彼女の名前は

未来のための物語
『彼女の名前は』(チョ・ナムジュ著)、『魯肉飯のさえずり』(温又柔著)に響き合う言葉

『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者チョ・ナムジュ氏の短編集『彼女の名前は』(小山内園子、すんみ訳、筑摩書房)の刊行記念イベントが2020年11月5日、下北沢の書店B&Bで行われました。作家・温又柔さんと、訳者お二人のトークをぜひお楽しみください。温又柔さんの著書『魯肉飯のさえずり』(中央公論新社)と『彼女の名前は』が共鳴しあう点も多く、熱いトークとなりました。

 

●キーワード5「名前」

小山内 以前温さんが書かれた『「国語」から旅立って』(新曜社)に、名前についてのこんな記述がありました。

「わたしは、そんなふうにつぶやく彼女に名前をつけなければ、と思います。

 彼女の名が持つ、音や響き。家族からの呼ばれ方。親しい友だちがつけてくれた愛称。教師や、それほど親しくない同級生たちに呼ばれるときのために、姓も考えます。

 それは、とても重要な作業でした。名前に関するこういったことを一つずつ決める過程で、わたしの分身、または一部でしかなかった彼女は、わたしのことばを住処【ルビ:すみか】とする、わたしとは異なる輪郭を持つ存在となってゆくのです」(第4章 わたしの中の『彼女たち』の名前 より)。

 ご自分と等身大のキャラクターを造形しようと思われた場面のところですが、まさに『彼女の名前は』ですね。

 そうなんです、私はいつも、名前をつけるところから創作をはじめます。『彼女の名前は』というタイトルは、実はそういう意味でもすごく好きだったんです。誰かのお母さん、誰かの娘、誰かの奥さん、誰かのお姉ちゃん、妹……といった「布」をかぶせられた女性たち、要するに、男性が「主役」の社会ではその名を軽んじられ、常に「脇役」でしかいさせてもらえない人たちの一人一人にもそれぞれかけがえのない名前があって、ちゃんとここにもあそこにもいるんだよと訴えるための、『彼女の名前は』なんですよね。

すんみ 韓国でフェミニズムが盛んになって、女性たちが自分の境遇に気づき始めるわけですが、そのなかで一番大きくショックを受けたのが、歴史や社会の中から女性の名前があまりにもあっさりと消されてきたということなんです。例えば、戦争の話をするときは、参戦した女性たち、戦時中に産業や生計を支えてきた女性たちの話は抜きにして、みんな銃を持った男性のことばかり口にする。

 『彼女の名前は』は、消されてきた「女性」の物語を取り戻そうという動きがあるなかで刊行されました。新聞連載時のタイトルは「彼女の名前を呼ぶ」だったんです。「女性」とひっくるめるのではなくて、一人一人の名前をちゃんと呼ぶことは、やはり「輪郭を持つ存在」がここにいるということを訴えるための第一歩になるんだと思います。

●一番好きな作品

──質問を寄せていただいています。『彼女の名前は』で一番好きな短編と、その感想を聞かせてください。

 選ぶのは難しいけど、強いて挙げるなら「離婚日記」「結婚日記」「母の日記」の連作三部作かな。この三つの短編の冒頭が、いかにも大きなドラマのクライマックスみたいなシーンで、新婦の母親が涙を流して、家族が見守って、めでたしめでたしのようなんだけど、本当のテーマはこの背後でうごめくものなんですよね。三部作の最後にあたる「母の日記」には、長女が次女に洗濯機を買ってあげると言っているのを耳にした女性の気持ちが書かれている。実はこの長女が「離婚日記」の主人公。自分が失敗したらからこそ、「結婚日記」の主役である妹が結婚するときに、共働きなら洗濯機は大きなもののほうがあなたも少しは楽がしやすい、とアドバイスしているんです。結婚のせいで傷ついたことのあるお姉ちゃんが、これから結婚する妹にむかって、楽できることは楽したほうがいい、と言うところをそのお母さんがこっそり聞きながら娘たちを同時に想う、すごく良いシーン(笑)。

小山内 シスターフッドですね。

すんみ 私は「また巡り逢えた世界」です。女子大学生たちが大学の不正に抗い、デモをする話です。彼女たちは序列をつけずに、みんな平等な立場で意見を言い合いながら、社会システムに立ち向かっていきます。少し引用します。「毎日、地下講堂に集まって会議をした。誰でも発言は自由、誰も入学年度や専攻、名前を明らかにする必要はなかった。ときには三、四時間にも及ぶ、あきれるほどスローペースな会議を通じて、私たちはデモのやり方から募金の使いみち、掲示板の運営方法、場所の使い方と、大小さまざまな案件をみんなで話し合い、投票で決を採った。報道資料も、まずはオンライン掲示板に叩き台をあげ、みんなでコメントを付けながら修正して完成させた。大学の外では私たちのやり方を『かたつむり民主主義』と呼んでいた」。誰かが会議を仕切り、意見をまとめ、話を進めていけば、もっと時間を短縮できるかもしれない。または多数決を採ればすぐに決着がつくかもしれない。でもその過程で切り捨てられるはずの声にもしっかり耳を傾け、いくら時間がかかってもみんなが納得できる方向へ進めていこうと努力するんですね。「普通」に考えるとあまり効率のいいやり方ではないと思いますが、読んでいて彼女たちが考え出した新しい連帯の在り方を応援したくなりました。

温 「私は強い。私たちは繋がるほど、強くなれる」という言葉がすごくいい。自分たちが座り込みから引きずり出されていくときに、腕組みして眺めている教授たちの平然とした顔つきの描写も、辛辣ですよね。冷笑できる立場にいる人たちに対し、強く繋がろうとする学生たち。

 大統領側近の娘を不正入学させた母校の総長に対し、ノーを突きつけるために闘う学生の姿が胸に迫ります。「結局、総長は辞任した」に涙が出ました。一握りの者だけがふんぞり返っているような状況は変わるべきだし、変えることは可能かもしれないと教えてくれるような一編。

 ただ、日本語の読者としては、これだけめちゃくちゃなのに社会を変えようという気運が日本ではなかなか高まらないことを思って、ちょっと切なくもなります。

小山内 私は、いろいろお二人と話していて、やはり「二番目の人」を挙げたくなりました。訳していても内容的にキツかったし、たぶん、一番すんみさんと話し合った作品だと思います。いまでも一箇所だけ、翻訳がこれでよかったのかなと思っているところがあります。

 チョ・ナムジュさんがこれをトップバッターに持ってきたというのがよくわかる。迷うことなく力になる作品だと思います。

 『彼女の名前は』の冒頭がこの作品である意味の大きさは、本を読みすすめればすすむほどに重みを増します。白状すれば、「一番目の人」が「二番目の人」に「私が黙ってやり過ごしていなければ、あなたを同じ目に遭わせることはなかったのに」と謝るところで大泣きしました。でもみんながみんな、このソジンのように真っ向から闘えるとは限らない。だから、このすぐあとの「ナリと私」では、「私だってそうだったんだよ。あたしたちの頃はもっとひどかったんだから」とどちらかといえば「やり過ごす」ことを促しそうになって、でもぐっとこらえている女性が出てくる。この構成のおかげで、「揺れてしまうあなたも、否定しなくていいんだよ」とも思わせてくれて、最後までがんばってこの本を読もうと思える。

●想像力に制限を設けないために

──次の質問です。他者を理解する力となる想像力に制限や限界を設けないためには何が必要だと思いますか。作家や翻訳家として気をつけていることはありますか。

 大事な質問をありがとうございます。『ショウコの微笑』(牧野美加、横本麻矢、小林由紀訳、吉川凪監修、クオン)や『わたしに無害なひと』(古川綾子訳、亜紀書房)の著者であるチェ・ウニヨンさんが来日したときに、小説を書くときは登場人物たちのことを理解し過ぎないように気をつけていると話していて、とても感銘を受けました。私もそれ以来、登場人物たちに対して何もかもわかっているつもりで向き合うのはやめて、自分には想像できないことを彼らが感じたり考えたりしているかもしれないと思いながら小説を書くように心がけています。

 これって人間関係にも通じますよね。特に親しい人に対してほど、相手のことを何でもわかる気でいたらいけないなと。もちろん初めからわからないと諦めてわかろうと努力することを怠るのもいけないけど、わかったつもりにならないように気をつけるだけでも、相手への想像力は活性化されるのでは。

すんみ 私も、同じことを考えていました(笑)。相手のことをわかることができないと、常に自分に言い聞かせています。自分が見ているものは物事の一面でしかないから、その裏に何があるかわからないという意識を持ち続けようと努力しています。

小山内 私は、自分の癖を意識するようにしています。「こういうタイプが好きだ」「こういう話が好きだ」「こういう展開が好きだ」というのを、極力意識するようにしています。そこに寄っちゃうと、絶対そっちに行ってしまうので、それを避けるために。特に翻訳者は、自分と違うものと向き合うので、自分がどういうものが好きで、そういう性癖があるということを念頭に置いておいたほうがいいと。

●性別や立場を超えて

──次の質問です。日本に限らず、性別や立場を問わず共に考えるには、どんな言葉が必要だと思いますか。

すんみ いまの質問の答えは、先ほどの質問にあると思います。「想像力」ですね。結局、他者への想像力を持つことがもっとも大事なのではないかと。例えば、『キム・ジヨン』の中に、公園でコーヒーを飲む女性が「ママ虫」という悪口を言われてしまうシーンがありますね。相手のことを「いい身分だ」と決めつけずに、その人がいまどういう状況にいるのかを少しでも想像力を働かせることができたら、むやみに人を傷つけることはできなくなるはずです。

 あれはまさに、弱い者がさらに弱い者を叩くという状況です。たとえば正規の仕事に就けず、明日どうなるかもわからないという絶望を抱えながら平日の公園にいるとき、隣で子連れの若い女性がコーヒーを飲んでたら、いいご身分だよな、とつい八つ当たりしたくもなる。でもそうやって、社会の中で追い詰められてる者同士が互いに憎み合ったりいがみ合うとどうなるか。結局、この社会のままであるほうがいいとほくそ笑んでいる人たちの思うつぼなんですよね。それよりも、自分たちをこれほど追い詰めているものは何なのか想像力を働かせることが重要で、そうすることで憎かった相手とも手をとりあえるかもしれない。

小山内 最後にひとこと、温さんから。

 キム・ジヨンに大いに鼓舞されたように、今回もまた、チョ・ナムジュさんの「次の人のために立ち上がろう」という勇敢な言葉と出合えて、とても前向きな気持ちになっています。社会はそう簡単に変わらないけれど、変わるかもしれないという希望を持ち続けるためにも、こんな社会は変えたいと願う人たちと手をとりあってゆきたい。チョ・ナムジュ作品は、その道標ですね。

──ありがとうございました。

2021年1月29日更新

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小山内 園子(おさない そのこ)

小山内 園子

東北大学教育学部卒業。NHK報道局ディレクターを経て、延世大学などで韓国語を学ぶ。訳書に、『破果』(ク・ビョンモ)、『大丈夫な人』(カン・ファギル)、共訳書に『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』(イ・ミンギョン)、『彼女の名前は』『私たちが記したもの』(チョ・ナムジュ、いずれもすんみと共訳)がある。すんみとともに雑誌『エトセトラ VOL.5 私たちは韓国ドラマで強くなれる』責任編集。

すんみ(すんみ)

すんみ

早稲田大学大学院文学研究科修了。訳書に『あまりにも真昼な恋愛』(キム・グミ 晶文社)、『屋上で会いましょう』(チョン・セラン、亜紀書房)、共訳書に『北朝鮮 おどろきの大転換』(リュ・ジョンフン他、河出書房新社)、『私たちにはことばが必要だ』(イ・ミンギョン、タバブックス、小山内園子と共訳)などがある


 

温 又柔(おん ゆうじゅう)

温 又柔

 1980年、台湾・台北市生まれ。3歳の時に家族と東京に引っ越し、台湾語混じりの中国語を話す両親のもとで育つ。2009年「好去好来歌」ですばる文学賞佳作を受賞。15年『台湾生まれ 日本語育ち』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞、17年『真ん中の子どもたち』で芥川賞候補となった。『魯肉飯のさえずり』で第37回織田作之助賞を受賞。その他の著書に『空港時光』、エッセイ集『「国語」から旅立って』、木村友祐との往復書簡『私とあなたあいだ――いま、この国で生きるということ――』などがある。