料理人という仕事

ホールの仕事は料理人にとっても極めて重要

料理人・飲食店プロデューサーの稲田俊輔さんによる「料理人という仕事」。今回のテーマは料理ではなく「ホールの仕事」です。これらは別物と考えられがちですが、そんなことはありません。ホールから何を学べるでしょうか?

「キッチン」と「ホール」
 飲食店の仕事は大きく2つに分けられます。「キッチン」と「ホール」です。これを読んでいる皆さんの興味の中心は、おおむね「キッチン」の方にあるのではないでしょうか。すなわち料理人としての仕事ですね。しかし、料理人であっても「ホール」すなわちサービスの仕事はとても重要です。今回はそこを掘り下げていきたいと思います。

 キッチンスタッフの人数とホールスタッフの人数は、店の業態などにもよりますが、だいたい同数が基本です。小規模な個人店だと、たとえばご夫婦で営まれていて、男性がキッチンを、女性がホールを担当するというパターンをよく見かけると思います。そして店の規模が大きくなっても、このユニットが基本ということになります。
 ホールの役割は、特に説明は必要ないと思いますが、主に「接客」と「配膳」ということになります。ドリンクを作ってサーブするのも、お会計も、主にホールの役割。要するに料理以外全て、ということですね。
 先ほど「同数」と書きましたが、実際は同数だとキッチンの方の負担がやや重くなることも少なくありません。なのでホールスタッフは、本来のサービス業務の合間に、キッチンを補助することもあります。サラダやデザートなど、火を使わない料理は最初からホール側の役割だったりすることもあります。特に、皿数の少ないーーつまり定食屋さんなどの、お客さんに一回料理を出したらそれで終わりで、ドリンクの注文もさほど頻繁ではないような業態であれば、ホールスタッフは最初からキッチン兼任か人数少なめであったりもします。
 営業が始まる前、キッチンが仕込みの作業を行なっている間、ホールはホールで掃除やテーブルセッティングなどの仕事がありますが、この時間は基本的にキッチンの方が仕事が多いので、ホールスタッフもキッチンでの仕込みの方に回ることも多くなります。このように、ホールの仕事とキッチンの仕事は、完全に区切られているわけではないのです。   
  タイミングによっては、キッチンスタッフがホールを手助けすることもあります。例えば、料理は次々と完成するものの、ホールがお会計やドリンクに手を取られて配膳が滞る、というのはよくある光景。そんな時、キッチンスタッフがコックコート姿でホールに飛び出してきて、自分で作った料理を配膳まで行うのを目にしたことがある人も多いのではないでしょうか。あれはイレギュラーと言えばイレギュラーなのですが、お客さん側としてはちょっと「頼もしい」と感じたりもしないでしょうか。逆にホールに出てきた時のコックコートが薄汚れていて(コックコートはどうしたって多かれ少なかれ汚れるものではあるのですが)、ちょっと不快な思いをした人も中にはいるかもしれませんが。
  あの謎の「頼もしさ」をうまく利用する、という発想でしょうか、ホールスタッフの制服もコックコートで統一していた店もありました。もちろん汚れていないピカピカのコックコートです。うまいことやるなあ、と思いました。

ホールの仕事とその使命
 さて、このようにキッチンスタッフがホールの仕事に駆り出されるシーンは往々にしてあります。しかし配膳は単に料理を運ぶだけではありません。スマートにそれを行うのは「技術」です。技術が無ければ、それは単に「小汚い兄ちゃんに料理を置いて行かれた」だけになってしまいます。頼もしいどころではありません。配膳ではなくドリンクの方をサポートすることもあるでしょう。もちろんこれも技術です。習得していなければ、ただの役立たずのデクノボーです。
 なので多くの店で、キッチン志望であっても初期のタイミングで一定期間、ホール担当を経験させることがあります。個人的には、これはむしろ必須であると思います。今後いざという時にスムーズにホールをサポートできるようになるためでもありますが、実は本質はそこではありません。お客様が何を喜び、何を不満に感じるかを、お客様に一番近い場所で身をもって体験することこそが重要なのです。
 料理人は、とかく独りよがりになりがちです。自分が自分の思うベストを尽くせばそれで良い、と思ってしまいがちなのです。しかしホールに出ると、必ずしも「自分が思うベスト」がお客様にとってもベストであるとは限らない、ということを、身をもって知ることになるでしょう。例えば、作り手にしてみれば快心の芸術的で凝った盛り付けが、お客様にとっては単に食べづらいだけ、なんてことも往々にしてあります。
 また、あくまでお客様の目線で料理を見る繊細さも養われます。料理人は料理を作るのが仕事であるとは言っても、その料理のほとんどは毎日同じものを作り続けるルーチンワークだ、という話は既にしたと思います。だから料理人視点で見ると、その繰り返し何十回も作る料理の中に、ひとつだけちょっとした失敗とも言えない失敗が紛れ込んだものがあったくらいなら「まあいいか」となってしまいがちです。しかしお客様視点だと、それはそれが全てです。1/1なのです。このことの怖さは、ホールに出ると本当によくわかります。
 ホールに立つというのは、その1/1を見逃さないということでもあります。100%お客様側の立場に立って、料理に少しでも瑕疵があれば、それをキッチンに差し戻す使命があるのです。我々はその役割を「ゲートキーパー」と呼んでいますが、このゲートキーパーの精度は、実は普段から自分もそれを作っている料理人の方に少し分があります。なぜそのような(些細な)ミスが起こったかがすぐに分かるからです。更に「これ油の温度が高すぎるのでは?」など、より具体的な指摘も可能だったりします。コックコートのまま配膳する「頼もしさ」は、こんなところにも起因しているのかもしれませんね。
 同時にそんなゲートキーパーの役割を全うしたことのある料理人は、キッチンに戻っても、自然とより精度の高い仕事ができるようになるものです。

最悪の料理人
 とあるお店の営業中、私はお客さんとして、とてもよろしくない場面を見たことがあります。
 その時その店は忙しいピークタイムの真っ只中で、キッチンからはなかなか料理が出てこない状況に陥っていました。我々は「オペレーションが崩れた」状態と呼んでいます。どんな店にも起こりうる「魔の刻」です。不思議なもので、そういう時は焦っても何も出てきません。(更に不思議なことに、魔の刻を過ぎると全ての料理が次々と一気に完成したりもします。)
 そんな中、ホールスタッフのひとりがキッチンにこんな声をかけました。

「B3卓の2名様、お料理ご請求です」

 これをもう少しわかりやすく翻訳すると、「テーブルB3のお2人様連れのお客様が、時間がないから料理を早く出してほしいとおっしゃってます」ということですね。しかしキッチンからは、怒声と言ってもいい声で、とんでもない返答が返ってきました。

「こっちだって一生懸命やってんだよ!」

 これが最低最悪の返答であるということは、誰でも理解できるかと思います。それが料理長だったのか、その時その代理を務めていた人物だったのかはわかりませんが、完全に失格です。その時のホールスタッフの胸中を代弁してみましょう。

 「一生懸命かなんか知らねえけど、お前の『お気持ち』なんざどうだっていいんだよ! オペレーションが崩れてるのは誰の目にも明らかなんだから、お前はその状況をこっちに伝えるのが今の仕事だろうが。そんな当たり前のこともできねえガキはとっとと料理人なんか辞めちまえ!」

 もちろんそのホールスタッフは何も言わず踵を返しました。こんな頭に血が上った状態の馬鹿に何を言っても無駄だからです。せめて落ち着いてから謝罪の一言でもあれば良いのですが、たとえ謝罪があったとしても、信用はガタ落ちです。もちろんそんなやりとりを耳にしてしまったお客さんもいい迷惑ですし、もしかしたら二度と来ないかもしれません。
 しかし残念ながら、この種のやり取りは、多くの飲食店で起こっているはずです。この場合、本来の適切な返答はこんな感じでしょうか。

「(オーダーチップや厨房内の状況を瞬時に確認して)もうオーブンには入ってるから、遅くとも10分以内には出せるとお客様に伝えてください」

 緊急なのでもう少し手短でもいいですね。

「もうオーブンだからあと最長10分!」

 そうしたらホールスタッフはB3卓に戻り、その場に応じた適切な言葉遣いに翻訳して、それをお客様に伝えます。もしかしたら「10分は待てない」ということになるかもしれませんが、それでもそれは、最悪な状況下での最善の対応です。

サービスという「技術」
 この一例をとっただけでも、キッチンとホールは連携がとても大事だという事がお分かりかと思います。そのチームワークがあって初めて、お客様を満足させ、楽しませることができるのです。そういう意味で両者は対等なのですが、どちらがどの程度主導権を持つかは、店によって少しずつ異なります。先ほどの「一生懸命やってんだよ」の店は、なんとなく、あまり良くない意味で普段からキッチンに主導権がある状況を思わせます。
 最近は、どちらかというとホールに主導権がある店が、昔より増えている体感があります。昭和の時代まで遡れば、今で言うホールスタッフは「お運びさん」と呼ばれたりもしていました。求人広告でも「お運びさん募集 若干名」みたいな感じです。つまり料理さえ運んでくれたらそれでいい、ということです。もちろん接客業ですから、単純にそれだけというわけにも行かなかったはずですが、現代とはかなり意識は違ったはずです。
 今でも古くからの店で時々、お店の人が(今の感覚からすると)妙に無愛想だったりつっけんどんに感じられたりすることがありますが、あれは「接客」「サービス」という概念が今ほど浸透していなかった時代の名残りでもあります。個人的には決して嫌いではありませんが、今はかつてと比べてサービスが技術として格段に進化しています。言葉遣いはもちろん、笑顔での接客、お客様に対する声の掛け方やタイミング、商品知識、あるいはそれこそキッチンとの連携など、サービスマンは料理人と同じく、プロフェッショナルな専門職なのです。
 逆に言えば現代のサービスマンは高度な技術を身に付けねばなりません。そして料理人もまた、それと同等レベルのものを身につけられるに越したことはありません。特に、最終目標として独立を考えているなら、それはむしろ必須と言っていいでしょう。

ホールの仕事を侮るなかれ
 私がかつてキッチンスタッフとして働いていたあるお店は、3フロアある大型の店だったこともあり、キッチンスタッフとホールスタッフは、珍しく完全に分業でした。お互いがお互いの仕事に全く立ち入ることが無いだけでなく、キッチンは完全にホールから隔離される作りだったので、お互いの仕事の様子は全く知りえません。それもあってその店は、完全にホールが主導権を持つ店でした。キッチンは、全てホールの指示に従って動くしかなかったのです。
 ある時そのキッチンで料理長に次ぐ二番手だったコワモテの先輩が、意を決したように店長にくってかかったことがありました。
 俺たちが大変な思いをして重労働で料理を作ってる間、ホールのやつらはそれを運ぶだけで、後はお客さんとくっちゃべってるだけだ。なのにいつも偉そうに俺たちに指示を出すばかりで、しかもそれで給料が同じなのはやってられない。だから俺はこんな店辞める、というのがその主張でした。
 しかしその時店長は、ことも無げにそれをいなしました。

「そうか、だったらお前、ホールにコンバートしてやろうか」

 先輩は先ほどまでの勢いはどこへやら、あっさりとその条件をのみました。そして早速翌日から、小汚いコックコートから可愛らしいホールの制服に着替え、丸坊主の頭を赤いバンダナで隠した先輩は、ニッコニコでホールに立つことになりました。その様子をチラ見した我々キッチンの若手スタッフは、陰で腹を抱えて大笑いしました。
 結局先輩は、1ヶ月もたたない内にキッチンに戻ってきました。使い物にならなくて追い出されたのか、ホールの大変さに初めて自ら気付いたのか。もちろん先輩は多くを語りませんでしたが、キッチン内における彼の立場は微妙に変化していました。かつては「顔は怖いけど腕は確かな料理人」と見做されていた彼は、今や「ただの中途半端なヘタレ」になっていたのです。さすがに居た堪れなかったのでしょうか、結局その後しばらくしてそこを辞めていきました。
 ホールの仕事、努努侮ることなかれ。料理人こそ、そのことは常に肝に銘じていなければなりません。