ちくま文庫

『女と刀』解説

3月の新刊、中村きい子『女と刀』(ちくま文庫)の、斎藤真理子さんによる解説を公開します。 日本文学の隠れた名作として、この解説を執筆した斎藤さんや、故鶴見俊輔氏などを魅了してきた本作。 その魅力について、強烈な主人公キヲや作者中村きい子について、よく知ることができる解説です。ぜひお読みください。

 この小説の主人公、権領司キヲは薩摩郷士の娘である。郷士とは、武士でありながら城下町に住まず、農村で農業を営む下級武士のことだ。特に薩摩藩は他藩に比べて武士が非常に多かったため、全員を本城の城下に住ませることはできず、領地を細かく分けて分散配置する「外城制」という仕組みが生まれた。本城の外に住む「外城士」(これが後に「郷士」と呼ばれた)は、権威の面では城下に住む「城下士」に遠く及ばないが、平民とは厳しく一線を画さねばならない特殊な階層である。キヲの父はその一人として、生活がいかに貧しくても誇り高くあれと、子供たちに教えた。

 その教えは西南戦争での敗北を核にしているから、強くねじれている。キヲは、このねじれた父祖の教えを内在化させるとともに、それを不断に凌駕、更新していく激しい人物として描かれている。中村きい子は、自分の母をモデルとしてこの主人公像を作り上げた。キヲは何事にも徹底して挑む人であり、誰に対しても容赦がない。面子(メンツ)、世間体、立ち回りといったことが眼中になく、丸く収める、折れる、譲るといった行為を一切やらない。その結果、自ら額に汗して得たものを手放すことになっても厭わない。おっかない人だ。だが、このおっかない女の人の物語が、高度経済成長のただ中にあった1960年代の日本で注目を浴びた。

 中村きい子は、谷川雁の『サークル村』や森崎和江の『無名通信』(59〜61年)に参加した鹿児島の作家だ。最近、森崎和江の『まっくら』が復刊されるなどサークル村関連の書き手が注目を集めているが、『女と刀』は、その中でも突出してポピュラーな人気を獲得した作品といってよい。

 『女と刀』は、「女の明治百年」ともいうべき骨太の歴史物語だが、夫婦の不和というわかりやすい入り口を持っているため誰にもアプローチしやすい。また、緊張感みなぎるキヲの語りには癖になるような魅力があり、「やりもそッ、真剣勝負をッ」といった啖呵(たんか)が標準語であったなら、これほどの吸引力は持たなかっただろう。その古風な地方語は威厳に満ちていて、同時にどこかなつかしい。子から母への聞き書きを通過したと思われる確かさがこの名調子を支えており、そのため、本書の解説で鶴見俊輔が指摘する通り「しかりつける語り口」であるにもかかわらず、読む人を魅了する。

 本書が単行本となって1966年に世に出ると、中村きい子のもとには、さまざまな階層の人々、特に女性たちから多くの手紙が寄せられたという。そこには「これまで接してきた女の一生ものとはちがう。何かを考えされた(ママ)」といったことばがあり、また、私のことを書いてほしいとか、自分の母親の一生を書いてくれといった依頼を持って訪れる女性たちもいたと、著者自身が書いている(「『女と刀』と昭和時代――骨を洗うという思想を」『思想の科学』1967年7月号)。

 女性たちが手紙を送ってきたのは、キヲの叱りつける言葉より、問いかけることばの方がずっと強く響いたからではないかと思う。

「あたえられた運命をたどり、そして死ぬ。それが、女に課せられた唯一の生き方なのであろうか」。

「わたしという女は、子しか産むことのできぬ女なのか」。

 これが独り言として呟かれただけなら、「これまで接してきた女の一生もの」と変わりはなかっただろう。しかし著者は小説の終盤で、この問いにきちんと答えを出している。「どだい、人のしあわせとは『識(し)る』という歓びに基(もと)ったものから湧くものであろうとわたしは思うゆえ」。

 この「識る歓び」こそ、キヲの言う「反り身で生きてきた女の肌」の根幹なのだろう。『女と刀』を表面的に見れば、50年にわたる男社会への復讐譚とも読める。兵衛門に離婚を宣言するくだりで溜飲を下げる読み方だ。一方でキヲはスーパーウーマンであり、その並外れた勤勉さや商才、母の愛などだけを拾うなら、女の苦労話あるいは手柄話に終わってしまうだろう。だが『女と刀』の醍醐味は、キヲが何をしたかだけではなく、自分がなぜそのように行動したか、その理屈をキヲがくまなく開陳していくところにある。読者はそれに圧倒され、いったいこの人はどこまで行くんだろうという興味で、叱られていることも忘れて読み耽ってしまう。

 キヲの思想(それをキヲ自身は「意向」と言う)にはさまざまな特徴があるが、とりわけ大事なのが、対話を求める激しさだ。

 父はキヲを鋼(はがね)のように強くしつけるが、娘が成長すれば勝手に嫁入り先を決めてしまう。キヲは相手について「どのような腹の持ち主か、それだけでも知りたい」と願うが、一蹴される。自分の意向を持てと教えたのは父自身だったのに、いざとなると梯子を外すのだ。

 キヲは裏切られたと感じるが、それでも執拗に対話を求めつづける。たとえ思い通りにならなくても、キヲにとっては、対話をまっとうすることが生きることなのだ。それは、中村きい子が本書の終盤で「人間である男と、人間である女の対話(ことば)」と、対話に「ことば」というルビを振っていることからも、わかるだろう。

 結婚後、キヲは苦しい家計を一人で負うが、そのとき夫には恋人ができている。キヲはそれを「釣った魚に餌はやらないのか」といった次元で責めるのではなく、お前でなければ妻は娶(めと)らぬと言って迫ってきたその「情(こころ)」は何であったのか、開いて見せよと詰め寄る。

 理由があるだろう、本音を言え、それをもとに対話をしよう、それこそがことばというものだ、というのがキヲの考えだ。だから、息子の紀一が差別教師を相手にストライキを始めたときも「教師がなにゆえに差別をしたか、そこの根のところをただし、そして切りとるというところまでいかぬと、いくら枝ばかりゆすってみても木はいっこうに枯れぬと同様、ことはぬらりくらりと流れてしまう」と諭す。賢い紀一はそれに応えて教師の言質を引き出すが、多くの場合、人は、自分の行いの大元の道理を自分で言葉にすることなどしないし、できもしない。だから、常にそれをせよと迫るキヲは変人中の変人なのである。

 キヲの対話の相手の中でも、伯母である初という女性の印象はひときわ強い。この人がいなかったら『女と刀』の魅力は半減しただろう。

 初は、キヲのことばを借りれば「既存のものでない新しい士族の血をうちたてようと生きた人」だ。そして理想化されたエロスを体現する存在でもある。この小説は1967年にTBSの「木下恵介アワー」の枠内で、中原ひとみ主演によってドラマ化されたが、そこでも、岩崎加根子演じる初(ドラマの役名では「タカ」)の魅力が際立っていた。このドラマを紹介した当時の週刊誌記事には、著者自身が、鹿児島の女子高校生の間で岩崎の凜とした士族ことばが流行っているらしいというコメントを寄せている(『週刊サンケイ』1967年6月26日号)。

 ドラマ『女と刀』は視聴率最高30パーセント、地元鹿児島のMBC南日本放送では60パーセントという好記録を残した。脚本を担当した山田太一の力も大いに与っていただろう。そしてこのドラマが、翌年の明治百年祭をにらんで製作されたものだったという事実も興味深い。

 太平洋戦争は「わたしのいくさではない」とキヲは言い捨てる。それは、ベトナム反戦運動まっ盛りだった67年当時のテレビ界とも、相容れるものだったのだろう。キヲが辺境から戦後民主主義の根の浅さを喝破するとき、明治百年に湧く東京は相対化される。しかし同時にキヲの思想の核には、大木が石を抱え込み、それを瘤としながら育つように、西南戦争の敗北が食い込んでいる。

 したがって、キヲが娘の成を徴用にとられまいとして刀を持ち出す一幕は、母にとっても子にとっても単純な「反戦」などではない。この睨み合いこそ、明治10年以来の日本の棚卸しであり、最も困難な対話である。

 ここで、石牟礼道子の『西南役伝説』を思い出す。「カライモ士族」と揶揄されたキヲの父たちとは逆の立場、平民から見た西南戦争がそこには書かれている。「ありゃ、士族の衆の同志々々の喧嘩じゃったで。天皇さんも士族の上に在(おら)す。下方(したかた)のものは、どげんち喜うだげな」「それで、西郷戦争は嬉しかったげな。上が弱うなって貰わにゃ、百姓ん世はあけん。戦争しちゃ上が替り替りして、ほんによかった」。

 初の恋人だった「金殿」は、「百姓ん世があけた」ために日の目を見た階級に属する。初が新しい生き方を選べたのは、このような時代の変化のおかげでもあった。そしてキヲはその初から「わたしら郷士は泣いた百姓のその涙の上にすわってきた」ということばを聞く。初とキヲは、明治維新によって変わった部分と変わらなかった部分をそれぞれ分担して背負っているのかもしれない。いずれにせよ、キヲには、時代が変わったからといって簡単に捨てなかったものがたくさんあり、そのためにかえって、刊行から50年以上の時間が流れても消えない重みを与えているともいえる。そこには、日本の庶民にとって明治維新とは何であり、同時に朝鮮がどういう存在だったかという問題が重なるので一筋縄ではいかないのだが。


 中村きい子の残した作品は多くないが、初期のものとしては、1959年に『サークル村』に発表された短編「間引子(うツせご)」を、『コレクション戦争と文学』(集英社)の「軍隊と人間」の巻で読むことができる。この作品は徴兵忌避をテーマとしており、『女と刀』同様、ぎりぎりと引き絞るような緊張感を持っている。

 『女と刀』は好評を博し、田村俊子賞も受賞したが、その後著者は長い闘病生活に入らなければならなかった。それを経て1992年に発表された長編小説『わがの仕事』(思想の科学社)は、『女と刀』の続編ともいえるもので、著者自身が「自叙伝」とはっきり述べており、中村きい子の子供時代から、結婚、作家活動、闘病と回復までが描かれる。

 その中では、『女と刀』とは少し違う父親の優しい側面が垣間見えて興味深く、また、作家の母が『女と刀』のドラマ版を見て、「わたしのこの『ひとりだち』の真意を分ってくれということも無理なことじゃろう。じゃがこの世にはこのような馬鹿に徹した女の生きようがあったというそれが分って貰えればそれでよか」と語るシーンもあった。

 真の対話、識る歓びを求めて譲らなかったキヲは、人生の最後で家庭に丸く納まるのではなく、外へ出ていき、自分の知恵によって他者を助ける老後を選んだ。その過程で、「ザイ」の者への視線も変わってゆく。この晴れ晴れとした姿にこそ、胸のすく思いを味わった読者も多かったのではないだろうか。

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