ちくまプリマー新書

やさしく、冷たい人間関係…「人それぞれ」のなかで遠のいていく本音
『「人それぞれ」がさみしい』より本文を一部公開

「他人と深い関係を築けなくなった」と感じる人が増えています。「人それぞれ」という言葉が象徴する相手との距離をとろうとする人間関係のありかたや、「人それぞれ」の社会に隠れた息苦しさ――『「人それぞれ」がさみしい』(ちくまプリマー新書)が刊行されました。この記事では本書の内容を一部お届けします。本音で意見を交わすことも、ぶつかり合うことも難しい現代の背景にあるものとは?

「多少自分の意見をまげても、友人と争うのは避けたい」

 人びとの心理的な発達を研究したエリク・H・エリクソンは、青年期に友人とかかわることの重要性を指摘しています。そこで想定される友人関係は、お互いの内面をさらけ出し、率直に意見をぶつけ合うようなつき合いです。このような関係性は、自我を確立するにあたり、重要な役割を果たすとみなされてきました。

 しかし、第一章でもふれたように、一九八〇年代の後半あたりから、若者の友人関係の変化が指摘されるようになります。具体的には、友人と深く関わろうとせず、互いに傷つけ合わずに、場を円滑にやり過ごすことに重きをおく友人関係に変わってきたと言われています。

 たとえば、新潟県の四年制大学に通う学部生に調査をした岡田努さんは、若者の友人関係の特性として、「気遣い」「ふれあい回避」「群れ」という三つの志向をあげています。ここで言われる「気遣い」とは、相手に気を遣い、互いに傷つけないよう心がける志向、「ふれあい回避」とは、友人と深い関わりを避けて互いの領域を侵さない志向、「群れ」とは、ノリなど集団の表面的な面白さを追求する志向です。これらは、「変化した」と言われる友人関係の特性に合致します。

 同じような傾向は、他のデータからも読み取ることができます。図3と図4は、第一生命経済研究所と青少年研究会が、それぞれ一六〜二九歳の人びとを対象に行った調査の結果です。どちらの調査も継続調査のため、意識の変化の有り様をつかむことができます。

 第一生命経済研究所の調査は、「多少自分の意見をまげても、友人と争うのは避けたい」という質問文に対して、青少年研究会の調査は、友人と「意見が合わないと納得いくまで話す」という質問文に対して、いずれも「よくある」「ときどきある」と答えた人の比率を示しています。

「多少自分の意見をまげても、友人と争うのは避けたい」という意見に対しては、一九九八年には男性の四六・五%、女性の六〇・五%が「よくある」「ときどきある」と答えていました。この数値は二〇一一年になると、男性六六・二%、女性七三・三%にまで跳ね上がります。一方、友人と「意見が合わないと納得いくまで話す」人は、二〇〇二年の五〇・二%から、二〇一二年は三六・三%にまで減ってしまいました。自分の意見を曲げてでも友人と争うのは避けたいと考えている人が増え、たとえ意見が合わなくても友人と納得のいくまで話す人が減っていることがわかります。

 この結果は、「人それぞれ」のコミュニケーションが横行する社会の実情をよく表しています。「個を尊重」し、人と人をつなぎ止める材料が少ない社会では、争いや対立は、関係の存続を脅かしかねません。だからこそ私たちは、つながりを保ちたいと思う相手に対して、極力対立を回避するよう心がけます。身近な人との争いや対立を避けることは、今を生きる人びとにとって、とても大事なことなのです。

 争いや対立を避けるにあたり有効なのが、「人それぞれ」のコミュニケーションです。というのも、「人それぞれ」のコミュニケーションには、対立を表面化させず、沈静化する作用があるからです。私たちは、お互いの意見が対立やぶつかり合いに発展するまえに、「人それぞれ」という優しさの呪文を唱えて、お互いの干渉を回避しているのです。


 
他人と深い関係を築けなくなったのはなぜか。
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