料理人という仕事

「手の早さ」は一生の財産

料理人・飲食店プロデューサーの稲田俊輔さんによる「料理人という仕事」。前回、料理人がどう料理を学ぶかの話をしました。それに関連して、このことだけは覚えておいてほしい「手の早さ」について、なぜこれが必要ななのかを考えます。

とある新人料理人の仕事ぶり
 私がかつてお世話になった先輩の店の話です。その店は今時珍しく、結構な席数があり、オープンキッチンではオーナーシェフである先輩を含めて3人の料理人がいつも忙しく立ち働いています。ある時その店に久しぶりに食事に行くと、そこにはもう1人、若い料理人がメンバーに加わっていました。ピークタイムは外して行ったので、料理人の皆さんは、仕込みをしながら時折入るオーダーに対応しています。新人の料理人さんは、ニンニクの皮を剥いてそれをスライスする仕事を任されていました。私は自分がオーダーした料理を待つ間、その新人さんの動きが気になって仕方がありませんでした。なぜなら、その手の動きが妙にノロノロしているように見えたからです。
 これは絶対に怒られる……。私は他人事ながらヒヤヒヤしていました。なぜならばその先輩は、仕事に対して人一倍厳しい人だったからです。怖いと言っても過言ではありません。新人さんの作業は、丁寧と言えば丁寧でした。決して安くはない店ですから、それはそうでなければならないでしょう。そのニンニクも、明らかに国産の、ぷっくりとした上級品でした。しかしそれにしてもその動きは、速さを意識しているとはとても思えませんでした。極めてマイペース、という印象です。
 彼のその姿は、明らかにオーナーシェフの視界には入っているはずです。その内にまた新しいオーダーが入り、料理人の1人は仕込みの手を止めて、その調理に取り掛かりました。材料の一部は、新人さんが作業しているコールドテーブル(下が冷蔵庫になっている調理台)にも収められていたようで、料理人さんはそこからも自分で食材を取り出しました。
 いよいよヤバい、と私は震えました。これは間違いなく怒られる。新人なんだから先輩の仕事を可能な限りサポートするのは当然、という以前に、自分の手の届く場所にある食材を取って手渡すことは全体の効率を高めます。しかし新人さんは、相変わらずマイペースにノロノロとニンニクを切っているばかりです。
 しかし結局オーナーシェフは、その様子をチラリと見ただけで、何も言いませんでした。私はほっとしつつ、でもなんだかむずむずして、後でオーナーシェフにそのことを話してみました。「先輩もずいぶん丸くなりましたね」と冗談めかして話題にしてみたのですが、先輩は複雑な笑いを浮かべて、こんなことを言いました。
 「今時そんなことをいちいち指摘してたら、すぐ辞められちゃうよ」
 それは冗談めかした問いに冗談で返す、というテイでしたが、きっと切実な本音だったのでしょう。
 「下手したらパワハラで訴えられるからね」
   その店の二番手の料理人さんが別の店に移ることはもう決まっており、人員の補充は必須だったので、辞められてしまうことだけは何が何でも避けなければいけないという事情があったようです。

「手が早い」とはどういうことか
 私は先輩が可哀想だと思いましたが、新人さんはもっと可哀想だと思いました。これは私の感覚が古いと言えばそれまでなのかもしれませんが、料理人の世界では「手が早い」というのは、最大級の褒め言葉であり、反対に「手が遅い」と思われることは最大の屈辱です。「手が早い」というのは、単純に手の動きのスピードだけを指すのではありません。もちろんそれは最重要事項ではありますが、食材や調理器具の配置に気を使ったり、何かあればすぐに他の人のサポートにも入れる態勢、無駄の無い動線、適切な段取り、そういった要素を包括した概念がこの「手が早い」です。「綺麗な仕事をする」という評価ともほぼ同義です。
 料理人は誰しもが、この「手の早さ」を身につけるのが大事だというのは、少なくとも私の中では常識でした。多くの場合、人はそれを先輩の背中を見て学びます。そしてそれだけではなく、「手の遅さ」を指摘されることで、なにくそ、と奮起します。意識して経験を積めば、(私のように不器用な人間でも)確実に手が早くなります。そしてある時から、あいつは手が早い、と一目置かれるようにもなるのです。
 その新人さんは(今のところ)完全にその機会を逸しています。かつてのように「何チンタラやってるんだ!」とドヤされることがなくなりつつある現代は、確かに働きやすくなったのかもしれませんが、自分からよほど意識し続けない限り成長の機会も得られない、というある意味シビアな時代でもあるのかもしれません。
 「給料に見合った最低限の仕事さえできていればいいだろう」「頑張りすぎると『やりがい搾取』になってしまう」といった考え方自体を否定するつもりはありません。お恥ずかしながら私も、若い頃コンビニでアルバイトしていた時などは、完全にこの考え方でした。いかに手を抜いて楽をするかしか考えていなかったと言っても過言ではありません。
 しかし料理人の世界というものは、そういうのとはやはり少し違うと思います。手の早さは、頑張る頑張らないといった精神論の話ではなく、歴とした「専門技術」だからです。頑張って急にどうにかなるものではありません。そしてその身につけた技術は、一生の財産となります。

スターバックスの「遅さ」
 スターバックスが初めて日本に進出した時、それを視察したカフェの関係者は皆、その「遅さ」に驚いたと言います。日本のカフェ・チェーンはどこも、いかに素早く商品を提供するかが考え抜かれています。皆さんも日頃、こういうカフェのカウンターで、1人のスタッフがレジもドリンク作りも兼任しながら、時には他のスタッフとも連携して流れるようにオーダーをこなしている姿をよく目にするのではないかと思います。コーヒーマシンのボタンをとりあえず押して、その間に別の少し手のかかるドリンクも作り、合間にレジをこなし、お客さんを誘導し、声を掛け合ってタイミングよく他のスタッフのサポートもする。そのための材料や器材の配置も、考えに考え抜かれています。全ては早さのためであり、「手が早い」という概念を、個人の技術だけではなく、システムとして実現しようとしているように見えます。
 そんな日本のカフェ関係者から見ると、スターバックスの思想は、そういうものとは全く違うものに見えたようなのです。スターバックスでは、ドリンクを作るスタッフは基本的にそのことだけに専念しており、なおかつ同時に複数の作業をこなすことはあまりありません。そもそも機材や材料はそれを前提にした配置にはなっていないように見えます。スタッフはあらゆるドリンクを一杯ずつ順番に作り、時にはそれに手書きのメッセージも書き込んで、待っているお客さんにニッコリと手渡します。その作業をレジなどにいる他のスタッフがサポートするのも見たことありません。
 しかし現実問題、スターバックスはそのやり方でしっかり支持を勝ち取り、大躍進を遂げました。もちろんそこには、ブランド力や付加価値の付け方など様々な要素があったからなのでしょうが、ある意味極めてマイペースな動き方は、少なくとも多くの人々に受け入れられています。
 何かというと「今時の若いもんは」と言い出す老害めいた言い方になりますが、スターバックスに限らず、最近の飲食業界の若手たちは「手の早さ」を、かつての我々ほど意識していないように見えます。自分らしくマイペースで働くことが、許容どころか評価される、そんな時代になりつつあるのかもしれません。ある意味、幸せな時代なのかもしれません。しかし本当にそれでいいんだろうか?と、私はふとした違和感も感じてしまうのが正直なところです。

人時生産性は最重要指標
 「人時生産性」という言葉があります。1人の人間が1時間あたり、どれだけの売り上げや利益を出しているかという指標であり、飲食店において最重要の指標と言っても過言ではありません。当然この数字は、高ければ高いほど良いわけです。かつてのように長時間労働が当たり前のように看過されていた時代より、今はかえってそれが重要になっています。
 もっともそのことを、料理人になったばかりの内は特に意識する必要はないかもしれません。しかしこれは、料理長や店長などもっと責任ある立場になったら常に意識する必要に迫られますし、ましてやもし最終的に独立を考えているのなら、そこでは大袈裟でなく死活問題になります。
 ここまででも何度か触れているように、今は雇用自体が難しくなっています。そうなると必然、少人数で効率よく成果を出すことは一層重要です。チェーン店では、その問題をシステムや機械化で解決しています。店舗での調理を可能な限り簡略化するためにセントラルキッチンの役割はますます重要になっていますし、モバイルオーダーやセルフレジ、そして遂にはネコ型配膳ロボットなど、人手を減らすための技術はまさに日進月歩。きっとそのうち、より高度な自動調理機械や、ドローンによる配膳なんかも生まれるであろうことは想像に難くありません。
 もちろんチェーン店ではない個人店でも、今後そういったテクノロジーを導入していく流れは進むことでしょう。「券売機」という、極めて素朴なセルフオーダー・セルフ会計システムは、既にすっかり市民権を得ています。配膳・下膳をお客さんがセルフで行うやり方は、かつては低価格店だけに許されるものでしたが、今では随分その範囲が広がっています。
 しかしそれでも、特にこれを読んでいるであろう料理人さんや料理人志望者がイメージするであろう個人経営の飲食店においては、人力によるアナログな生産性の向上は絶対に無視できないはずです。いろんな意味で、資本力の大きいチェーン店有利な環境は、今後も一層進んでいくと思います。そこと戦って勝つために、アナログな人事生産性の向上、すなわち「手の早さ」は、むしろ極めて有効な武器になるというのが私の基本的な考えです。手が早い/遅いは、もはや料理人のプライドの問題ではなく、まさに死活問題なのです。
 そうは言いつつ、「マイペースで自分らしく働く」という価値観は、世間でかなり浸透しつつあります。人事生産性を上げるアナログな努力としては、手の早さで多くの仕事をこなすのではなく、価格を上げるという方法もあります。実際、マイペースな仕事ぶりが逆に「クラフトマンシップ」的な好印象を与えることで、かえって高い価値を生み出しているような印象の店も少なくありません。スターバックスもある意味そのひとつなのかもしれません。
 営業は週4日だけ、それ以外の日は「仕込み」に充てています、場合によっては本来の店休日以外にも予告なく臨時休業します、営業している場合も売り切れ次第終了です、というスタンスの店は、都市部を中心に確実に増えています。そういうスタイルこそが現代的であるという見方もできるでしょう。
 誤解の無いように言っておきますが、そういう選択肢があること自体は問答無用で良いことです。本当に良い時代になりました。そういうスタンスで経営が成立している店は、お見事としか言いようがありません。むしろ全ての料理人にとっての理想の姿のひとつなのかもしれません。なんなら私から見ても羨ましいくらいです。
 しかし同時に、そこには本質的な危うさも感じます。若い割に妙に昔気質なとある店主は、同年代の同業者のそういうマイペースさに対して、
 「まあああいう店が増えてるのはむしろありがたいですよ。あいつらそのうち勝手に自滅して競合店が減りますからね」
 なんていう壮絶な皮肉を口にしていました。普段は穏やかで優しい男なので、私は私のことを言われているわけでもないのに、ちょっと背筋が凍る思いでした。
 「勝手に自滅する」という彼の見立てが、正鵠を射ているのかどうかは、私には判断しきれません。しかし少なくとも「手の早さ」は、この生き馬の目を抜くような飲食業界において、自分を守る基本スキルであり、最後の防衛戦なのは間違いないとも思います。いくらでも手は早くできるけど、ワークライフバランス的な価値観も含め、あえてマイペースを通すのと、マイペースにしかやれないからそうしているのとでは、全く違うと思います。それは、飲食業界で生き残り、そして幸せな料理人としての人生を生きるためには一生の財産である、という確信だけは揺らぐことはないでしょう。