料理人という仕事

料理人になる方法

料理人・飲食店プロデューサーの稲田俊輔さん。数々のレシピ本を出し、食に関するエッセイ・小説なども精力的に発信しています。そんな稲田さんが、料理人という仕事について考えを綴った連載がはじまります。どうすれば料理人になれるのか?必要なものとはなにか? 一人でやるのか誰かとやるのか? そんな疑問に答えます。飲食店のバックヤードに興味がある人、つい飲食店の開店動画を見てしまう人、必見です。

料理人になるためのルート
 プロの料理人になるためには、いくつかのルートがあります。
 まず王道は、なんと言っても調理師学校を卒業し、そこからの紹介などで然るべき飲食店やその運営会社に就職するルート。就職のしやすさやその後のキャリアアップを含めて考えても、このルートが最も確実なのは間違いありません。私自身は結局、調理師学校を経ないままプロになりました。それでもなんとかなりはしましたし、ある意味それで良かったとも思っていますが、それはあくまで結果論でしかないのも確かです。
 とは言え調理師学校は、決して安いとは言えない学費がかかりますし、当たり前ですが卒業までの期間もあります。1年や1年半といった短期コースもありますが、基本は2年以上。なので親の理解と協力が必須ですし、それ以上に自分自身の人生に対する計画性が必要です。
 しかし世の中は環境に恵まれた人ばかりではありませんし、自分の人生を常に計画的に考えられる人ばかりでもありません。そんな場合は「思い立ったが吉日」とばかりに、いきなりお店に飛び込んで経験ゼロから修行を始める、という手もあります。「飛び込む」と書きましたが、求人サイトを見れば「経験不問」と書かれた求人はいくらでもあります。良くも悪くも今は飲食業界全体が慢性的な人手不足なので、ある意味「選び放題」でもあります。ただしそこにはある種の落とし穴もあるのですが、そのことについてはまた後ほど。
 なんとなく成り行きでプロになってしまった人、というのも実は数限りなく存在します。典型的なパターンとしては、学生時代に飲食店でアルバイトを続けていて、結局そのままそこの社員になる、みたいな。あまりポジティブな選択には見えないと思うかもしれませんが、それはそれで立派な人生の決断です。運命って案外そういうものだったりします。
 一度別の業界に就職した後、中途で飲食業界に転職するというのもよくあることです。こういう人々は、飲食業界にとってはある意味尊い存在です。なぜならば、一度別の社会を知った上で「やっぱり自分の生きる道は飲食だ」と、明確な意思を持った存在だから。既に社会常識を身につけている、というのも実は大きな強みです。こういった人々は最初、料理の経験や技術が無いことに対して躊躇いや引け目を感じていることが多い印象ですが、そこを心配する必要はありません。必要な技術は後からいくらでもついてきます。
 40代、50代以降、人生の後半戦でいきなりプロになる人もいます。世の中では、趣味が嵩じて自分で蕎麦屋や居酒屋などの店を始め、失敗して退職金がパー、みたいなエピソードが面白おかしく語られたりもしますが、実際は成功して幸せな後半生を歩む人も少なくありません。運命の分かれ道は「おいしい料理さえ出せば店は成り立つ」という世間にありがちな誤解について、どれだけ正しく理解しているかどうかです。このことはもちろん年代を問いません。
 さて、この連載のテーマは、いかにして「幸福な料理人」になるか、です。どういうルートでプロになるかは、その最初の重要なステップ。ではどういうルートを選択するのがベストか、という話に行く前に、飲食業界の厳然たる事実についてお話しします。

「業態」とは何か

 世の中にはいろいろなジャンルのお店があります。和食、フレンチ、イタリアン、エスニックなどの総合レストラン、そして寿司、ラーメン、カレーといった専門業種のいろいろ。そしてそういった縦割りのジャンルだけでなく、高級店、準高級店、カジュアル店、大衆店、低価格店という、言うなれば縦の序列のようなものもあります。
 この縦の序列は「客単価」という言葉でも表されます。客単価とは、そのお店で支払う一人当たりの平均的な金額です。例えばイタリアンひとつ取っても、客単価数万円の高級店もあれば、5000円程度で収まるカジュアル店もあります。皆さんよくご存知の〔サイゼリア〕は、平均客単価が1000円を切っており「低価格店」と言えるでしょう。
 この、縦と横のマトリックスに区切られたひとつひとつのマス目が「業態」です。世の中には実にさまざまな業態の店がある、ということになります。
 大前提として、業態ごとに貴賤はありません。それぞれがそれぞれの形で社会に貢献しており、ビジネスとして考えたときも、それぞれの難しさ、そしてやり甲斐と楽しさがあります。それぞれのお店にファンがいて、ひとりひとりの料理人は、自分が魅力を感じる業態で働くことになります。
 ただし、社会の中における飲食店の位置付けということであれば、業種ごとの序列のようなものもあるのもまた確かです。世間一般の目から見れば、伝統的にフレンチは地位の高い業態です。イタリアンはそれに次ぎますが、最近ではむしろ逆転しているような印象もあります。日本料理や寿司はまた、別軸でその格式を認められています。そしてその序列は、そういったジャンルごとの違いより、むしろ「客単価」の違いの方にはっきり現れます。実も蓋も無い言い方をすれば「高い店ほど尊重される」、これが厳然たる事実です。
 世間の目がどうであろうと自分には関係ない、と言えばそれまでですが、飲食業界の内部事情の面から見ても、やはり業態ごとの序列には一定以上の意味があります。それをあえてシンプルに表現するならば、「あえて上流から下流に移ることは簡単だが、下流から上流に遡ることは難しい」ということになるでしょうか。

高級割烹出身、AくんとBくんのライフストーリー

 わかりやすく説明するために、あるひとりの若者Aくんのライフヒストリーを追ってみましょう。
 調理師学校を卒業したAくんは、狭き門をくぐって日本料理の名店と言われる高級割烹に入店を果たします。最初は補助的な雑用ばかりでしたが、真面目にそれをこなしているうちに、だんだんいろいろな仕事を任せてもらうようになり、数年後には中堅と言っていいポジションに昇り詰めます。
 Aくんはここで、もう少し別の広い経験を積みたいということを考え、まださほど有名ではない新進気鋭のこじんまりとした日本料理店に移ります。既に一通りの仕事がこなせるAくんはそこでも重宝され、いつしかオーナーシェフに次ぐ二番手となり、常連さんたちからも可愛がられます。
 そんな常連さんのひとりに、手広く飲食店を経営している社長さんがいました。Aくんはその社長が新しく始める高級居酒屋の料理長としてスカウトされます。オーナーシェフとの話もちゃんと付けて店を移り、今度は多くのスタッフの上に立って店を繁盛店に導きます。その会社では指導的立場に出世して、給料もぐんぐん上がります。
 しかしAくんはやっぱり、自分の手で作った料理を目の前のお客さんに喜んでもらう、ということが自分の元々やりたいことだったと思い出し、独立を決意、地元でカウンターメインの居酒屋を開業します。これまで培った技術と経営知識を活かして、その店は「一見気軽な居酒屋なのに、割烹レベルの気の利いた料理が出てくる店」という評判を呼んで繁盛します。
 ……これは、まあ、極めて理想的でスマートな一例で、実際にはもっと泥臭いパターンだってあります。
  BくんはAくんと同じように名店で修行をスタートしますが、あまりの仕事の厳しさに、逃げるようにそこを辞めてしまいます。ふらふらしてるのもなんなので、とりあえず求人サイトで見つけたもう少し気楽そうな和食系の店に移ります。そこから同じような店を転々とします。しかしその間にも案外堅実にお金を貯め、いよいよ独立です。開業資金の安さや将来性といった観点から、ラーメン店を始めることにしました。参入障壁が低い(つまり、お店を始めること自体は比較的容易な)かわりに競争も激しいジャンルですが、「日本料理の名店出身の板前が作る無化調ラーメン」ということを売りにして、そこそこうまくやっています。

「高い店」からスタートするに越したことはない

 ここで念のためもう一度強調しておきますが、高級日本料理店も街場の割烹も居酒屋もラーメン店も、業態は違いますが、そこに貴賤はありません。AくんもBくんも堂々たる成功者であり、現実にはそこまで至らない無数のCくんがいます。2人に共通するのは、「上流から下流に」ステージを移す中で、その時その時の彼らなりの最善を尽くし、結果的に成功を導いたということです。
 実はこの逆はなかなか成り立ちません。例えば居酒屋でスタートした人が高級居酒屋に転職するところまではなんとかなりますが、じゃあそこから高級割烹に移って、そこで料理長を目指せるかと言えば、それはなかなか難しい。もちろん不可能ではありませんが、それは「心機一転、もう一回最初からやり直し」というくらいの覚悟が必要です。和食以外のジャンルだってもちろん同じです。高級イタリアンからカジュアルイタリアンへの転身は簡単ですが、その逆は、不可能ではないけれど難しい。
 料理人にとっての最終目標は「自分の店を持つこと」でしょう。実はこればかりがゴールではないのですが、そのことについてはまた後で詳しく触れるとして、ここでは一旦その前提で話を進めます。
  皆さんは最終的にどういう店を持ちたいでしょうか。高級店のスターシェフや一流パティシェを経て自分もそういう店を持ちたい、という人もいるでしょうし、カレーが好きだからカレー店をやりたい、カフェ巡りが好きだからカフェを開きたい、という人もいるでしょう。料理人になるということは、そんな夢に踏み出すための第一歩です。
 しかしある意味当たり前ですが、これから料理人になりたいと考える人は、まだ世間を知りません。飲食業界のことはもっと分かりません。特に中高生であれば、高級店のシェフになりたいと言っても、その高級店とやらが実際どういう店なのかはほとんど知らないのではないでしょうか。カフェが好きで行き慣れていても、お客さん側からは直接目に触れない内情がどういうものかは想像すらできないはずです。 
 そういう状態で、自分の進む道をあまりガチガチに決めてしまうのはもったいない話です。世の中には、まだ知らない無限の可能性があるからです。そういう意味でなるべく「ツブシが効く」ルートを入り口にした方が良いのは間違いありません。そういう意味で、有り体に言うならば「なるべく高い店」からスタートした方がいいということは言えるのではないかと思います。世間をまだ知らない若い人は特にそうです。
 カレー屋さんがやりたいからカレー屋さんで修行を始める、というのが間違っているとは言いません。しかしできることなら、その目標のためには、もっと伝統的な部分から包括的な技術体系が学べる総合的なインド料理レストランを経た方がベターですし、なんならその前に、飲食業全般にわたってツブシの効く技術や知識を叩き込まれるフレンチや日本料理を経験しておくと、それは一生に渡ってたいへんな強みになります。

ただし正解はひとつではない

 ここまでの話と矛盾しているようで実はしていない話をします。
 別の業界を経て飲食に飛び込むのも、なんなら人生後半からそれを志すのもアリだと思います。この場合は、すでにある程度世間を知っていることが大きな強みになります。既にある程度様々なジャンル、価格帯のお店を自分自身がお客さんとして楽しんでいるし、社会人としてそれらの店の内情がお客さん目線で見るそれとは多かれ少なかれ異なっていることも察することができるからです。ただしその場合も、最終的に自分がやりたい店よりワンランク上からスタートすることは、後々かなり効いてくると思います。
 アルバイトから成り行きでプロになるルートもアリ、とも書きました。この場合は「内情」を知り尽くしたところからのスタートなので、ここにもまたその強みがあります。そしてこれもやっぱり、どこかの時点で少しだけでも上位ランクの店に移り、そしてまた戻ってくるということも検討したほうが良いと思います。私はそういう人を幾人か見てきていますが、例外なく、ひと回り立派に(あえて上から目線で言えば「使えるヤツ」に)なって帰ってきます。
 こういうことは、若い人たちも知っておいて損はないと思います。つまり料理人になるかどうかの判断を少し先送りにして、進学なり、他の業界に就職することも、あながち遠回りとは言い切れないということです。
 いろいろと書いてきましたが、結局のところ「正解」はありません。もう少し正確にいうと、様々なルートに正解と不正解があるということかもしれません。料理人に限らず、人生は選択の連続であるわけですが、そこでより良い選択をするために必要なものは「知識」です。次回からは、さらにその知識を増やしていきましょう。