ところが、捨てる神あれば拾う神ありで、しばらく経って、新しく立ち上げられたばかりのフリーペーパーの編集長から好意的な返事をもらいました。オフィスでいわきのメディアについて話を聞かせてくれただけでなく、地元で活動する同世代の人たちを何人も紹介してくれました。その時に知り合った新しい友人とは、今でも親しい関係が続いています。ぼくは大学進学を機に一〇年以上郷里を離れていたので、地元に残った同級生とは進学を機に関係が切れてしまっていました。郷里に戻ってきたといっても、頼れる友人たちはほとんどいません。同じいわき市内に、地域をもっと楽しみたいと考えている人たちが何人もいるということを知り、ぼくはどこか救われた気がしました。
ぼくにとって小名浜というまちは「地元」ではあり続けているのですが、「出る前」と「帰ってきた後」では、付き合う人たちも、見え方も、暮らし方もまるで違う。生まれ育った「郷里としての小名浜」と「活動拠点である小名浜」との間には大きな断絶があります。だから、地元に帰ってきたというより、新天地に暮らし直しているという感覚がありました。生まれ育ったまちだからといって昔の人間関係にとらわれる必要はないんです。もちろん、古い友人たちが力になってくれるというのなら安心ですが、その時の新しい興味や関心を通じて新しい友人たちに出会い直す。そういう感覚も大事です。
新しい友人たちと出会い、刺激を受けたぼくは、かねてから夢想していたローカルメディアの制作に着手することにしました。地元を楽しいものにしたいと考えている友人たちを取材し、彼らの声を伝え、そこに新しい出会いが連鎖するような、「人」が中心のメディアを作ろうと。自分で作ってしまえば上からああだこうだ言われることもなく、上海で学んだことをそのまま実践できます。
二〇〇九年、ぼくは、ローカルウェブマガジン「tetote onahama」を創刊しました。人と人が新たに出会い、手と手をつなぎ、ローカルをクリエイティブにサバイブする。そんな小名浜の暮らしを自分たちで作っていこう、楽しんでいこう、そんなメッセージを込めました。「創刊」とは書いてはみたものの、実際には、ブログに毛が生えたくらいのサイトです。既存の有料サービスを使って構築したので、デザインもそれっぽく作ることができました。いまでは「ワードプレス」など、自力でウェブマガジンサイトを制作できるツールやサービスが揃そろっています。専門的な知識がなくても立ち上げることができるはずです。
企画はどれもシンプル。人に話を聞き、風景を撮影し、地元について様々に考察し、それを書き綴るだけ。それだけなんだけれど、発信することで反響が生まれ、それがまた新しい人間関係をもたらしてくれました。メディアを作ることの原初的な楽しさが記録されています。