料理人という仕事

料理を学ぶということ

料理人・飲食店プロデューサーの稲田俊輔さんによる「料理人という仕事」。料理人はいかにして料理を学ぶのでしょうか? 料理学校、働いているお店・・・・・・。料理を学ぶ際の基本から伝授します。

「見て覚える」こそが重要
 さて、あなたは新人として先ずは調理補助に追われ、それにもだいぶ慣れてきました。スピードも最初の頃に比べて格段に速くなったはずです。指示を待つだけでなく、自分から仕事を見つけてテキパキとこなせるようにもなったでしょう。
 もしかしたらそれと並行して、ホールの仕事も一通り体験できたかもしれません。であればラッキーですね。いずれにせよ、そのあたりから徐々に、もっと料理らしい料理を任されるようになっていきます。最初は簡単な仕込みや、既に仕上がっているパーツを組み合わせるだけのことだったりもしますが、もちろん徐々にその内容は高度なものになっていきます。
 任せられると言っても、当たり前ですが、どんな簡単なものでも最初は教えてもらわないといけません。なのであなたがやらねばならないことは「教えられたことを教えられたままに忠実に行うこと」です。しかしここで、残酷な事実があります。同じことを同じように教えられても、おぼえのいい人間とそうでない人間がいるということです。そこはもう、身も蓋もないのですが、努力しかありません。センスの差はそれで埋めるしかないのです。
 ただし努力の仕方にもやっぱりコツがあります。最高のコツをひとつ教えましょう。それは、先輩のやっていることを常に観察し続けることです。実はこれは既に入店した瞬間から始まっています。実際教えてもらえる段階になってからでは、実は遅いのです。もちろん、自分には自分の仕事があるわけで、それで手一杯かもしれません。しかしそれで諦めたらそれまでです。チラ見でも、バレない程度に自分の仕事を(多少は)手を抜いてもいいでしょう。とにかく、見る。観察する。時には「なぜそのタイミングでそれをするのか」を考えてみる。考えてわからなかったら聞いてみる。これは言い切ってもいいのですが、聞かれて答えてくれない料理人はいません。それどころか、確実にあなたの評価は上がります。先輩は、そのことの大事さを知っているはずだからです。
 なので実は、自分の仕事を一旦中断して一時的に先輩の仕事を見ることに専念しても、たぶん怒られません。これはさすがに「絶対」とまでは言えず「たぶん」でしかありませんので、そのあたりはその都度空気を読んでください。でもたぶんだいたい大丈夫。
 昨今、「見て覚えろ、なんて時代錯誤だ」ということがよく言われます。しかし私の経験上、少なくとも料理に関しては、見て覚えるほど効率的な学習法はありません。ただし同時に、見て覚えるだけでは限界もあります。見て覚えろが時代錯誤、というのは、それだけで完結させろということは無理がある、ということだと解釈すべきです。見る、質問する、見る、見る、質問する、見る……この繰り返しが最も効率がいいと私は確信しています。あくまでその総仕上げが「教えてもらう」だと思っておいた方が良いでしょう。

料理人の個性、店の個性
 そうやってあなたは、先輩たちの技術を徐々に我が物にしていきます。「盗む」と言ってもいいでしょう。ここでちょっとした問題が発生することがあります。A先輩のやり方とB先輩のやり方が微妙に違うことがあるのです。むしろこれは飲食店あるあるでもあります。もちろんあなたは、両方の先輩の顔を立てる必要があります。A先輩の見ている前ではやり方Aを、B先輩の見ているところではやり方Bを実行するのみです。2人とも見ていたら? まあそれは状況に応じてなんとかしてください。場合によってはしれっと2人の前で「どっちのやり方がいいんですかねえ」と質問して、自分たちで解決させるという高等テクニックもあります。
 めんどくせえな、と思うかもしれません。しかしこれは案外、自分の糧になります。言うなれば2通りのやり方を知れて、さらにそのどちらが優れているかを自分で考える良い機会だからです。なぜそれが「良い機会」なのか。ここまであなたは、先輩たちを全面的に信じて、教えられた通りにやってきました。しかしそろそろ、それを疑い始めてもいい段階だからです。
 料理人ひとりひとりには、ある種の「クセ」があります。これはほぼ「個性」と言い換えてもいいと思います。そして当然ながら、店にも店ごとのクセがあります。それがその店の個性です。自分がこれまで習い覚えてきたレシピや「やり方」は、絶対的に正しいものなのか。実はもっとおいしいレシピがあり、もっとうまいやり方があるのではないか。それを疑い始めることができたら、あなたは次のステップに進んだと言えるでしょう。
 この時、調理師学校出身者は少し有利です。調理師学校のカリキュラムが絶対的に正しいとは限らないかもしれませんし、そこで教えられたことが全て身に付いている卒業生はあんまりいません。しかし少なくともそこで教えられることは、最もオーソドックスな技術です。いわば中心値。自分が覚えたこととその中心地の差を知ることで、その店の特殊性、つまり個性が浮かび上がってくるのです。
 そこであなたは、「なるほど、そこが違うからウチの店は特別おいしいのか!」と思うこともあるかもしれませんし、逆に「そこが違うから自分には違和感があったのかもしれない」と思うかもしれません。いずれにせよ、そうやってあなたは、自分の技術を相対化すると共に、自分のいる店の価値を再確認できることになります。とりあえず中心値を知るには、(あるいは調理師学校で学んだはずのそれを学び直すには)専門書が最も確実かつ手っ取り早いはずです。ネットでもそれっぽい知識は手に入りますが、その精度は全く違うと思っておいた方がいいでしょう。専門書というのはずいぶん高価なものですが、そこをケチるべきではありません。

食べ歩きのすすめ
 そのあたりの理解をさらに深めるために、絶対にやった方がいいことがあります。それは、よその店に積極的に食べに行くことです。その場合自然と、まずは自分がいるお店と同じジャンル、同じくらいの価格帯の店に行くことが多くなるでしょう。
  そこではまず、自分がいる店や普段自分がやっていることを更に深く「相対化」できます。訪問した店と、普段やっていることと、専門書に書いてあることが一致していたら、それはほぼ普遍的なことであり、これからもずっと守り続けていかねばならないことだと確信できます。盲信が確信にアップデートされる、ということです。
 そしてそれ以上に大事なのは、もちろん「違いを知る」ということです。味付けなどのごくささやかなディテールの違いもあれば、根本的な違いもあるでしょう。同ジャンルであっても全く知らなかった料理に出会うことだってあります。そしてそういう出会いこそが、他店を訪問するときの何よりの喜びになっていくのではないでしょうか。
 そういう意味では、ジャンルや価格帯の違う店の方が、むしろ発見が多いかもしれません。特に高価格帯のお店から得るものは大きいはずです。専門書を買うより更に高くつきますが、ここもやはりケチるわけにはいきません。なんとかやりくりしましょう!
 ただし、より低価格な店から得られることもたくさんあることは知っておくべきです。少なくとも「見下す」態度で行ってしまっては行くだけ損です。
 昔、高級フランス料理店で働き始めた後輩と、その店よりはずいぶん安いビストロに行ったことがありました。シンプルにおいしくボリュームたっぷりの料理に彼は終始感動していたのですが、一番驚いたのは肉料理のガロニ(付け合わせ)だったそうです。
 彼のいる店では、付け合わせの野菜は輸入物のフランス野菜など珍しいものが少量、繊細な手間をかけて添えられていたようなのですが、その店のものは全然違いました。大根、蕪、ブロッコリー、椎茸、トマト、といったごくありふれた野菜が、皮もヒゲ根も付いたまま焦げんばかりに猛然と焼かれ、肉をおおい隠し皿からこぼれんばかりにドカッと盛られていたのです。
 彼は、普段自分がやってることは何だったんだと思いました、と笑っていましたが、もちろんそれは高級店がやらねばならないことの意味は充分理解した上での冗談です。しかし彼はそこで、普段とは違う角度から何かを得たのは間違いないでしょう。
 もっと安い店、それこそチェーン店であっても、やはり必ず学びがあります。そういう店に行かない、あるいは馬鹿にして漫然と食べるだけでは、料理人として失格だと私は思います。

自宅でも料理を
 そうやって方々で様々な発見があったら、きっと自分でそれを再現してみたくなるはず。その場としてとても重要なのは、以前にも触れた「賄い」です。どれだけの精度で再現できるのか、そして先輩や同僚の反応はどうか。なかなかの緊張感でしょうけど、やりがいのある機会ですね。
 ただし、賄いだけではどうしても限界があります。使える材料にはかなりの制約がありますし、悠長に時間をかけるわけにも行きません。そうなると結局一番手っ取り早いのは、食材を買い込んで自宅で作ることです。職場によっては休憩時間や終業後に厨房を自由に使わせてくれるところもあるかもしれませんが、どちらかと言うと稀ですし、私の経験上それは何かと気を使わねばならないことも多くて、作ることに集中できません。
 私が修行を始めた頃、つまりそれは30年近く前ということになりますが、その時代は「プロの料理人は家で料理なんてするものではない」という意見が主流でした。しかし私はその時代も家で常に料理をしていました。正直、勉強のためなどという高尚なものではなく、好きでやっていただけです。店とは違うジャンルのものを作ることも多かった、というかむしろその方が多かったかもしれません。新しく作ってみたい料理や試してみたい技法は無限にありましたし、それは純粋に趣味でもありました。料理の仕事の息抜きが料理、というのはある種異常な状況という気もしますが、一日中試飲をしているウイスキーのブレンダーさんも仕事の後の一杯が何よりの楽しみ、なんて話もありますし、案外世間ではよくあることなのかもしれません。
 それはともかく、そんな時代に、私は「家でも料理している」ということを仲間内では言えませんでした。うっかり口を滑らせて馬鹿にされたこともあります。しかし私は、その価値観はもはや過去のものになりつつあると確信していました。
 それよりもっと古い時代、飲食店は同ジャンルであればどこも似通った料理を出していました。料理人は先輩から技を学び(盗み)、それと同じことを繰り返し、暖簾分けしてもらって独立後もそれを続ける、というのが基本的な流れだったのです。そうであればやるべきことはただひとつ、店での毎日の仕事の中でひたすらその精度を高めていくのみ。 
 しかし時代は変わりました。そういうある意味厳格で、またある意味では牧歌的な時代ではありません。もちろん闇雲に何でも新しいことをやればいいという話ではありませんが、現代は切磋琢磨の時代。言い換えると差別化の時代です。他人がやっていないことで、言葉は悪いですが「出し抜く」ことができないと店は生き残れないのです。
 基礎をしっかり固めることは大事ですが、同時に幅広い視野で、自分だけの、誰にも真似のできないスタイルを作り上げていくことが最終的には何より大事なのではないか、と思います。それが生き残る術です。
 ……と、大上段に構えて語ってしまいましたが、本質的には「料理を楽しむ」ことが一番重要、というだけの話かもしれません。勉強の名目で食べ歩きにお金を使っても、料理本に散財しても、誰にもそれを無駄遣いとは言われませ……言われるかもしれませんが堂々と反論できます。新しい食の情報は常に大量に流れ込んできます。自分でも試してみたいことはどれだけでも増えていきます。ラッキーなことに、飲食業の労働時間は昔に比べたらかなりマシになっています。プライベートでも料理に注ぎ込める時間は増えているのです。
 先ほどは「異常な状況」と言いましたが、撤回します。料理人は仕事も趣味も料理、というくらいでむしろちょうどいいのではないでしょうか。
 かつて友人のミュージシャンがメジャーデビューを果たしました。その彼が言っていました。「メジャーデビューできて何が嬉しかったって、一日中音楽のことだけを考えていられること!」。残念ながら彼のバンドはアルバム2枚ほどで契約を打ち切られてしまい、今では普通の仕事をしながら趣味で音楽を続けています。
 料理人は、ミュージシャンよりはだいぶ、続けていける可能性の高い仕事です。結婚したり子供が生まれたりとライフステージが上がると、なかなか料理のことだけというわけにもいかなくなるかもしれませんが、少なくとも若いうちは、生活の全てを料理で埋め尽くしてみてもいいのではない