神様ポジション
ある時、ゼミ生のK君から就職活動の相談を受けました。お母さんがあれこれ口を出してきて、それが苦しくて就職活動がまったくできない、という相談でした。話を聞いていると、たしかに、毎日毎日、K君はお母さんからものすごく指示出しされているようです。次々と「あれをしなさい、これをしなさい、なんでこれをやっておかないのっ!」という言葉が矢継ぎ早にとんできて、彼は動く間もなく固まっている。そんなイメージです。
それでふと、「ところで、お母さんは何のお仕事をされているの?」と聞きました。民間企業の就職活動にそれほどくわしいなんて、たとえば、会社で長らく人事を担当されているのかな、などと私は想像したのでした。
そうしたらお母さんは、専業主婦でしかも大学卒業後すぐに結婚したため、外ではほとんど働いたことがない、とのことです。それで私は「なるほど」と唸り、K君の状況について理解を深めたのでした。
もちろん、経験がないからといって、人に何かを教えられないわけではありません。でも、まったく経験のないこと、つまりは落ち着いて考えてみれば、それについて全然知らないはずのことを、ものすごくよくわかっているかのように「こうした方がいいに決まってるじゃんっ」と言ってくる人って、すごくたくさんいます。
私はこうした現象を「神様ポジション」と呼んでいます。略して「神ポジ」です。活用は、「神ポジをとる(神ポジに立つ)」、「神ポジをとられる(神ポジに立たれる)」の二つです。
「Aには、〇〇は無理に決まってるじゃんっ」というような表現は、Aさんに対して「神ポジをとる」ことになります。Aさんに○○ができるかどうかわからない立場にいるはずなのに、相手のことをすべてわかったかのような神様みたいなポジションから発言されているからです。
たとえば、こんな感じです。
部活編:「Aは〇〇なんだから、△部は無理に決まってるじゃんっ」
進学編:「Aは〇〇なんだから、△学部ではやっていけないに決まってるじゃんっ」
お洋服編:「Aは〇〇なんだから、スカートは似合うわけないじゃん」
恋愛編:「Aは〇〇なんだから、B君と付き合うのは無理に決まってるじゃんっ」
アルバイト編:「Aは〇〇なんだから、接客なんか向いてないに決まってるじゃんっ」
仕事編:「Aには、○○は向いてない」
どうでしょうか。
だんだん、げんなりしてきましたね。まさに、「あなたは神様ですか?」と聞き返したくなるほどの断定ぶりです。善意のつもりでこうしたことを言ってくる人もいますが、ここにあるのは否定と決めつけです。
こうして個別にとりあげてみれば、神ポジ発言の非現実ぶりさに気づき、「やっだぁ、あはは」と笑ってしまう人もいることでしょう。冷静に観察すると、ある意味、面白いですから。
でも、学校の先生やお父さんやお母さんにやんわりと繰り返されたり、仲のいいお友達にさらりと言われたりすると、一瞬、体が固まってしまい、何も言い返せず「言われた、とおり、かもしれない」と心がぐらぐらと揺れてしまうかもしれません。「こうしたいっ!」という明るい意欲が、「ダメかも」という陰りでシュッとしぼんでしまうかもしれません。
少なくとも、「あなたは、私をどこまで知っているんですか? 世の中のことがすべてわかるんですか? 未来が見えるんですか? あなた、神様ですか?」などとクールに切り返すことなどできないはずです。
ところで、サッカー観戦なんかは、人によっては一種の「神ポジ遊び」なのではないかと私は以前から想像しています。世界で活躍しているプロ選手がシュートを外すと、サッカーボールをろくに蹴ることすらできない素人でも、「もっと足の角度をこうすればシュート決まったのにさっ! ダメだなっ!」とか言って、神様ポジションで観戦してそれを楽しむ、みたいな。あえて神ポジをとりまくって全能感を満たす観戦の仕方もあるのかもしれません。
とはいえ、身近な人に「なんでこうやらなかったのっ! ダメだなっ!」と神ポジをとられるのは嫌なものです。「嫌だな」と思えるならまだまだ被害は少なく、安全圏といえます。それよりも怖いのは、相手の神ポジ発言を受け入れてしまう事態です。繰り返し繰り返し否定的なメッセージを受け続けると「自分は〇〇なんだから、T大学の受験は無理」とか、「自分は〇〇なんだから、やっぱこれは無理だよね」と自分で思い込むようにもなりますから。
他方で、人に何かを言われると従ってしまう場合、相手に「神ポジをとらせる」と表現します。たとえば、「嫌だと思っても、親の言うことには従っちゃうんです」という話を、私はこれまですごくたくさんの人││若者から大人まで││から聞きました。私にはそうした経験がなかったので、かつては「い、い、嫌なのに従うって、どどど、どういうこと?」とずいぶんと前のめりに聞き返していたものでした。けれども、誰かに何かを「あなたは、こうです。こうするのが、正しいのです」とスッパリ断定され続ければ、「そうですか」と従ってしまうことってあります。
ですので、他者からの否定をクールにかわし、他者からの支配にあらがい、他者への依存を脱し、私たちが健全に自分のニーズを持ち続けるためにも、神様ポジションの基本構造は理解しておくとよいでしょう。
さて、こんなふうに話す私は、誰かに「神ポジをとる」ことが少ない方だと自認しています。そうゆうの苦手です。私と同じタイプの人もいるのではないでしょうか。では、そうしたみなさんが神ポジとは無縁に生きているのかと思いきや、まったく、そんなことはないんです。
私も若かりし頃、神様として君臨しまくっている領土がありました。領土の民を信頼もせず、休息も安らぎも与えず、適切な管理もせず、一方的に支配している対象がありました。
さて、いったい、私は何を支配しようとしていたのでしょうか。
そうです。自分自身です。
私は、自分に神ポジをとりまくっていたのでした。そしてみなさんのなかにも、自分に神ポジをとりまくり、「(自分)ダメだなっ!」と否定し続けている人は、おそらく、たくさんいるはずです。
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