐし、どのように振る舞うことが望ましいのか、考えていきたいと思います。それは、「その情報はどこから?」。その疑問を持つことから、始まります。
 かつて、情報が私たちに届く経路はとても単純でした。大きな流れの一つが、新聞、テレビ、雑誌、ラジオという四大メディアでした。これらのメディア、今ではマスメディアとか、新興のネットメディアとの区別から、既存メディアとか言われますが、日々のニュースはここから流れてきていました。
 例えば、新聞はどのようにニュースを作り、流してきたのでしょうか。
 私が育った家には毎朝、新聞が届いていました。ポストまで新聞を取りに行くのが子どもである私の役目で、食卓で祖母や母が新聞を広げていたのをよく覚えています(我が家は二代にわたる母子家庭でした)。その上で、喫茶店とレストランを経営していた祖母の仕事柄、お付き合いで共産党の機関紙「しんぶん赤旗」と創価学会の機関紙「聖教新聞」もごくたまに購読することもありました。まるで、新聞のごった煮です。
 他の新聞は入れ替わり立ち替わりしたものの、朝日新聞と産経新聞が基本。たまに他の全国紙に入れ替わることはありましたが、「色々な角度からニュースを読む」という理由で、必ず二紙は取っていました。日本の全国紙は大きく分けて保守とリベラル、どちらかに軸足を置く傾向があります。
 もしかしたら、どれも新聞は同じに見えるかもしれません。実際、「誰々が逮捕された」「どこそこで大雪が降った」というような、速報に近い「ストレートニュース」はどの新聞も大差はありません。こうしたニュースは主に(例外はあります)社会部の記者が記事を書き、「社会面」と呼ばれる紙面に載ります。「なんとか選手が日本新記録を出した」というようなスポーツ関係の記事だったら、運動部記者の記事が「運動面」と呼ばれる紙面に載ります。私たちが「ニュース」という時、これらのストレートニュースがよりイメージに近いのではないでしょうか。
 差が顕著に出てくるのは、主に一面のコラムや社説、社論の記事、それから「政治面」や「国際面」と呼ばれる紙面です。試しに同じ日に、複数の新聞を買ってみると、たとえば政治や外交問題など、見出しや記事の立場が大きく異なっている場合があります。
 たとえば、2017年1月5日付けの朝日新聞の「社説」は、「南北朝鮮対話 日米と共に事態打開を」というタイトルで、「日米は、韓国への後押しを惜しんではならない。たとえ表向きであれ、北朝鮮が軟化姿勢に転じた動きを逃さず、やがては日米との対話にも広げさせる結束と工夫が求められている」と説いています。一方、産経新聞の「主張」は、「安全保障 「積極防衛」へ転換を急げ 北朝鮮の核危機は重大局面に」というタイトルで、「独裁者による核の脅しにおびえながら暮らす状況は、容認できるものではない。事態を打開し、それを回避することこそ、政治に課せられた最大の責務である」と断言しています。
 記事を書く新聞記者個人の思想は多様なのですが(現に私は保守的と言われる産経新聞の記者をしていましたが、本当に保守的な考えを持っていたかと問われたら、決してそうではないと答えます)、「新聞」という総体としてのメディアになると、その志向は定められてきます。
 また、新聞も朝日や読売、毎日といった全国紙以外にも、ある程度広範囲な地方をカバーする「ブロック紙」や、ある地方の自治体を中心に販売される「地方紙」など、日本には多くの種類の新聞があります。スポーツ専門の「スポーツ紙」、主に通勤中の男性サラリーマンをターゲットにした「夕刊紙」、業界のことを主に報道する「専門紙」や小学生向けの「小学生新聞」もあります。私が勤めていた産経新聞社では、「産経新聞」以外にも夕刊紙「夕刊フジ」やスポーツ紙「サンケイスポーツ」を発行していました。一口に新聞といってもこれだけ多種多様な新聞があり、紙面づくりもそれぞれ違います。
 そうして作られた新聞は宅配制度という、それぞれ購読者の自宅や職場に配達するというスタイルで販売されてきました。安定的に部数を維持するにはとても良いシステムでしたが、購読者側のデメリットとしては、購読している新聞以外の新聞を読む機会が減るということがありました。
 しかし、どの新聞がどういう編集方針のもと、その記事を書いたか、知っておいた方がより深くニュースを読み解くことが可能になります。ニュースを深く読み解くことができれば、私たちの社会で何が起きているのか、知るきっかけになります。
 それは簡単には身につかないかもしれませんが、一面だけでも新聞を並べてみているうちに、少しずつわかってくると思いますので、たとえば図書館に行った際には、それぞれの新聞を「読み比べ」てみることをおすすめします。
 古くは江戸時代に萌芽がみられ、明治から昭和の時代にかけて百花繚乱となった新聞ですが、間違いなく人々にニュースを伝える中心的な役割を長らく担ってきました。ところが、異変が起こります。日本新聞協会の調査によると2017年の一般紙とスポーツ紙の発行部数は42,128,189部で、2000年の53,708,831部から激減しています。
 かつては一世帯につき必ず一部以上は購読されていた新聞が、今は一世帯あたり0.75部にまで減っています。一体、なぜなのでしょう。よく指摘されるのが、インターネットやスマートフォンの普及です。毎月、数千円の購読料を払い、いちいち毎朝ポストに新聞を取りに行き、家族で順番に読まずとも、手の中にあるスマホにはおびただしい数のニュースが24時間、無料で流れているのです。
 ニュースの流通構造は今、激変しています。

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