筑摩選書

盆踊りの変遷から見えてくるもの

敗戦、高度経済成長、ニュータウンの造成、バブル、地域の高齢化・過疎化、東日本大震災、コロナ禍… 大石始『盆踊りの戦後史』(筑摩選書)を読むと、そんな戦後日本社会やコミュニティの変遷が見えてきます。 コロナ禍によりほとんど盆踊りが開催されなかった2020年の最後に刊行さる本書が問いかけるものとは? まずは「はじめに」をお読みください。

 2000年代以降、盆踊りがコミュニティーのなかで果たす役割について、世間の関心が高まったことが二度ほどあった。
 ひとつは2011年の東日本大震災、もうひとつは2020年の新型コロナウイルスの感染拡大時だ。東日本大震災ではコミュニティーを結び直す力が見つめ直され、コロナ禍では多くの盆踊りが中止となったことから、かえって「なぜ私たちは盆踊りをやるのか」という基本的な動機が見つめ直された。
 盆踊りとひとことで言っても地域によって様式や背景は異なるが、いずれの場合も社会のなかで一定の役割を持ち、だからこそ盆踊りは長いあいだ続けられてきた。大震災および世界的な感染症の流行という緊急事態のなか、伝統行事であると同時に、地域のコミュニティー活動でもある盆踊りが古くから担ってきたものについて、改めて考えさせられることになったのだ。
 では、盆踊りとは社会のなかでどのような意義を持ち、どのように社会を変えてきたのだろうか。本書では盆踊りの変遷を振り返りながら、地域コミュニティーのあり方が激変している現在、盆踊りがどのような力を持ち得るのか、その可能性についても考えてみたい。

 本書で軸足を置くのは、戦後以降の盆踊りの変遷である。盆踊りは戦後、社会の移り変わりと共に変容を重ねてきた。伝統的なものであろうと非伝統的なものであろうと、それ以前とまったく同じスタイルを継承しているものはほとんどないといってもいい。
 そうした変容を後押ししたもののひとつが、レコードが普及し、再生機器が安価になったことだ。そのことによって必ずしも特別な技術を持った音頭取りや太鼓奏者がいなくても、盆踊りを簡単に開催できるようになった。高度経済成長期に入るとそれまで盆踊りの習慣がなかった地区や、団地やニュータウンのような新しいコミュニティーでも次々に盆踊りが始められるようになった。新たに立ち上げられたそうした盆踊りは、やがて地域の「新しい伝統」になっていった。
 そうした非伝統的な(あるいは「新しい伝統」としての)盆踊りのサンプルとして、幼少時代における僕の盆踊り体験について綴ってみよう。

 僕の父は京都出身、母は東京の出身で、僕自身は母の実家にも近い東京都豊島区の雑司が谷で生まれた。両親は終戦直後に生まれた団塊世代。1975年に生まれた僕は団塊ジュニアの世代にあたる。わが家は僕が物心つく前に埼玉県上福岡市(現・ふじみ野市)に移り、両親はほどなくして同じ埼玉県の川越市の外れにマイホームを建てた。
 大型トラックが排気ガスを撒き散らしながら走り抜ける国道16号線沿いのその地域は、数世代にわたって住み続けている旧住民と僕らのような新住民が共存する、いわゆる混住化地域だった。子供同士では両者の間に何ら障壁はなかったが、都心で働く父親が旧住民の男たちと接点を持つことはほとんどなかった。一方、母は旧住民のコミュニティーとなんとかうまくやろうとしていたが、いまから思い返してみると、母親が日常的に親しくしていたのは新住民の母親たちであって、子供の目から見ても、母親と旧住民の間には超えることのできないボーダーラインがあるように思えた。川越に移ってからしばらくすると、両親は父方の祖父母を京都から呼び寄せて3世代の同居生活が始まった。
 僕が住む地域でも、夏になると近くの集会所で小さな盆踊り大会が行われた。川越では巨大な山車(だし)が練り歩く川越まつりが開催されているが、僕らのような川越の外れに住む新住民は、伝統ある川越まつりの部外者に過ぎなかった。集会所で行われていた盆踊り大会とは、地域の祭りに参加することのできない新住民たちと古くからの旧住民が共同で運営する、あまりにもささやかな「自分たちの祭り」だったのだ。
 母親たちは焼きそばやフランクフルトを出す店を取り仕切っていたが、それは川越まつりに立ち並ぶ露店の素朴なコピーでもあった。ボロボロのホーン・スピーカーからはひび割れた音で「アラレちゃん音頭」や「ドラえもん音頭」がかかっていて、子供たちはダラダラと踊りの輪を回り続けた。小学生だった当時の僕にとっては、活気のない盆踊りよりもゲームやテレビのほうが断然おもしろかったのだろう。小学校も高学年になると、集会所の盆踊りに足を運ばなくなった。中学からは東京多摩地区の学校に通い始めたこともあって徐々に地元の友人たちとも疎遠になり、やがて両親も川越を離れて都心のマンションに移り住んだ。

 そんな僕が盆踊りの世界にのめり込むようになったのは、30歳を過ぎてからのことだった。西馬音内(にしもない)盆踊りの幽玄さ。阿波おどりの熱狂。郡上(ぐじょう)おどりの高揚感。すべてが美しく、惚れ惚れするような風格があった。どこにも地元といえる場所のない自分にとって、歴史ある土地に根付いた盆踊りの数々はあまりにも眩しく、そのリズムに飲み込まれることに喜びと快感を覚えた。
 だが、この日本列島にはそうした歴史ある盆踊りと同じぐらい、僕が幼少期に体験したような盆踊りが各地で行われている。そこでは安っぽいサウンドシステムから雑音まみれのアニソン音頭が流れ、浴衣を着せられた子供たちが見よう見まねで身体を揺らす、不恰好なダンスフロアが広がっている。歴史的な厚みや伝統文化としての風格とは無縁。コミュニティーの結束力もなく、やがて違う土地に移り住むであろう家族による、その場かぎりで薄っぺらい盆踊り大会だ。
 そういった盆踊り大会は非伝統的かつ素朴なものであるがゆえに、その意義について語られることはほとんどない。だが、そうした盆踊りにもまた、なんらかの役割があったはずだ。だからこそ、非伝統的な盆踊りはいつのまにか地域の「伝統」になり、数十年にわたって続けられてきたのではないだろうか。

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