ちくま文庫

人生に必要なことはすべて〝平成プロ野球〟に教わった

ちくま文庫『プロ野球新世紀末ブルース』自著解題

4月刊行の『プロ野球新世紀末ブルース』より、著者・中溝康隆さんに本書のテーマとなる自身の過ごした〈平成〉という時代、また〈平成プロ野球〉と本書の魅力を語ってもらいました。【PR誌「ちくま」5月号より】

 
 なんでもないようなことが幸せだった、平成プロ野球。

 今思えば、90年代の球界は平和だった。毎晩巨人戦ナイターが地上波テレビ中継されることが当たり前で、各メディアにもプロ野球情報が溢れていた。野茂英雄がドジャースで活躍しても、海の向こうの大リーグはまだどこか他人事だ。長嶋巨人、野村ヤクルト、星野中日、森西武、仰木オリックス、王ダイエーらビッグネームの監督たちがしのぎを削り、イチローや松井秀喜といった若きニュースターが生まれ、グラウンドには各局の看板女子アナが集結する。僕らのプロ野球は、まさに〝国民的娯楽〟だった。
 毎日の時間割は国語算数理科野球……、あの頃の子どもたちにとってプロ野球は人生の教科書である。こだわるのはクレジットカードのグレードより野球カードのレア度。放課後は草野球やクラスメートの家に集まり『ファミスタ』対決に燃えた。とんねるずの番組と『少年ジャンプ』の内容とペナントレースの結果が、毎朝の教室で交わされる挨拶がわりの会話だった。

 それにしても90年代の長嶋巨人人気は凄まじかった。当時の新聞や雑誌を確認すると、バブル崩壊後の暗いニッポンを明るくするのはミスターしかいない……という論調だ。その愛弟子のゴジラ松井は『週刊現代』93年1月1日・9日号で、なんと篠山紀信が撮影する巻頭カラーグラビアに登場。宮沢りえ、牧瀬里穂、観月ありさの〝3M〟ではなく、まさかのもうひとりのM=松井秀喜を激写だ。熱撮タイトルは「松井秀喜と北陸の海」。冬の海辺でバットを構え、「お母さんのつくる魚料理が一番うまい」なんてほのぼのと自宅でくつろぐ松井とゴジラママ……ってもうわけが分からない。冷静に考えるといまいち意味不明。いつの時代も、それこそ社会的ブームの証明である。
 なのに21世紀が始まる頃には、ファミスタ育ちの僕らも進学や就職で生活環境が変わり、自然とプロ野球との距離感も変化した。坊主頭を卒業してベッカムヘアに。集まって遊ぶのは『パワプロ』から『ウイイレ』へ。合コンの男側席はフラットスリーのフォーメーションでキックオフ。日韓W杯にみんなで盛り上がっていたら、ふと気が付くとイチローもゴジラ松井も立派なメジャーリーガーだ。近鉄が消滅した球界再編もどこか遠い世界の出来事に思えたものだ。いつからだろう? プロ野球の若手選手が自分より年下になっていたのは……。

 喧噪の青春時代が終わり、ようやく仕事も落ち着き、久々に東京ドームへ行くと風景は激変していた。代表チームで一緒になるトップ選手たちは球団間の垣根を越え談笑し、女性ファンも増え、乱闘はほぼなくなり、グラウンド上から殺伐さは消えた。家のテレビで見ようと思っても、地上波ではなくCSや動画配信サービスと契約しなければならない。寂しさがないと言ったら噓になるが、松坂世代の〝平成の怪物〟が酸いも甘いも経験したように、プロ野球にも色々あったのだろう。
 なにはともあれ、昔好きだったあの名選手が監督やコーチになってグラウンドに戻り、僕らもここに帰ってきた。令和の今、大人になり、コロナ禍の生活とプロ野球に向き合っている。プロ野球は時代を映す鏡だ。いまや働き方が変わり、飲み会は減って、打ち合わせもリモートですませることが当たり前になった。球場ではマスク着用のまま座り、声出し声援はNGだ。まだすべてが元通りになったわけではない。でも、プロ野球がある毎日に安堵する。そう、子どもの頃と同じようにだ。
 ファンタ片手に見たブラウン管の向こう側の原辰徳のホームランやチャンスでのポップフライは、甘酸っぱい少年時代の記憶そのものである。この本は、そんな日常に根付いていた「あの頃のプロ野球」を書いたつもりだ。20世紀末から21世紀の初頭にかけて、ニッポン国民みんなでワリカンしたプロ野球。当時の空気感、なによりテレビの前の熱狂や、球場の狂熱が読者の方々に伝われば嬉しい。
 

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