僕は自分をずっと起業家でなくフォロワーだと思ってきた。どちらかというと今もそう思っている。2019年秋までパタゴニアというアウトドア衣料ブランドで20年間働いた。「社員をサーフィンに行かせよう」という経営哲学は最高だったし、「遊ばざるもの働くべからず」という企業文化も魅力的だった。何より、「故郷である地球を守るためにビジネスを営む」というミッションが全ての経営判断と決断の礎になっていたことは、自分の価値観を深く磨いてくれた。だから、その日本支社の責任者という役割に就いた最後の10年間は、ミッションの実現に貢献したい一心で仕事に打ち込んだ。その成果の一つとして、組織が自分のマネジメント能力を超えるほどに大きくなり、器の限界を自覚して退任した。
僕はパタゴニアという理想の企業と巡り合い、長きにわたってそこで過ごすことが出来た。けれども、誰もが天職だと思える職場と出会う幸運に恵まれるわけではないし、僕にしたって、それは人生の一定期間のことに過ぎない。事実、今の僕はこれからどうやって生きようかと思案しているところだ。そんな時に、ふと、匝瑳(そうさ)市で初めて髙坂さんとお目にかかった時の、飄々としつつも、凜とした表情と佇まいを思い出し、改めて本書を手に取ってみた。
最初に読んだ時、僕の印象に残ったのは、社会のあり方についての髙坂さんの鋭い分析だった。僕の父は、12歳で終戦を迎え、焼け野原だった東京に移住した。疎開先の福島にいた頃の記憶は空腹に関することばかりだと言う。そんな、「今」を生きることが物理的に難しい時代、国をあげて定量的な価値を追い求めたことは、至極当然の成り行きだったと思う。その恩恵を僕も、髙坂さんも、たっぷり受けて大人になった。しかし、戦後の復興を経た日本は経済的には豊かになり、もはや未来のために今を犠牲にして生きる必要はない。髙坂さんも触れている通り、戦勝国アメリカでは、僕が生まれた1968年にロバート・ケネディがGDP(国内総生産、当時はGNP〔国民総生産〕)について言及している。「GNPは全てを測ることが出来るが、それは人生を価値あるものにしてくれる以外のもの全てだ」。この演説に深く共感していた僕は、GDPを真っ向から否定する髙坂さんの歯切れの良い言葉にうなずきながらこの本を読み進めた記憶がある。
そして、今、いわゆる無職になった立場で髙坂さんの言葉を追い直してみた。すると、どうだろう。以前とは全く違うメッセージが次々に目に飛び込んできた。そして、読み終えた後に残ったのは、まるで髙坂さんが、あの柔和な表情で背後から暖かく見守ってくれているかのような安心感だった。
生活に疑問を持ち、幸せな生き方を模索する人々にとって、こんなにも親身に道を示し、背中を押してくれる本はあるのだろうか。ただの「べき」論ではなく、ご自身の経験を元にした血の通った経験論でもあり、知人や友人たちの生き方の転換をきめ細かく紹介してくれる個性溢れる人生論でもあり、それらを体系的に整理した実践的な方法論でもある。だからこそ、本書が、都市生活に疲れ、生きる目的を模索している方々の手に渡ることを強く願う。
戦後の復興という大きな流れの中で形作られた日本の都市は、効率性と画一性を重視して設計されている。そんな空間では、誰もが他者と同じが良いという同調圧力を受けることになりがちで、本当の意味で個性豊かに生きることは容易ではない。だからこそ、髙坂さんが言う通り、自然豊かな田舎に行くことで自分らしさが見つかることが多いのだと思う。自然に囲まれていれば、都市のような予定調和では生きていけない。自然には自然のリズムがあって、人間の都合には合わせてくれないからだ。農業や漁業に携わればなおさらのことだろう。だからこそ、田舎に生きることは、今その瞬間を大切にすることであり、多様性やその人らしさが価値を持つ、都市とは違った未来への扉に繋がるのだろう。同時に、もともと地方に生まれて育ったものの、なんとなく自分の田舎に誇りが持てない方々がいるとすれば、そういう皆さまにも読んで欲しいと願う。自然資本や関係性資本の豊かさに気づかず、都市の追従をして個性と自信と生活の手段までをも失っていく地方があまりにも多いからだ。
僕自身はと言えば、定職を持たない身分となった今、改めて本書を読んでみて、フォロワーとしてではなく、これまでの経験を活かして自分なりのナリワイをスタートしてみようかという気に、かなり本気でなってきた。半農までは無理でも、少しくらいは自給して人間としての自信もつけたいという色気も出てきた。この文庫版によって、背景や立場は違っても、僕と同じように背中を押されて、新しい第一歩を踏み出す仲間が増えることをお祈りして、拙い解説に代えさせていただきます。
2019年12月
旅先の、電気もガスも水道もないパプアニューギニアの漁村にて