くたばれ、本能。ようこそ、連帯。

第1回 くたばれ、本能――『BEASTARS』論(2)

アナキスト/フェミニストの高島鈴が、社会現象級の大ヒット作を正座で熟読。マンガと社会を熱く鋭く読み解く、革命のためのポップカルチャー論をお届けします。
第1回は、「動物版青春ヒューマンドラマ」を謳う板垣巴留『BEASTARS』(2016〜2020年連載/秋田書店)。本能を生物の本質として描く本作は、ジェンダーをどう捉えたのでしょうか。

※この記事には漫画『BEASTARS』の結末に関するネタバレが含まれます。

※前回はこちら

●「愛の遂行」を妨げるもの①――リズと認知の歪み
 ここまで作品世界の土台に対する批判を一通り行ってきた。これらの批判を踏まえた上で、物語の内実を検討していくことにしよう。
 草食獣を愛したい――この望みを抱いたレゴシに立ちはだかる壁を具現化した存在として、『BEASTARS』には前半・後半でそれぞれ一人ずつ、二人の敵対者が現れる。一人はレゴシの所属する演劇部内でアルパカのテムを食殺したオスのヒグマ・リズであり、もう一人はヒョウの母とガゼルの父との間に生まれた「ハーフ」の殺人鬼・メロンだ。この二人との対峙からレゴシが何を学ぶのか、概要を確認しておこう。
 リズが象徴しているのは、「食欲」による肉食獣―草食獣間のコミュニケーションの失敗だ。テムはリズに襲われた際、恐怖の中で逃げ惑い、部活仲間であったはずのリズが自分を食べ物として見つめていたことに深く絶望しながら食い殺されていったのだが、リズ本人はテムの最期を「自分を受け入れてくれた」友情の記憶として胸に留めている。リズが抱える一種の認知の歪みは、レゴシがハルと向き合う際に抱いた「これは恋愛感情なのか、「本能」なのか」という迷いと相似形を描いていると言えるだろう。
 ここでクローズアップされてくるのは、社会に「ありのまま」(=「本能」)を出せない肉食獣の「孤独」である。
 例えばリズの場合、鍵になるのは筋肉抑制剤という薬品だった。『BEASTARS』の世界では体長2mを超えたクマに筋肉量を抑制する薬の服用が義務づけられており、リズもまたそれを人知れず服用しているが、その副作用に苦しんでいる。リズは副作用をハチミツで抑えながら、学校生活では周囲に恐怖心を与えないよう「ハチミツ好きの優しいクマ」として振る舞い、自分を偽っていた。
 しかしある日、テムがリズに話しかけてくるようになる。リズは初めて他者に薬や副作用のことを語り、テムはそれに理解を示してくれた。リズはテムと話すと副作用が軽くなることに気づき、テムの前でなら「ありのまま」を出してよいのだと解釈する。そしてリズは凶行に及び、「僕は同意の上でアルパカのテムを食べ… 唯一 草食獣と真の友情を築いたクマだ【11】」と自認するに至るのだ。
 レゴシはレゴシで、リズのような認知の歪みこそないものの、ハルと最初に出会った際、ハルに対して食欲を抱いてしまった苦い経験がある。レゴシにとってリズは道を違えた自分の姿であり、だからこそ「罰するよりも俺自身が奴に向き合いたい【12】」と考えるのだった。
「種族の壁を壊せるのは捕食だけだ!!」と主張するリズに対し、レゴシは「種族の壁を壊せるのは… 愛だけだよ」と返す。そしてレゴシは「俺は肉食獣が好きだ」と自覚したルイの提案で、同意の上でルイの右足を捕食し、その力を得てリズに勝利するのだ。
 レゴシとルイは互いに命をかけ、食う/食われるの関係を経た上でその絆を深めた。これはリズが体現する「『本能』を曝け出して捕食するか、『本能』に蓋をしてコミュニケーションを続けるか」という二択に、レゴシが「『本能』に蓋をせず、愛で互いを受け止め合うことで、コミュニケーションを継続する」という新たな結論を出したことを意味する。レゴシにとってルイとの友情の成立は、同時にハルとの愛の遂行に繋がる成功体験ともなった。
 レゴシは「愛」で結論を出した。この結論に対する更なる関門として、次節で紹介するメロンがレゴシを待ち構えている。

●「愛の遂行」を妨げるもの②――「愛の失敗作」としてのメロン
 リズとの戦い=食欲との戦いを経たレゴシは、ルイの足を食べたことを契機にチェリートン学園を退学し、ボロアパートで一人暮らしを開始する。レゴシには「食肉前科獣」という肩書きがついたが、レゴシ本人は自分に「自分は草食獣フェチの変態オオカミなのだ」という結論を下し、その自覚のもとで草食獣との関わりを続けていこうと考えるようになっていた。
 そんなレゴシの前に現れたのが、他者への加害にのみ快感を見出す殺戮者・メロンである。メロンが象徴しているのは、肉食獣―草食獣間における「愛の遂行」の失敗だ。
 メロンはヒョウの母とガゼルの父を持つ「ハーフ」である。父はメロンが赤ん坊の頃に母と別れており(メロンは母が父を食い殺したと思い込んでいる)、メロンは父への愛で病んだ母との母子家庭で育った。今のメロンは表社会の大学で歴史学の非常勤講師をしながら、裏社会では衝動のままに他者を殺戮する、仁義なきヤクザ者である。
「愛の失敗作」――それがメロンの自認だ。メロンは「ハーフ」であるがゆえに、作品の前半で「本能」として位置づけられていた食への欲求、性への欲求が欠如している。理解できる快楽は痛みと殺戮だけだ(繰り返しになるが、このキャラクター造形について「ハーフ」であるから、という説明が行われている点は看過し難い)。

「皆欲望を発散して孤独をまぎらわすものだけど ハーフの俺には欲望とかもねぇ〜の」「例えて言うなら おちんちんも胃ぶくろもないような人生さ」【13】

 メロンは拭えない孤独と憎悪を露悪的に見せびらかし、暴力の氾濫を求めて肉食獣の「本能」を煽る。メロンが求めているのはただ一つ、暴力を通じた生の実感だった。やがてメロンの影響で、肉食獣たちは次第に抑圧されていた「本能」を表に露出させ始める。
一方レゴシは、メロンの境遇に惹きつけられていた。それはレゴシが将来的にハルとの子どもがほしいと考えているせいでもあるし、同時にレゴシ自身が異種族の血を受け継いでいることも関係している。
 レゴシの母・レアノは、コモドオオトカゲの父・ゴーシャとハイイロオオカミの母・トキの間に生まれた「ハーフ」だ。レゴシにとってレアノは、あまりにも悲しい思い出で彩られている。
 レアノはオオカミの姿でありながら鱗が生えた自らの容姿を呪い、レゴシが小学校に上がる頃には、家族の前にすら姿を見せない生活を送るようになっていた。レゴシが生まれた理由も、突き詰めればレアノの絶望にある。レアノは歳を重ねるごとに鱗の面積が増す己の身体を確認すると、「自分が怪物になる前に【14】」「血統に近いハイイロオオカミを私も産まなくちゃ【15】」と考え、ゆきずりのハイイロオオカミを相手にレゴシをもうけたのだ。レゴシが一二歳になる年、レアノは自殺した。レゴシがオオカミの姿で育っていることを確認し、「肩の荷がおりた【16】」と考えたがゆえの行動だった。
 異種族間恋愛を遂行した結果としての「ハーフ」の子が文字通り死ぬほどの苦しみを味わった例を、レゴシは母を以て知っている。だからこそ、「ハーフ」に降りかかる運命を覆し、草食獣と肉食獣の「愛の遂行」は可能だと信じるために、レゴシはメロンと決着をつける必要があったのである。
 レゴシは裏市における縄張り争いに単独で参戦し、メロンとの最終決戦に臨むが、そのときレゴシは決して一人ではなかった。レゴシは松明に自分の血とルイの血を混ぜて燃やし、裏市じゅうにオオカミとシカの血の匂いを同時に撒き散らしたのだ。一方、レゴシが命をかけてメロンと戦っている間、ルイはテレビ中継を通じて裏市の存在、そして肉食行為から目を背けないよう訴える。二人は全く別の場所で全く違う立場を持ちながら、同時にたくさんのものを共有し、共闘していた。
 この決戦では、「本当の悪」と名指される存在が登場する。メロンの父だ。
メロンの父は偶然メロンがレゴシと殺し合っている裏市のそばを通りかかり、メロンを気にかけているような様子を見せるが、それはSNSをスクロールする程度の軽さに基づいた振る舞いであった。メロンの父は愛に病んだ妻のことを「女ってなんでああなんでしょうねぇ【17】」「普通そんなの男は逃げるでしょう【18】」と嘆き、メロンについて「つくづく子どもって残酷な授かりもの【19】」だと、他人事のように漏らすのである。
 メロンの父が体現しているのは、「覚悟の欠如」だ。相手に向き合い、傷ついてでも愛を遂行する覚悟、他者に責任を持つ覚悟がないこのガゼルは、メロンを「復讐」に走らせた最大の原因であった。
「愛の遂行」には、覚悟がいる。それがレゴシの導き出した結論である。最後、レゴシとルイの共闘は功を奏し、メロンは捕縛され、裏市は正式に解体された。社会は肉食の隠蔽をやめ、「本能」を超えた対話を始めるのだ。レゴシとルイ=ビースターズが変えた世界で、レゴシは晴れてハルと対等に結ばれるのである。

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