単行本

 2000年ON日本シリーズ狂騒曲
「20世紀のプロ野球“最後の祭り”」
中溝康隆『平成プロ野球死亡遊戯』より〈試し読み〉公開

今春刊行された〈プロ野球死亡遊戯〉こと中溝康隆の単行本最新刊『平成プロ野球死亡遊戯』より、19年ぶりの顔合わせとなる〈巨人VSソフトバンク〉の日本シリーズ開催を前に、2000年のON対決となった巨人VSダイエーの日本シリーズをぶった斬るコラムを試し読み公開。こんなドタバタな日本シリーズが今開催されたら……。

 長嶋茂雄と王貞治を知らない子どもたち。

 先日、TBSテレビ系列『水曜日のダウンタウン』をなんとなく観ていたら、「日本の
有名人知名度ランキングTOP100」が放送されていた。あらゆる世代に実際にアンケ
ートを取りまくる執念を感じさせるこの企画で、長嶋と王は70代から40代の世代には認知度90%以上と圧倒的に知られていたが、30代は約85%、20代は70%台前半、そして10代の認知度が30%台前半にまで落ち込んでしまっていた。
 そりゃあそうだよな……と思った。あの騒がれた「ON日本シリーズ」はもう19年前の秋。村上宗隆(ヤクルト)や藤原恭大(ロッテ)は2000年(平成12年)生まれ。思えば遠くに来たもんだ。
 2000年と言えば、プレイステーション2や初の内蔵型カメラ付き携帯電話が発売。ドコモのiモード契約数も1000万件を突破して、携帯電話加入者が固定電話を抜いたのもこの年のことである。
 グラビア界では女子大生グラドル眞鍋かをり旋風、野球界ではシドニー五輪において国際オリンピック委員会の方針でプロ選手の出場解禁。ついに日本代表チームも当時プロ2年目の松坂大輔(西武)や全盛期バリバリの黒木知宏(ロッテ)や中村紀洋(近鉄)ら、24名中8名のプロ選手が選出され話題となった。

 そんな20世紀最後の1年は世の中全体が浮かれていた印象が強い。ミレニアム? 2000円札ってなんやねん……みたいなあの感じ。その能天気な雰囲気は翌01年9月にアメリカ同時多発テロが起きるあたりまで続く。
 確か「若者の野球離れ」という言葉が頻繁に使われていたのもこの頃だと思う。サッカー業界は2年後に控えた日韓W杯に向けて盛り上がり、同時期にイタリアセリエAで活躍する中田英寿がペルージャからビッグクラブのASローマへ移籍。プレステのサッカーゲーム『ウイニングイレブン』ブームも絶妙なタイミングで来て、ニッポンは空前のサッカーバブルに突入しようとしていた。
 当時ハタチそこそこの自分もスカパーのアンテナをベランダに設置し、当然のようにWOWOWにも加入し、チャンピオンズリーグ全試合観戦とわけの分からない生活を送っていた記憶がある。正直、野球を熱心に観ていた同世代は周りには皆無だった。
気が付けば20世紀の終わり頃、若者にとってプロ野球は「古さ」と同義語になっていた。って冗談じゃない。50代、60代のオールド野球ファンは「何がサッカーだよ」「中田って若いのは生意気だな」と嘆く。そんな時に実現したのが、長嶋巨人と王ダイエーが対戦するON日本シリーズだったわけだ。
 この瞬間のために故・根本陸夫はダイエー王監督の招聘に動いたとさえ噂される夢のカ
ード。2000年12月に発売されたFOCUS増刊号ではONの全面写真にこんなキャプションが付いている。

「その応対は実にていねいで紳士的だ。ほらっ、近頃のヒーローを思い起こせばすぐわか
る。自分勝手でクールな(横柄な)、闘志あふれる(ガラの悪い)スターはいても、「おとな」ではない。20世紀最後に実現したON日本シリーズの決戦前夜。日本に本物の「おとな」が少なくなった……」

 これを強引に要約すると「最近の若者はけしからん」となる。ヒデ舐めんなよと。ちなみに日本のアスリートで、マスコミを介さず自身の公式ホームページでコメントを発信したパイオニアが98年の中田英寿だ。
 スポーツ選手自ら情報発信できる時代へと突入。こうなると老舗マスコミは当然面白くない。長嶋さんや王さんは自分たちを大切にしてくれたもんだと。メディアと選手の古き良き持ちつ持たれつの関係性をぶっ壊したのが若きヒデだったのである。
 そんな中、久々に野球界が盛り上がる一大イベント。主役は当時60歳の王さんと64歳のミスター。まだ昭和と平成の空気が混在していた00年。まさに昭和のオヤジ系メディアの最後の祭りである。

 今でこそONシリーズは伝説的に語られることも多いが、実際は野球以外で騒がしかった。なにせ「球場が使えない問題」に襲われていたのだ。日本シリーズ開幕は2000年10
月21日(土)、巨人の本拠地東京ドーム。となると土、日はセ・リーグ本拠地。移動日を挟んで火、水、木はパ・リーグ本拠地というのが当然の流れ……のはずが、なんと福岡ドームは週のど真ん中10月24日、25日の2日間に渡り、球場を日本脳神経外科学会に貸し出していたのである。
 今だったら炎上必至の超ミステイク。3年前の97年にドーム側が球団の許可なく承諾してしまったのが真相だったが、本拠地にも関わらず事実関係の発見が遅れたダイエーサイドにはNPBから制裁金3000万円が課せられた。
 ソフトバンクが約870億円でヤフオクドームを買収した現在からは考えられない、ダイエー球団のユルい経営姿勢。これにより、日曜日の22日東京ドームで第2戦を行い、23日(月)は移動日なしの福岡で3戦目開催の強行スケジュール。24、25の両日は試合なし。中2日空けて、26日(木)の第4戦から再開して、翌日の第5戦後は再び移動日なしで週末の東京ドーム第6戦へ。
 もはやなんだかよく分からないこの超変則スケジュールの影響を受けたのはやはりプレーする選手だろう。ダイエーは敵地で2連勝スタートをするも、その後4連敗でジ・エンド。本拠地のアドバンテージをほとんど生かせず終戦。仮に通常通りに開催できていたらまた違った結果になっていたかもしれない。

 結局、4勝2敗で巨人が日本一に輝き、MVPは打率・381、3本塁打、8打点の活躍で"ミレニアム打線”の4番を張った松井秀喜。敢闘賞は3試合連続を含む4本塁打を放ったダイエーの柱・城島健司。この数年後に両者はメジャーリーグへと移籍していく。
 テレビ視聴率も第6戦で36・4%を記録。なにせ両軍ベンチには戦後プロ野球を背負っ
たミスターと世界の王。80年代から90年代にかけて黄金時代を築いた西武ライオンズの中心メンバー秋山幸二がダイエー、清原和博と工藤公康が巨人に在籍。大型FAと逆指名ドラフトのピークを象徴するかのように、のちに侍ジャパンを率いる小久保裕紀、最後の三冠王・松中信彦、現ロッテ監督の井口資仁がスタメンに名を連ね、巨人には元広島の4番バッター江藤智や、まだ20代中盤の若き高橋由伸、上原浩治、二岡智宏ら錚々たるメンツが顔を揃えた。
 まるで2000年の日本シリーズは世代を超えた超豪華な「20世紀NPBオールスター」である。逆指名ドラフトが終わり、有力F A選手はこぞってMLBを目指す昨今の移籍市場の流れを見ても、あれだけの豪華メンバーがひとつのチームに集結することは今後しばらくないだろう。

 日本球界の、そしてONとともに生きたメディアとオールドファンの最後の祭り。祭りのあとで翌01年、長嶋茂雄は巨人監督の座を自ら降りた。ひとつの時代が終わり、同時にプロ野球界の21世紀が始まったのである。


【2000年巨人ミレニアム打線】
1番 仁志敏久(二塁/29歳) 打率・298 20本 58点
2番 清水隆行(左翼/27歳) 打率・271 11本 46点
3番 江藤智(三塁/30歳) 打率・256 32本 91点
4番 松井秀喜(中堅/26歳) 打率・316 42本 108点
5番 清原和博(一塁/33歳) 打率・296 16本 54点
6番 高橋由信(右翼/25歳) 打率・289 27本 74点
7番 二岡智宏(遊撃/24歳) 打率・265 10本 32点
8番 村田真一(捕手/37歳) 打率・204 7本 34点
※マルティネス(35歳) 打率・288 17本 64点

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