大破した住宅、穴だらけの乗用車、なぎ倒された街路樹、ずらりと並ぶ真新しい墓、静まり返った街、花壇の真っ赤なチューリップ――。青空の下にまだらに破壊された日常がさらけ出されている。大嵐でも津波でもなく、人間の手によって作り出された状況だ。前線では砲弾と銃弾が飛び交い、爆音、黒煙、振動、悲鳴、涙、流血、死が飽くことなく日々生み出されている。戦闘が終わっても、占領地では屈辱的な思想の押しつけや弾圧、相互の憎しみが続く。
これが、2022年2月24日以降のウクライナで起きていることだ。言うまでもなく、プーチン政権のロシアが始めたことだ。ただし、ウクライナ東部ドンバス地方(ドネツク、ルハンシク[ルガンスク]両州)では既に14年からこうした状況は続いてきた。この年、南部クリミア半島もロシアに奪われ、実効支配されてきた。
22年5月、ロシア軍の侵攻で多くの民間人が殺害されたキーウ(キエフ)近郊のベッドタウン、ブチャの墓地で、ある年老いた母親に出会った。三男をロシア兵に銃殺されたマリヤ・コノワロワ(74)。彼女はこう訴えた。
「ここにどれだけの悲しみがあるか想像してください。私はプーチンに自身の子供たちを埋葬してみてもらいたい。そうすれば、彼が人々にどれほどの悲しみをもたらしているのか理解するかもしれません」
なぜ、こんなことになったのか?
私はモスクワ特派員として13年秋からウクライナ情勢をウォッチしてきた。17年春までの任期中、クリミアやドンバス、キーウなどに繰り返し足を運び、幅広い立場の人々に話を聞いた。ロシア国内での関連取材も重ねた。20年春からはエジプト駐在のカイロ特派員として中東・北アフリカ諸国を担当することになり、ロシアとウクライナの報道からはいったん離れていた。だが、ウクライナでの緊張激化と戦争勃発を受けて、地中海を越えて再び現地へ取材に赴く成り行きとなった。これまでに、侵攻開始前後の2月と5月にキーウとその近郊、南部ザポリージャ(ザポロジエ)、西部リビウなどで取材活動した。
ドンバスでの紛争は今にして思えばまだ局地的だった。今回の戦争は広域で展開され、破壊と殺戮、占領の規模は桁違いに大きい。ドンバス紛争はロシア側の戦争主体があいまいなハイブリッド戦争として続いてきたが、今度はあからさまな侵略戦争である。いくら取材して書いても、十分には伝えきれない。戦禍という巨大な壁を前に、一人の記者としてつくづく無力を感じる。だが、取材では現地の人たちから必死の思いを乗せた言葉を託された。それはしっかりと伝えなければならない。だから本書を書くことにした。
本書は、この戦争を描く何万ピース、何十万ピース規模のパズルのたった一ピースでしかないかもしれない。それでも、大きな絵と細部とを理解する一助になれば幸いだ。13〜17年の取材成果は筑摩選書『ルポ プーチンの戦争――「皇帝」はなぜウクライナを狙ったのか』(18年12月刊行)にまとめた。本書には続編的な意味合いも込めており、双方に目を通して頂くと、このロシア・ウクライナ戦争に対する認識がより深まるだろうと自負している。
まずはロシアの侵攻に至る長い経緯を概観したい。
【目次より】
序 章 再びウクライナへ
第一章 開戦前夜の日常
第二章 開戦の日のリビウ
第三章 侵略と虐殺
第四章 破壊と占領
第五章 展望はあるのか