ちくま文庫

まえがき――氷室冴子『新版 いっぱしの女』より

 

 人にはさまざまな〈忘れられないひとこと〉というのがあると思うのだけれど、ここ数年でいえば、私にとってのそれは、
「あなた、やっぱり処女なんでしょ」
 というものだった。
 それは私が三十になるか、ならないかのころのことで、私にそう尋ねたのは四十をひとつふたつ越した男性だった。
 彼はとある活字媒体の記者というのか編集者というのか、ともあれそういう人で、当時、その圧倒的な部数ゆえに無視できなくなっていた“少女小説”だの、“少女小説家”だのの記事を書くために、私にインタビューにきたのだった。
 彼が聞くのは年収だとか部数だとか、やたらと数字のことばかりで、税務署か興信所みたいな人だなと思っていたのだけれど、その最後のほうで、彼はそう尋ねたのだった。もっと正確にいうなら、
「やっぱり、ああいう小説は処女でなきゃ書けないんでしょ」
 という言葉づかいで。そのときの彼の口調は、すこしもイヤらしくはなく、どちらかというと好意的だったような気がする。
 そのとき私は目からウロコが落ちたというのか、それまでずっとギモンに思っていたことが瞬時にして解明できた気がした。
 それまでにも、私はいわゆる少女小説関連で、数えきれないインタビューを受けたり、記事を書かれたりしていたのだけれど、いつもいつもピンとこなかった。
 単純な話、私は初対面の人や年上の人と話すときは、必ずといっていいほどデスマス体で話すのだけれど、記事になってみると、それがなんというかキャピキャピの女の子語の会話体になっていたりする。
 (興にのって、こんな話し方したのかなあ)
 と思い返してみても、どうも覚えがない。会話体で記事を構成するのは自由だけれど、それは私にとっても好きな領分だから、見過ごせない違和感があったのだった。
 そして内容はといえば、そのほとんどが質問されたときに、
 (親兄弟、親友だって遠慮して、絶対に聞かないようなことを、どうして初対面の、他人に聞かれなきゃならないんだろう)
 とムッとして、けれどノーコメントですという知恵もなにもないばっかりに、ぼそぼそ答えた部分が、メインになっていたりするのだった。
 そのころ、私はインタビューも〈いただいたお仕事〉のように考えていて、きちんと答えなければいけないとマジメに考えていたので、ほんとにビックリすることが多かった。こういったことは自分に関するなにかを書かれたことのある人なら、大なり小なり覚えのあることなのかもしれないけれど、私はインタビュアー兼ライターという職業人を、自分とおなじような職種の人と思っていたから、どうして彼(もちろん彼女もたくさんいた)がそういうズレた文章を書くのか、同じ売文家として、つい引っかかってしまうのだった。いっては悪いけれど、
 (アタマ悪いんじゃないか。ヒトのいうこと、ちゃんと聞いてたら、こんな文章になるはずないのに。把握力がないのかな)
 と思う時期もあったのだった。不遜にも。
 そういう数年間をすごしてきたから、その男性がいろいろインタビューしたあと、ふと気を抜いた雑談のような形で、どちらかといえば年下の女の子をアヤすような優しい態度で、処女でなきゃ書けないんでしょと聞いたとき、
 (あー、今までインタビューにきた人も、こういう発想だったのか。そうだったのかー)
 と視界がひらけた感じだった。つまり、どうもヒトビトはある予断 ―― “少女小説”という言葉からイメージするさまざまな予断をもって私に会いにきて、その予断を補強する部分だけを聞きとり、書いていたらしいのだ。
 わかってみるとコロンブスの卵、むしろ、ありふれた話なのだろうけれど、それにしても、いくら童顔で小柄だとはいえ三十まぢかの女に、
「ああいう小説は……処女でなきゃ」
 という発想そのものが、常識的に考えても新鮮だったために、いったい世間では三十女にどういうイメージを持っているんだろうと考えることがしばしばだった。
 それまでは、新聞を読んで腹をたてたり、本を読んでぼんやり考えたり、映画をみて楽しかったりしても、それはどこまでも個人的なことだと割りきり、ストレートなかたちでは書いたことがなかったのだけれど、その一件があってから、いつか機会があったら、原稿を書くときの、そのときどきのリアルタイムの雑感を書いてみたいなあと思うようになっていた。そうすることで自分がどういう“三十女”なのか、知ってみたい気持ちで。書いてみてわかったけれど、私はこういうことで怒り、こもごも考え、ぼーんやり回想し、喜んでいる女なのだった。