筑摩選書

2021年、星新一への旅

浅羽通明著『星新一の思想――予見・冷笑・賢慮のひと』書評

「ボッコちゃん」をはじめとする千篇余のショートショートから、『声の網』などの長編、そして時代小説、エッセイやノンフィクションまで膨大な作品を遺した不世出のSF作家、星新一。その全仕事を読み抜き、ポストコロナを生きるための哲学を浮かび上がらせんとしたのが、『星新一の思想』。初の本格的評論たるこの書について、SF研究家にして文芸評論家の牧眞司さんが論じて下さいました。ご一読を!(PR誌「ちくま」2021年11月号より転載)

 よくぞここまで読みこんだものだ。『星新一の思想』を一読し、感嘆した。

 星新一の千篇を超えるショートショート、『声の網』をはじめとする長篇、時代小説、エッセイやノンフィクション、インタビュー、さらには星新一に関する解説や記事、WEB上の感想まで、幅広く拾っている。著者は三十年ほど前から、この星新一論を構想し、じっくりと準備を進めてきたという。

 星新一は間口が広く、奥が深い。本好きならずともほとんどのひとが人生のどこかで(たいていは小学生・中学生のころに)星作品にふれており、とくに「ボッコちゃん」「おーい でてこーい」といった超有名作になると、たとえ題名は忘れていてもプロットを聞けば「ああ、その話、知っている!」と反応するはずだ。いっぽうで、星新一アディクトとでも言うべき熱心なファンがいて、何度も繰り返し星作品を再読している。ショートショートは一度読んでオチがわかってしまえば、それで終わりのように言われることがあるが、とんでもない。星新一の作品は一過性のサプライズを超えた価値がある。

 私自身、高校一年から「エヌ氏の会」(星新一ファンクラブ)に参加し、ことあるごとに星作品を再読してきた。しかし、浅羽通明にはちょっとかなわない。再読の回数や頻度のことではない。各作品を読みこみ、頭のなかに詳細なデータベースを形成したうえで、作品と作品とをつなぐ筋道を構築する知力と集中力、なによりも情熱だ。

 喩えてみれば、星新一がのこした作品は満天の空にちらばる光源である。愛読者は、星新一宇宙の広がりや美しさ、ひとつひとつの星の色や大きさ、その動きについてはよく知っている。浅羽通明はそれにとどまらず、星と星とをつなぐ糸を見出し、星座を描きあげるのだ。この作品とこの作品がそういうふうに結びつくのか、なるほどそのモチーフは共通する、構成が似ている……そんな驚きがある。

 もちろん、夜の星座が自然なものでないように、本書で指摘される星作品の特徴や本質も、浅羽通明の主観による「物語」である。しかし、その「物語」はたんなる思いつきやこじつけではない。ひとつひとつ作品のディテールに注目し、他の文学作品と対照したり、それぞれの時代のできごとや文化状況などを縦横に参照しながら、検証を経てかたちづくられている。幅広い評論活動を手がける著者の面目躍如である。

 浅羽通明の描く星新一の星座は、なるほどと膝を拍つところが多い(とくに星作品の主人公の内的動機を「秘密」と読み解いた論考)けれど、そのいっぽう、うーん、それはどうだろうかと考えこむ箇所もある。

 たとえば、星新一がエッセイ「食事と排泄」で披露した、バリウム検査後の便のエピソード。白く固い便は不潔感もなく、水で洗ったうえで黄色い絵の具を塗って飾っておけば、来客が本物そっくりのオモチャだと思いこむだろう、本物なのに――と星新一は述べている。それに対し、浅羽は「一般的に異常」ではないかという感想を抱く。また、「ボッコちゃん」で、ロボットであるボッコちゃんの体内を通った酒をマスターが回収して客にふるまうことに、ちょっとした「不潔感」を覚えている。異常なことに星新一が無自覚であり、アスペルガー症候群的というのが、浅羽の見立てである。

 これには虚を衝かれた思いだ。私自身もそうだし、私の知りあいの多くも(エヌ氏の会の友人たち、あるいは星新一が創立メンバーであるSF同人誌〈宇宙塵〉の仲間など)、バリウムうんちやボッコちゃん酒を、なんの抵抗感もなく受けいれていた。まあ、SFファンは一歩引いてものごとに接するところがあり、少なからずアスペルガー症候群的なのかもしれない。つけくわえておくと、浅羽通明は本書中で「アスペルガー症候群的」なる表現に、一定の留保をつけて慎重に扱っている。

 ただし、本書の読みどころはそこから先だ。アスペルガー症候群的というのは結論ではなく、その見立てを支点として、浅羽は星作品の特質、他の作家との違いを浮き彫りにしていく。個々の解釈に納得するかしないかは別にして、あらためて星作品を再読したくなる。そんな契機を与えてくれる貴重な一冊。

 さあ、私も星新一の宇宙をもうひとまわりすることにしよう。

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