ちくま新書

中東で起きていることを「理解する」ために

2020年9月刊、末近浩太『中東政治入門』(ちくま新書)の「はじめに」を公開いたします。戦争が絶えず、宗教が複雑に絡み合い、「理解する」のが難しく感じられる中東。「イスラーム国」「アラブの春」「パレスチナ問題」…それらは「なぜ」起こったのか? 本書を読めば、さまざまな事件・事象の「理解」に近づくことができます。まずは、ここに公開する「はじめに」をお読みください!

†課題としての中東

 中東は難しい。そう感じている人は、少なくないであろう。戦争や内戦が絶えず、民族や宗教の問題が複雑に絡み合っている。加えて、石油や天然ガスをめぐる国際的な争奪戦が問題をさらにややこしくしている ―― 中東に対するイメージは、概ねこんなところであろうか。

 確かに、過去10年あまりを振り返ってみても、2010年末からの民主化運動「アラブの春」、シリア、イエメン、リビアでの凄惨な紛争、アル=カーイダや「イスラーム国(IS)」といった過激派の勃興、イランとサウジアラビアの国家間対立、解決の糸口すら見えないパレスチナ問題やクルド問題など、中東は常に不安定なままである。

 さらにその不安定は、中東という地域の内側に留まらない。中東で急増した難民が流入したヨーロッパ各国では、排外主義や偏狭な民族主義(ナショナリズム)の台頭が見られるようになった。2017年のドナルド・トランプ大統領就任後のアメリカは、過激派組織に対する「テロとの戦い」を続けるだけでなく、核開発疑惑で揺れるイランとの対決姿勢を強めた。そして「イスラーム国」は、中東だけでなく欧米諸国の内部にもシンパを増やし、東南アジアやアフリカの一部の国に拠点を築くまでとなった。

 このように、中東で起こっていることは、グローバルな広がりを見せ、いまや世界全体の趨勢を左右するものとなっている。だとすれば、日本にとっても、もはや対岸の火事ではなく、その理解に努めていくことは、いまや喫緊の課題となっている。

†日本と中東

 実は、日本にとっても、中東は身近な存在になりつつある。

 第一に、グローバル化の影響である。日本から中東各国を訪れる人びとの数も、中東各国から日本を訪れる人びとの数も増えている。また、情報通信技術(ICT)の急速な発展によって、かつては難しかった中東各国のメディアへのアクセスもずいぶん簡単になった(逆に、サブカルチャーを中心に、日本のことが中東の人びとに広く知られるようになったことも強調しておきたい)。

 第二に、中東での出来事それ自体の日本への波及である。ここ数年、日本政府や国民が中東の不安定に実際に巻き込まれる事案が発生し続けている。中東各国に渡航・滞在している日本人が事件に巻き込まれたケースとしては、2012年と15年のシリア、2013年のアルジェリア、2015年のチュニジアで起こった拉致や殺害事件が記憶に新しい。特に、2015年初頭に露見したシリアでの「イスラーム国」による邦人誘拐脅迫殺害事件は、日本政府の対中東外交のあり方だけでなく、それまで長らく過激派と無縁だと思われてきた日本社会を震撼させた。

 第三に、日本による中東の「平和と安定」への貢献の拡大である。その是非についてはさまざまな議論があるが、1991年の湾岸戦争、そして、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件(以下9・11事件)を経て、日本は、外交努力の強化の他に、ペルシア(アラビア)湾、インド洋、イラク、ソマリア沖海域への自衛隊の派遣を行ってきた。近年では、アメリカとイランとの間の対立が激しさを増すなか、日本は、緊張緩和のための仲介外交を展開したり、ペルシア湾における船舶の航行の安全を確保するための独自の取り組みを行うようになった。

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