料理人という仕事

料理人は料理だけをつくっているのではない

料理人・飲食店プロデューサーの稲田俊輔さんによる「料理人という仕事」。今回のテーマは「料理人が料理以外にやっていること」です。もちろん料理をするだけが仕事ではありません。ではなにをしているのか? その苦労とはなんでしょうか?

架空のドラマの架空のシナリオ
(営業終了後の店内。テーブルに突っ伏して頭を抱えているタクゾウ。物陰からそれを心配そうに見守るキョウコ。)
「タクゾウ……だいじょうぶ!?」
「いや、今日は忙しくて疲れたから、ちょっと休んでるだけだよ」
「……もしかして、来週末のタカヤマ様の料理内容、まだ悩んでる?」
「メインは野鴨にした。タカヤマさんの大好物だし、運良くタカヤマさんの故郷の岐阜から仕入れられた。ちょっと期間は短めかもしれないけど、今吊るして熟成中」
「なら良かったけど……」
「ソースももう決まってる。ほら、前に長野のりんご園から未熟果のグラニー・スミスを送ってもらって冷凍してあるだろう? あれをそのまま、皮も芯も丸ごと冷凍粉砕して、あえて火入れはせずに仕立てようと思ってる」
「なるほど! 鴨にはやっぱりフルーツのソースが王道だけど、タカヤマさん、甘いソースはお嫌いだものね」
「そう。鴨のローズピンクにグラニースミスのくすんだ緑、色合いもばっちりだと思う。ただ……」
「ただ?」
「タカヤマさん前に、中国人の奥様を亡くされてるだろう? 確か亡くられた日が、その来週の予約の日あたりだったんだ」
「……!」
「差し出がましいのかもしれないけど、奥さんの思い出をなるべくさりげなく、その皿に盛り込みたいんだよ!」
「奥さま、確か中国四川省のご出身だったよね」
「そう。赴任中に知り合ったって言ってたよね。……でもだからと言って、うちのフランス料理に、四川料理を取り入れるわけにはいかない」
「ん? そうかな? そんなこともないんじゃない?」
「え!?」
「ほら、この間食べに行ったお店の四川担々麺、あの青山椒、晴々と爽やかで凄くおいしかったじゃない。案外鴨にも合うんじゃない?」
「確かに……。鴨だけじゃなくて未熟リンゴのあの独特なフレッシュ感も引き立てそうだな……」
「そうねえ、でも青山椒だけだと、なんだか画竜点睛を欠く、て感じね」
「そこは神楽南蛮なんてどうかな? 辛味の強い青唐辛子けど、うまく使えば目立ちすぎない香りのアクセントにもなりそうだし」
「緑づくしってことか! すごくいいと思う! そういえば昔奥様が付けてらした翡翠のブローチ、すごく綺麗だった……」

 架空のドラマのシナリオをでっち上げてみました。書いてる途中でなんだか妙に楽しくなって、やや筆が滑ってしまった気もしますが、一応プロの料理人の威信をかけて、料理の内容は真剣に考えてみました。いかがでしょうか?
 しかし、プロの料理人である私は知っています。これは嘘です。嘘と言って言い過ぎなら、ある種のファンタジーです。実際の料理人の仕事は、残念ながらこんなに悠長で牧歌的なものではありません。

料理人の仕事は料理だけではない
 飲食店の仕事は料理を作ること、というイメージがあるかと思います。まあそりゃそうですね。料理は料理人にとってとても大事な仕事です。しかし大事なのは、料理だけが料理人の仕事ではない、ということです。
 実際のところ、料理は飲食店の仕事の一部でしかありません。厳密に数値化するのは難しいですが、せいぜい1/4といったところでしょうか。しかもその1/4のほとんどは、日々かわりばえのないルーチンワークです。決まった仕込みをして、決まったレシピで決まった料理だけを毎日作り続けます。「頭を悩ませて料理をクリエイトする」なんて、その中の極々一部でしかありません。(もちろんその「かわりばえのないルーチンワーク」こそが重要、というのは以前書いた通りです。)
 飲食店でも(当然のことながら)管理業務は普通の会社同様発生します。人事、経理、総務、教育、受発注と在庫管理、広報、営業、情シス、ETC… 飲食店というのは基本的に経営規模が小さいので、効率化にも限度があり、かなりの割合の時間がそこに割かれます。
 そして飲食店には膨大な「名も無き雑用」があります。片付けと掃除はどうかすると料理より多くの時間が必要で、洗う、磨く、修理、整理、そして厄介なクレーム対応……などなど、言い始めるとキリがありません。
 前回も説明した通り、新人料理人はこの「名も無き雑用」の内の、比較的簡単な業務――片付け、掃除、洗う、磨く、などーーに、とりあえず忙殺されることになります。まあそれはそうですね。どんな仕事でも、新人ってそんなものです。そしてしばらくそれを頑張っていると、後輩も入ってきたりして、ちょっと楽になりそうな気もします。しかし残念ながら、それはそうでもありません。なぜなら中堅には中堅の、中堅にしかできない雑用があるからです。はっきり言って、料理人は、というか飲食の仕事に就く全ての人は、一生この「名も無き雑用」からは逃れられません。
 さて、新人料理人からスタートしたあなたが、情熱を忘れずに、様々な苦難を乗り越え、ライバルを蹴落とし(と言いますか、ライバルたちは勝手に脱落していくのですが)、ついに料理長にまで上り詰めたとします。おめでとう。名も無き雑用からは、完全にではありませんが、かなり解放されます。仕事時間のうち半分以上が料理に直接関わる業務になるかもしれません。まあそこまで来ても「かわりばえしないルーチンワーク」の方がやっぱりメインかもしれませんが、嬉しいことに「新しい料理をクリエイトする仕事」がようやく本格的に手に入ります。いやあ、良かった良かった。ここまで頑張った甲斐があったというものです。
 料理長は管理業務の一部も託されることになりますが、その主なものは、原価管理と仕入れです。言っておきますが、ドラマのように、ひとりのお客様の一度きりのディナーのためだけに特別な食材を仕入れるようなことはまずあり得ません。しかし自分が使いたい食材を許される原価の範囲内で仕入れ、調理にかかる工数(手間)も含めてきっちり利益の出る料理に仕上げることは、クリエイトの中でも最も重要かつやりがいがある要素です。
 ここで一応大事な釘を刺しておきます。逆に言うと、本格的に料理をクリエイトする仕事は、料理長になって初めて手に入ると思っておいた方がいい、ということです。
 少し脱線しますが、(釘を刺しっぱなしも何なので)ちょっとこの辺りをフォローしておきます。お店によっては、もっと早い段階で料理を考える仕事を与えてもらえるケースも決して少なくはありません。それはお店の規模にもよりますし、また、そのお店が積極的に新しいメニュー開発を行うタイプの業態かどうかでも大きく変わります。そしてそれ以上に、そうやってあえて中堅料理人に責任ある大事な仕事を任せて、モチベーションを上げつつ成長を促す方針がその店に(あるいは料理長に)あるかどうか、ということで決まります。働く店を決める時は、その辺りもしっかり見極めてくださいね!

店長はつらいよ
 話を元に戻します。
 料理長になった後、もしくはそれよりもっと前に、あなたは重大な決断を迫られる可能性があります。それは「店長になるかどうか」です。最初に言わずもがなの確認をしておきますが、店長は文字通りその店のトップです。リアルな力関係はケース・バイ・ケースですが、少なくとも職位としての店長は料理長より上です。例外もありますが、給料も料理長より上です。つまり「出世」です。「店長をやらないか」と声をかけられるのは、つまり抜擢です。あなたの誠実な仕事ぶりが評価されたのでしょうね。
 そんなわけで、あなたはめでたく店長になったとします。脅したくはないのですが、ここからが修羅場です。最初に少し書きましたが、膨大な管理業務があなたに託されます。そして(脅したくはないのですが)、あなたは管理者と同時に「名も無き雑用部門の最高責任者」にも自動的に就任することになります。スタッフ全員のあらゆる尻拭いはあなたの仕事。店長は文字通り「店のトップ」ですが、もっと適切な一般用語で言えば「中間管理職」です。
 管理業務の大変さは言い始めるとキリがありませんが、ここではあえてひとつだけに絞って、今最も店長たちを悩ませる管理業務に軽く触れておきましょう。それは「採用」です。人口減少に伴い、日本の労働人口は減るばかり。特にこれまで実質的に飲食業を支えてきてくれた若年層が減っています。スタッフを募集しても、おいそれと応募は来ません。店内に張り紙をしても、高いお金を払って就職サイトに募集登録をしても、やっぱり来ません。運よく応募のメールや電話が来ても……これはここだけの話ですが、面接はかなりの確率でばっくれられます。
 ようやく採用できても、当然「売り手市場」となっていくばかりなので、人件費は嵩む一方です。そして、せっかく高い給料で若者に来てもらっても、彼らは往々にしてあっさり辞めていきます。これは特に強調しておかねばなりませんが、給料が高いのも、気軽に転職できるのも、社会全体にとってはとても良いことです。飲食業全体にとっても、長い目で見れば良いことです。だからそのこと自体を否定するべきではありません。しかし、あくまで「店長」だけから見ると、それは地獄です。

 薄々お気づきでしょうが、店長は料理をしている暇などありません。店によっては「店長兼任料理長」という立場もありますが、その場合も実質的にはだいたい同じことです。おかしいなあ、料理がしたくてこの業界に入ったのになあ……そんなジレンマを抱える店長が、この業界にはたくさんいます。
 こんなことばかり言うと、誰も店長になりたがらないかもしれません。私としても「ちょっと脅し過ぎたかな」と思い始めているところではあります。ですが、店長という仕事の面白さ、やり甲斐、実は誰よりもクリエイティブである、みたいな話は、いずれしていきたいと思っています。とりあえず今はひとつだけ、とても大事なことをお伝えしておきます。
 料理人としての最終目標は人それぞれでしょうが、そうは言ってもその最大のものは「独立して自分の店を持つ」でしょう。その前提で言うならば、「店長」という立場は、絶対に一度は経験しておいた方がいいと思います。
 独立の話が出たついでに、独立とは何かについて、あえて今回のテーマに沿って簡単に触れておきます。今回、飲食店の仕事は料理に加え膨大な管理業務と無限の雑用である、と説明しました。独立というのは、その全てを自分自身が引き受けるということです。
 ここではこれ以上のことは言いません。これも続きはいずれ詳しく。

 飲食店を扱うドラマや漫画や小説などで、店のシーンでは、料理をするところしか基本描かれません。しかもその中で登場人物たちはなぜか四六時中新しい料理をクリエイトしています。管理業務や雑用のシーンが描かれることはまずありません。なぜそれを「ファンタジー」と評したかは、おおよそお分かりいただけたのではないでしょうか。
 新しい料理を考えることは、とても、とても大事です。お客さんのひとりひとりに喜んでもらうために何ができるかを考えることも大事です。それは単に大事なだけではなく、間違いなく料理人のとっての生き甲斐です。でもそれは、日々の膨大な業務を少しでも効率よくこなす合間に、全力で時間を捻出して初めてやれることなのです。
 おいタクゾウ。なに呑気にテーブルに突っ伏して苦悩してんだよ。そんなことは洗い物を片付けながらやれ。じゃないと今日もまた終電で帰れないだろ。