PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

ルノワールの描く女
忘れられない絵・3

PR誌「ちくま」4月号より丹治匠さんのエッセイを掲載します。

 ルノワールといえば、日本では喫茶店の名前にもなっているくらいで、大人でも子供でも、教科書とかカレンダーとかいろんな形で彼の絵を見たことがあるだろう。僕自身は高校時代に父の持っていた画集で暖色と寒色を織り交ぜてキャンバス上に置いていくようなその筆致を見て、初めて絵の美しさの原理を理解したと思って喜んだし、絵画を志すようになるとそれを一生懸命に模倣しようとしたものだ。そういうわけで僕は彼の絵にとても親密さを感じているのだが、しかし絵描きやアート仲間の間でルノワールが好きだと言うと怪訝な顔をされるくらい評価は低いのだった。大抵の場合ルノワールは貶められて語られ、僕はそれに抵抗して彼の絵を擁護した。彼らからするとルノワールの絵は「あまい」ということらしい。確かにそれも分かる。モネやドガやセザンヌの方がどこかもっと崇高さや気品を感じる。しかし僕はずっと何かもっと別の魅力をルノワールの絵に感じていて、しかしその理由を言葉にできないでいた。
 このエッセイで彼の絵のその言い難い魅力について書こうと思い考えているうちに、なぜかふとある写真が頭に浮かんだ。それは映画『セリーヌとジュリーは舟でゆく』撮影中の監督ジャック・リヴェットのスナップ写真で、彼はローラースケートを履いた主演女優二人と腕組みして幸せそうにステップを踏んでいる。監督と俳優の親密な関係性が見える幸福感の漂う写真だ。そしてこの親密さや幸福感がルノワールの絵を見る時に感じるものと同じだと気づいたのだ。
 ジャック・リヴェットの一連の映画作品は僕にとって大きな意味を持っていて、僕がアートから映画の方へシフトしていったきっかけの一つとも言える。特に『セリーヌとジュリーは舟でゆく』のインパクトはとても大きかった。これは「創作する者」と「創作される者」の関係が溶けていくような映画なのだが、僕はそこに映画作り自体の魅力を見て、こんな親密さを持った作品が作れるなら自分の人生で映画に携わるのもアリかもしれないと感じたのだった。ルノワールを擁護したかったのも、彼の絵から同じような親密さと幸福感をずっと感じていたからで、僕はずっと彼の絵の中の女たち(や男たちや子供たち)の画家に対する親密な視線が好きだったのだ。
 さて、ルノワールの話をするのにリヴェットを持ち出すのはちょっと突飛かなと思いつつ書いてきたのだが、考えてみれば、画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの息子の一人は映画監督のジャン・ルノワールで、リヴェットをはじめとしたヌーヴェルバーグの作家たちはジャンを映画の父のように敬愛していたではないか。それを思い出し、調べてみるとリヴェットは彼の映画の助監督もしているし、彼についてのテレビ番組を監督してもいるらしい。僕は突飛な発想をしたのではなく、ただ繋がっていたものをなぞっただけだったようだ。ピエール=オーギュスト・ルノワールの親密な目が息子に受けつがれ、それがヌーヴェルバーグのアニキ的存在のリヴェットへ受けつがれたのかもしれないと考え、ちょっと震えた。

PR誌「ちくま」4月号

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