母は死ねない

特集対談:「かくあるべき」家族の形に抵抗する(前編)
河合香織『母は死ねない』(筑摩書房)×武田砂鉄『父ではありませんが』(集英社)

様々な境遇の母親たちの声を聴き取ったノンフィクション『母は死ねない』を刊行した河合香織さんと、“ではない”立場から社会を考える意味を問う『父ではありませんが』を刊行した武田砂鉄さん。タイトルだけならば視点の異なる二冊のようにもみえますが、「家族とはこうあるべき」「人間はこう生きるべき」といった他者からの圧力、視線、呪いのような言葉たちから自由になろうという信念によって書き手二人の問題意識は通底します。人生における「べき論」をほぐす真摯な対談、前編です。



子供を社会で育てる、と言うけれど

河合
:私の周りでは、放っておいても小さい子供同士で遊びに行くということが減ってきています。都市部だけかもしれないけれど、親同士でアポをとって遊ばせることが多い。年齢が上がれば違ってくるのでしょうが、親のコミュニティがなければ子供に友達ができない、子供同士が遊ぶことができない状況もあります。だから、ママ友の輪から外れると子供も呼んでもらえなくなるかもしれないという心配がありました。

武田:解決策はないんでしょうか。子育て中の友人に、「ママ友のLINE」って言葉を出すだけで、色んな話が出てくる。皆悩んでいますよね。

河合:そんなに嫌なら一斉にやめればいいんでしょうね。でもそうなるとやっぱり子供の友達が……と戻ってくる。でも、これも居場所がないからですよね。最近は、危険だから子供だけでは公園に行かせられない、という考えもあります。

武田:よく「子供は社会で育てよう」なんてスローガンがあります。自分もそう思います。でも実際に子育てをしている人からみると「いやいや、そんなの、この状況からどうやったら到達できるの」となりますよね。第三者の立場から言えば、開かれた社会にしたいし、開かれたところで、不審がられない範囲で関与したいなっていう気持ちがあるんです。

河合:他人に対しての不信感が強い社会かもしれません。「見知らぬ人が遊んでくれた」と子供に言われたら、正直、どんな人なのか心配になりますよね。そこをどう開いていけるのか。「社会で育てるのがいいね」と当たり前に皆言うけれど、具体的にどうするのかという解決策が出てこない。そこから先が止まっていますよね。

武田:お子さんが急に「今日、この人(武田氏)とブランコで遊んできたよ!」って言ってきたら、親は「大丈夫か?」って心配になると思います。

河合:懐古主義的なことを言っても仕方がないのは前提として、昔はもっと他人に対しての信頼があったように思います。今は地域のつながりが希薄になっていることもあり、「知らない人」とは一緒にいられない。現実的に無理があるんだと思います。『母は死ねない』で登場する高知の町は、小さい子供連れだと近所の人が「大丈夫?」と声をかけてくれ、大変そうな時は食事を届けてくれるような場所。そのような地域社会が機能しているケースは、都心部では残念ながら少ないのが現状です。

武田:日頃の暮らしで振り返ってみても、そのあたりの所作はすごく難しいなと思っています。もちろん、妻の妹の子供であるとか関係性が明確になっていれば行動できますが……そういう「開かれた感じ」が発生しにくい不信感の強い社会だとすると、少子化対策が功を奏したとしても、この根本が変わらなければ、子育てしやすい社会というのは生まれにくいんじゃないでしょうか。

河合:親と子が一緒にいる時間を少し減らしてみるのも、開かれていくことに実はつながるかもしれません。主に育児をしている人、母に限らずお父さんがやっていることもあると思いますが、いま現在子供と一番長く一緒にいる人がもう少し子供との接触を減らしてみる、というか。様々な大人と一緒に子供を育てることができれば、親にとっても子にとっても、開かれた関係が築けるのかもしれません。

 

関連書籍

河合 香織

母は死ねない (単行本)

筑摩書房

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