短短小説

第21回 レストラン

ちくま文庫のロング&ベストセラー『うれしい悲鳴をあげてくれ』の著者であり、作詞家・音楽プロデューサーのいしわたり淳治による書き下ろし超短編小説の連載企画!!

 ──ぐうう。
 一人きりの車内に腹の音が響いた。大学時代の友人が九十九里海岸の近くに念願の一軒家を新築したというので、休日に車を運転して遊びに行った帰り道だった。

「帰っちゃうの? うちで晩ご飯食べてってよ」
「いいの、ずいぶん長居しちゃったし」
「全然、気にしないで。もうすぐ旦那も帰って来るし、一緒に食べようよ」
「やだー。帰っちゃうの? もっと遊ぼうよー」
 友人の四歳の娘が人形を持って足元に絡み付いて来る。
「ごめんねー。私、明日までに終わらせておきたい仕事がまだ残ってるし」
「そっか。相変わらず仕事忙しそうね。働き過ぎじゃない?」
「たぶん、好きなんだよね。私、仕事が……」
 これが言い訳なのか本心なのか、最近は自分でもよく分からなくなってきた。忙しいから恋愛が上手くいかないのか、恋愛が上手くいかないから仕事で紛らわしているのか。卵が先か鶏が先か。ただ一つ言えるのは、一秒でも早く、この幸せを絵に描いたような居心地の悪い空間から逃げ出したいということだけだった。
「残念だなあ。身体気を付けてね。もう私たちも若くないんだから」
「そうよね。最近、肩が痛くて。四十肩かな。ははは、嫌になっちゃう」
「前に言ってた彼氏とは、上手くいってるの?」
「ううん。あの人とはとっくに別れちゃった」
「そっか……でも、すぐいい人見つかるよ。昔からモテるもの」
「うん。実は、もう好きな人いるんだ。なーんてね。その話はまた今度。じゃあ、またね。また遊びに来るね」
「絶対だよー。約束だよー」
 娘が小指を立てて見上げている。屈んで目線を合わせて指切りげんまんをしてあげる。立ち上がった瞬間、よいしょ、と口から漏れる。玄関先でいつまでも手を振る友人親子に、とびきりの笑顔でまたねと告げて車を出した。
 細部までこだわりが詰まった素敵な家だった。もうすぐあのリビングの大きな窓に掛かった白いカーテンには、親子三人の楽しそうな生活が影絵のように浮かび上がるのだろう。溜め息が漏れた。

 ──またすぐいい人みつかるよ、って。
 モテていたのは昔の話だ。早くに結婚した彼女は知らないだろうが、生き馬の目を抜く広告業界の第一線でバリバリ働いているアラフォー女子に、世間の男は冷たい。ライバルや戦友みたいな関係がほとんどで、誰も恋愛相手として見てはくれない。この間、初めて婚活パーティーに顔を出してみたが、外見も中身も冴えない、世の中の残り物みたいな男ばかりで、時間を無駄にしただけだった。仕事でいい男をたくさん見ているだけに、ああいうパーティーは酷だ。
 ──ぐううう。ああ、お腹減った。もうここでいいかな。
 国道沿いでひときわ明るくファミリーレストランの看板が光っている。アンガス牛ステーキ&ハンバーグ・フェアと書かれた巨大なのぼりが、ライトアップされて揺れている。でもなあ。せっかく千葉の外房まで来たんだもの。こんな都心でもどこでも食べられるものは嫌よね。何かもっと、この土地ならではの美味しい魚なんかを出してくれる店がないかしら。まだ時間も早いし。時計を見ると午後八時を指していた。
 ──あっ。ここはどうかなあ。
 昭和を感じる薄暗い蛍光灯看板の灯った小さな定食屋が見えた。刺身、煮付け、地魚料理と書かれている。店の前に三台ほど停められそうな駐車スペースがあるが、一台も停まっていない。
 もう閉まっちゃったのかな。いや、まだやってそうね。でもなあ。不味いから空いてるパターンが濃厚よね、この佇まいは。やめとこう。いや、待って。こういう地味な店に限って、味は抜群ってパターンもあるのよね……。
 とか何とか考えているうちに、店はバックミラーの彼方に消えて行ってしまった。ああ、通り過ぎちゃった。まあ、縁がなかったって事で。店なんて、またすぐ何かあるわよ。だって、あの店構えに飛び込みで入るのは難しいわよ。私が悪いんじゃないわ。店側の営業努力が足りないのよ。たぶん、今日まで私みたいな客をいっぱい逃してるのに、店主はきっと気づいてないの。そもそも、マーケティングの大切さってものを昔の人は……。
 ──ぐううう。
 また腹が鳴った。気休めにラジオをつけてみる。普段は耳にしない地元のローカル番組が流れた。とくに内容のないゆるいトークが延々と続いていく。初めはほのぼのとした雰囲気に癒される感覚がしたが、だんだん苛々してくる。
 この出演者たちは、相手に興味を持ってもらうことの難しさと大切さをまったく分かってない。こんなだらだらした話し方じゃあダメよ。不愉快。聞いてくれる人に失礼よ、こんな番組は。こういう、意識が低くて〝なんとなく作られているもの〟を、世の中からなくすために、私は日々、プライドを持って仕事をしているつもり。だからもう、ああ、嫌だ。こんなの許せない。耐えられない!
 ラジオを消して、カーナビのハードディスクに入れてあったテクノ・ミュージックを大音量で流した。車窓を過ぎ去っていく街灯と音楽のビートが、少しの間シンクロしてミュージック・ビデオのように見えた。ちょっとだけ気分が上がった。
 ──あっ。らーめんかあ。いいかも。
 前方にらーめん屋が見えた。黒い外壁で覆われたモダンな店構えが、この辺の店にしては珍しく洒落ている。車の速度を落として近づいていくと、看板の下に〝地元産にこだわった魚介醬油スープ〟の文字が見えた。わお。願ったり叶ったりだ。最近は歳のせいか、脂っこい食べ物が苦手になって来た。この店、いいかもしれない。よし。
 ──カチカチカチ。
 ウィンカーを出して車を駐車場に入れようとした瞬間だった。それまで建物の影になって見えなかったが、店の入り口に十人程度の行列が出来ているのが見えた。うわっ! 慌ててウィンカーを消して、反射的に元の車線に戻った。並んでるの? 何それ。でも私、そこまでして食べたい訳じゃないし。
 日頃から飲食店の行列が苦手だった。待っている間に否が応にも期待が高まって、どんどんハードルが上がってしまうのが嫌いなのだ。そのせいで、例えどんなに美味しくても、どうしても満足出来ない食事になってしまう。
 ──あ、とんかつ屋、見っけ。ぐうう。
 空腹に負けて一瞬、惹かれたが、すぐに冷静に戻った。違う、違う。そうじゃない。探していたのは〝地元の魚〟を出す店だ。しかも、このとんかつ屋は都心でもたまに見かける。チェーン店なのだろう。危ない。そもそも最近は脂っこいものが苦手になってきているというのに。この時間のとんかつは、明日の胃もたれの予約をするようなものだ。落ち着け、私。そのうち、もっといい店が出てくるから。
 ──あっ、お寿司屋さんだ。いいかも!
 小さいが高級感のある佇まいの寿司屋が見えた。そうか。その手があったか。海のものを食べたかったら、寿司に敵うものはない。なぜこの選択肢に今まで気づかなかったのだろう。車の速度を落とした。
 しかし店の前まで行くと、店主がちょうど暖簾を下ろしているところだった。時計を見ると午後八時半を指している。まあ、田舎の店だ。こんな時間に店を閉めてもおかしくはないか。
 ──ぐうううううう。
 ひときわ豪快に腹が鳴った。ちょっと、このままだとやばいかも……。さすがにそろそろどこかに入らなければ。マズい。ここから先は、どんどん店が閉まっていく時間帯ということだろう。
 ハザードランプを点けて車を路肩に寄せ、スマホでグルメサイトを開いた。現在地を入力して、候補に上がって来る店を一軒ずつ開いては閉じる。評価の星の数、場所、店の雰囲気、料理の写真、口コミ、メニュー、営業時間、定休日。なかなか希望に叶う店がない。
 ──へえー。こんな店があるんだ。いいかも。
 現在地からは少し遠いが、地元の食材を使った隠れ家イタリアンで、夜遅くまで営業しているらしい。口コミの評判も良く、書き込みを見ると、リピーターがかなり多いらしい。よし、ここにしよう。本来のルートからは少し逸れるが、背に腹は代えられない。カーナビに住所を入力して、案内を開始した。

 ──五丁目交差点を右です。その先、道なりです。
 無機質な声の案内に導かれて、どんどん寂れた裏通りへと入って行く。こんな所に名店があるのだろうか。期待が不安へと変わってゆく。
 ──目的地、周辺です。案内を終了します。
 えっ? 唐突にナビの案内が終了した。車を止めて外に出てみたが、辺りは静まり返っていて、飲食店のような看板や建物はどこにも見当たらない。
 ──お店、どこ?
 もう一度サイトを開いて地図を確認すると、やはりここを指している。あらためて、目の前のれんが造りの一軒家の表札をよく見てみると、そこに店の名前が書かれた小さな金属のプレートが貼られていた。想像以上の隠れ家風情だった。これは期待が高まる。しかし、店内がやけに暗いのが気になる。今日は定休日ではないし、営業時間もまだ大丈夫なはずだが……。嫌な予感がする。重厚な木製の扉に手を掛けた瞬間、目の前に一枚の貼り紙が見えた。
〝本日は太平洋沖を通過中の台風の影響で、納得出来る食材が手に入りませんでした。誠に申し訳ありませんが、臨時休業とさせて頂きます〟
 ──ぐううううう。
 夜の静寂に腹の音が響いた。天を仰ぐと、無数の星が輝いていた。こんな星空は都心では決して見られない。
「ああああ。どうして! どうしてなの! 私っていつもこう! こんなことなら、あのらーめん屋に並んでいればよかった!」
 悔しくて両腿をばしばしと叩いた。頰を涙が滑り落ちる。
「私って、いつもこう! 欲張って、もっと、もっと、もっと、もっと、って思ってるうちに、結局何も選べないまま、何も決められないまま、結婚も出来ずに、気づいたらこんな歳……」
 ──にゃお。
 人目をはばからず号泣していると、一匹の猫がこちらを見上げて鳴いた。
「ひっく、ひっく。どうしたの? あなたもひとりぼっちなの?」
 嗚咽しながら手を伸ばすと、猫はてくてくと歩き去り、遠巻きに見ていた子猫と合流して路地に消えて行った。ちっ! 昼間に会った友人親子を思い出して、自分でもびっくりするくらいのボリュームの舌打ちが出た。

 

 

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○いしわたり淳治の徹底作詞塾 in 大阪
2016/9/22(木・祝日) 13:00-17:00 @ TKPガーデンシティ東梅田
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○Sonic Academy Fes2016 “いしわたり淳治のリリック・フェス”
2016/10/15(土) 15:00-16:30 @ ソニーミュージック乃木坂ビル
http://fes.sonicacademy.jp/2016/class/junjiishiwatari

 

※前回作の第20回「手紙」には、一部歌詞の引用があり権利の関係からこの回に限り2016年9月30日までの公開とさせていただきます。予めご了承ください。第20回以外の作品につきましては、9月30日以降も通常通りご覧いただくことができます。

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