短短小説

ちくま文庫のロング&ベストセラー『うれしい悲鳴をあげてくれ』の著者であり、作詞家・音楽プロデューサーのいしわたり淳治による書き下ろし超短編小説の連載企画!!

「オハヨウゴザイマス。午前七時ニナリマシタ」
 前夜に告げた起床時間に人工知能を内蔵したベッドが喋り出した。ゆっくりとベッドが腰の辺りから折れて持ち上がり、否が応でも体が起こされて行く。そのおかげで絶対に二度寝は出来ない。座布団ほどの大きさの室内用ホバーボードが床を滑って現れ、足元で停まった。
「洗面所ヘ、オ連レシマス」
 眠い目をこすってホバーボードに乗ると、一歩も歩くことなく洗面所へ辿り着いた。
「洗顔ト、歯磨キヲ、開始シマス」
 洗面台に向かって前屈みになると、機械のアームから自動的に洗顔液が顔に塗布された後、水が吹き付けられ、仕上げに温風で自動乾燥が行われる。同時に口の中には薬液が流れ込み、口内の洗浄が行われる。顔を上げて鏡に自分の顔を映すと、ピピッという電子音と共に赤外線レーザーが上下しながら顔をスキャンして、今朝の容姿の状態が自動解析される。
「寝癖直シト、髭剃リヲ、開始シマス」
 洗面台の鏡が開いて中から出て来たヘルメット状のカプセルが、すっぽりと頭を包み込んだ。カプセル内部でスチームや整髪料が噴霧され、ヘアスタイルのセットが自動的に行われていく。自動シェーバーによって髭を剃られ、数分後カプセルが外れて再び洗面台に格納されると、すっきりした顔が鏡に映っていた。
「続イテ、朝食ノ時間デス。ダイニングヘ、オ連レシマス」
 またホバーボードが現れ、慌ただしく連れ去っていく。
「ピ、ピ、ピピピ。心拍数、血圧、異常アリマセン。ビタミンB群ガ、欠乏シテイマス。朝食ニ、改善メニューヲ、追加シマス」
 ホバーボードに内蔵されたセンサーが足の裏から健康状態を読み取り、自動調理器へとデータを送信した。ダイニングに到着すると、キッチンの方から機械の声がする。
「オハヨウゴザイマス。今朝ノメニューハ、野菜風スープ、果実風ジュース、トースト風固形物、デス。ビタミンB群ノ欠乏改善ノタメ、ジャム風調味料ガ追加サレテイマス」
 人工知能を内蔵した自動調理器がメニューを説明した。
 キッチンの自動調理器はダイニングテーブルとベルトコンベアで連結されている。ガタガタとコンベアが回り出し、朝食が載って出て来た。
「出勤予定時刻マデ、アト二十五分デス。十分以内デ朝食ヲ食ベ終エテクダサイ」
 塩分や糖分、栄養バランスの整えられた化学物質を混ぜ合わせた料理を胃に流し込む。壁のモニターにニュースが映し出されている。ざっと眺めたが、特に気になるニュースはない。平和な世の中なのだ。
「ごちそうさま」
 あっという間に食事が終わり、コンベアに空の食器を載せると、コンベアが回り出して食器が回収されていく。間髪を入れずにまたホバーボードが足元まで駆けつけて喋り出す。
「クローゼットへ、オ連レシマス」
 クローゼットに着くと、自動的にハンガーがガチャガチャと回転して、グレーのスーツ、白いシャツ、青とシルバーのストライプ柄のネクタイが出て来た。
「本日ノ気候、本日ノ仕事、本日ノラッキーカラー、ヲ考慮シテ、本日ノアナタニ適シタ服装ヲ選ビマシタ」
 当然のようにクローゼットにも人工知能が内蔵されており、その日の予定に適した服装を自動で選んでくれる。
「そういえば、スケジュールに書き忘れていたんだけれど、今夜、仕事終わりに女の子とデートをするんだ」
「デートノ、相手ハ、誰デスカ」
「隣の部署の前田さんって、女性なんだけど」
「少々、オ待チクダサイ……」
 人工知能が黙り込み、ネットワーク上で何かを検索している。
「ソノ方モ、今夜ノ、アナタトノデートニ、期待シテイルヨウデス。先方ノクローゼットモ洋服選ビニ、時間ガ掛カッテイマス。先方ノ嗜好ヲ、考慮シテ、洋服ヲ、再選択シマス」
「ああ、頼むよ」
 選ばれていた服が引っ込み、再びハンガーが回転し始めた。
「再選択ガ完了シマシタ」
 差し出された濃紺の細身のスーツ、ブルーのストライプのシャツ、赤いネクタイを身につける。鏡に映った姿を見て頷いた。
「うん。清潔感もあって、なかなかいいんじゃないか」
「出勤予定時刻マデ、アト五分デス」
 クローゼットが靴と時計と鞄を差し出した。
「どれどれ。うん、いい感じじゃないかな。どうだい?」
 全てを身につけてクローゼットに訊ねる。
「トテモ良イト思イマス。本日モ、ドウゾ良イ一日ヲ」
 クローゼットが閉まると、ホバーボードが玄関へと走り出した。
「イッテラッシャイマセ」
「いってきます」
 玄関の外に出ると、スタンバイしていた自動運転カーのハッチが開いて、話しかけて来る。
「オハヨウゴザイマス。本日モ会社マデ、安全運転デ、オ届ケイタシマス」
「ああ、よろしく頼むよ」
 乗り込むと、自動運転カーは音もなく走り出し、透明なパイプ状の道路の中を滑るように進んで行った──。


「オ客様、先程カラ浮カナイ顔ヲ、ナサッテイルヨウデスガ、何ノ本ヲ、読ンデイラッシャルノデスカ」
「これか? 私の親が幼い頃に読んでいたSF小説らしいんだよ。昨日、本棚の奥から見つけてね」
「ピ、ピピ。ソレハ、今カラ五十年前、一九八〇年発行ノ人気SF小説シリーズ、デスネ」
 朝、自動運転タクシーに乗って読書をしていると、スピーカーから人工知能が話しかけて来た。車内に搭載されたカメラのレンズに向かって背表紙を見せると、発行年を言い当てた。
「ああ。しかし、洗顔も髭剃りも料理もすべてロボットがしてくれる時代が、こんな風だと思っていたなんてなあ。まったく笑えるよ」
 今は西暦二〇三〇年。乗っているタクシーは、透明なパイプ状の道路などではなく、普通の舗装道路の上を走っている。
「シカシ、色々ナ仕事ガ、ロボットニヨッテ、行ワレル時代ニナリマシタ。当タッテイル部分モ、多イノデハナイデスカ」
「ああ。そうだな。現に、自動運転タクシーに乗っている訳だからな。こんなのは二十年前までは、考えられなかった」
 車窓を流れる景色を見つめながらつぶやいた。歩道を歩いている人はどこにもいない。皆が流線型のヘルメットをかぶり、一人乗りのパーソナルモビリティに乗って移動している。数年前まで人は歩くか、自転車に乗って移動していたが、その光景が遠い昔のように感じる。
「工場生産の野菜が主流になって農業は消えたし、自動制御の養殖技術によって漁業が消えた。コンピューターがコンピューターをプログラムして機械を生産するようになって工業も消えて、自宅でインターネットで勉強するようになって学校も消えた。病院さえもコンピューターが診察して手術までする。今は文字通り〝何から何まで〟コンピューターが仕事をする時代だ。その意味では、このSF小説の世界は、ほとんど当たっているんだ。でも、一つだけ大きな間違いが……」
「ピンポーン。目的地ニ、到着シマシタ。本日ハ、自動運転タクシーヲ、ゴ利用頂キ、マコトニ、アリガトウゴザイマシタ」
「着いたか」
 電子マネーで速やかに支払いを終えてタクシーを降りた。到着したビルの周辺は、今日も中に入り切れず外へ溢れ出した人間たちでごった返していた。
「はあ……。何のために生きているのか分からなくなるよ」
 整理券を奪い合っているのだろう。人だかりでは怒号が飛び交っている。持っていた小説を地面に叩き付け、踏みつけると、溜め息が漏れた。
「いったいこのSF小説の主人公たちは何の〝仕事〟をしていたのだ? この通り〝何から何まで〟コンピューターがやってくれる時代が来てしまったら、人間には、何も仕事など残っていないのだが……」
 意を決して〝ハローワーク〟と書かれたビルの前の人だかりに飛び込んだ。

 

※次回作の第20回「手紙」には、一部歌詞の引用があり権利の関係からこの回に限り2016年9月30日までの公開とさせていただきます。予めご了承ください。第20回以外の作品につきましては、9月30日以降も通常通りご覧いただくことができます。

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