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第2回 罠の外を知っているか?――『呪術廻戦』論(1)

アナキスト/フェミニストの高島鈴が、社会現象級の大ヒット作を正座で熟読。マンガと社会を熱く鋭く読み解く、革命のためのポップカルチャー論をお届けします。
第2回は、アニメ化を機に4500万部の大ヒット作となった芥見下々『呪術廻戦』(2018年より連載中/集英社)。連載開始と物語の始まりは同じ2018年。明確に「今」を描く本作において、子どもたちはなぜ戦うのか――。

※本稿は単行本15巻までの内容を含みます。

●『呪術廻戦』の立ち位置
 少年漫画において、社会正義をいかに語るかは常に重要な論点である。子どもたちが戦う漫画であれば特にそうだ。なぜその「敵」と戦う必要があるのか? なぜ「敵」に立ち向かうのが「少年」たちなのか? これらを説得力をもって語るには、戦う理由を社会の中に位置付ける必要があるはずである。
 ティーンエイジャー、あるいはそれ以下の読者に空想の冒険を提供するために、子どもを主人公にした戦いの物語を描くこと自体に異議はない――筆者自身、苦しい思春期を少年漫画によって救済されたかつての子どもである。だが子どもの個人的な正義に物語を牽引させるなら、それがどんなに世界を「よい」方向へ変革するものであったとしても、その革命が他者に向けて開かれていくことはないだろう。「子どもが戦うならば、社会の大多数を構成する大人はその間何をしているのか?」という疑問への応答がない作品、誰か一人の正義を中央に据えて描かれる世界像は、たくさんの人びとを世界の周縁へ追いやり、不可視化する。少年漫画というポップカルチャーに社会変革の可能性を見出そうとする本連載の立場に照らせば、それは到底魅力的とは言えない表現である。
 このような視点を以て芥見下々『呪術廻戦』(集英社)を読むとき、奇妙な感触を得る。『呪術廻戦』の世界は、子どもの個人的な正義とその敵だけで完結してしまうような視野の狭さを感じさせない。なぜ子どもまでが戦場にいるのか、そしていかに戦場が苦しい場所であるかも含めて、丁寧に描かれている。誰か一人の正しさが前景化することもない。そこに社会は「在る」。
 しかし同時に『呪術廻戦』における社会の存在感は、わざと希釈されている、、、、、、、、、、のだ。同作における戦いの論理は、「社会正義」と徹底的に距離を取る。それだけでなく、各キャラクターがそれぞれに抱えた個人的な「正しさ」についても、相対化し続ける。そう描かねばならない理由があって、そうなっているのである。

『呪術廻戦』は週刊少年ジャンプにおいて2018年に連載が開始され、間もなく頭角を現した。2020年秋のアニメ化によって発行部数は大きく飛躍し、現在は0〜15巻の紙版・電子版合計で4500万部を超えている【1】。間違いなくメガヒット作品だと言ってよいだろう。
 今回『呪術廻戦』を取り上げるのは、同作がまさに時代の顔と呼んで遜色ない立ち位置・内容を有しているためだ。それは先に記した通りの人気ぶりを指して言えることでもあるが、筆者は同作における社会正義の意図的な忌避・個人的な正義の徹底した相対化に、何よりも「今」の空気を感じている。
 これまで本連載では、板垣巴留『BEASTARS』(秋田書店)を社会を描いているものの社会設定に破綻が生じている作品、社会変革が私的な愛の世界へ閉じられていく作品として批判し、社会自体が社会に対する関心を喪失している可能性を疑った。『呪術廻戦』の読解は、次なる問題、もはや社会を見る意味そのものを失いつつある「今」について問い直すものになるだろう。

●あらかじめ折り取られている未来
 まずは作品のあらすじを簡単に説明しておきたい。
『呪術廻戦』は人間の負の感情から生まれた存在=「呪い(呪霊)」と、呪いを祓う存在「呪術師」たちとの戦いを描くバトル漫画である。
 主人公の虎杖悠仁(いたどり・ゆうじ)は、ずば抜けた身体能力を持った高校生であるが、ある事件に巻き込まれたことで「呪いの王」両面宿儺(りょうめんすくな)の指を飲み込んでしまう。両面宿儺とは四本の腕と二つの顔を持った実在の人物であり、千年以上前に数多の呪術師が挑み/敗れていった、伝説的な鬼神でもあった。その遺体は強烈な呪いの力を有し、死後も消滅することなく各地に残存していたのだ。呪霊にとってこの指は、取り込めば強大な呪力を得られるマジックアイテムでもある。
 宿儺の指は猛毒であり、それを飲み込んだ虎杖はただちに死に至るはずであった。しかし虎杖はなぜか毒に耐え切り、その上で虎杖の身体を乗っ取ろうとする宿儺の制御にすら成功してしまう。これまで数多の呪術師たちが倒そうとして倒せなかった、遺体すら消せなかった両面宿儺を、虎杖は身体に取り込み、その上で自我を保っている……。遊び半分で人類を滅ぼしかねない宿儺が受肉・復活を遂げるリスクがある以上、虎杖は秘密裏に処刑されるはずであったが、一方で虎杖は、宿儺の指を安全に回収・破棄するための「宿儺の器」として見出された。
 今死ぬか、両面宿儺の指を全て飲み込んでから死ぬか――選択を迫られた虎杖は後者を選んだ。かくして虎杖は、呪術師の教育機関・東京都立呪術高等専門学校――通称「呪術高専」――に編入し、呪術師として、そして「宿儺の器」として、死刑の執行猶予と引き換えに戦場に出ることとなる。

 以上のあらすじだけである程度察せられるかと思うが、同作は極めて過酷な状況から幕が上がり、先の見通しもあまりに暗い。明るい未来の獲得を目指して戦うのではなく、主人公は最初から決定された死に向かって走り出すのだ。『呪術廻戦』は虎杖が内面的に「成長」する物語であるという意味ではビルドゥングス・ロマンとして読めるが、一方で「成長」したその先は、あらかじめ折り取られている。未来は「暗い」のである。

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