ちくまプリマー新書

大事なものであるとともに悩みの根源…「身近な関係」をいちから捉えなおすと見えてくるもの
『人間関係ってどういう関係?』より本文の一部を公開します

友だち、家族、恋人、学校、ご近所…生活のかなりの部分は「身近な関係」で構成されています。我々の悩みや問題の大元であり、大事なつながりでもある「身近な関係」をいちから捉えなおす『人間関係ってどういう関係?』より「まえがき」を再構成して公開します!
 

まえがき

――身近な関係の悩ましさ

 現代の日本の大きな問題は少子化。そこで政府はいろんな対策を立てています。「こども家庭庁」を作ったのもその一つ。しかし、「こども庁」だったのが「こども家庭庁」になって、といったあたりから雲行きが怪しくなってきました。一方では「家庭は大事」という考えがあって、これに賛成する人がいるのは確か。ところが他方で、家庭を否定的に捉える人もいます。「毒親」などという、それこそ毒々しい言葉もあります。古くは作家の太宰治も「家庭の幸福は諸悪の本(もと)」と言いました。実際、親子関係に悩む人たちは多い。ネグレクトや虐待など、目を覆いたくなるような事件も多く起こっています。

 しかし、こういう意見の対立は、親子関係だけじゃなくて、社会のあっちこっちで生じています。例えば、夫婦別姓に関する議論なんかもそう。「自分の姓を変えないまま結婚したい」と考える人たちがいる一方、「同じ姓の方が家族の絆ができる」とか、極端に言えば「別姓だったら家族じゃない!」などと考える人たちがいます。

 こう考えてくると、現代の大きな問題、少なくともその一つは、親子や夫婦その他、つまり身近な関係をどう捉えたらいいのか、という点にあるのが分かってきます。

――身近な関係を理解する・・・・

 この本を書くために、関連のありそうな本を探しました。「身近な関係」なんていうそのものズバリの本はなかったですけど、「友だち、友情」、「恋愛」とか「家族」、「親子」についての本なら山ほどあるわけです。

 中には『友だち幻想』っていう本があったり、『友情を疑う』なんていうのまであったりしました。おまけにこの本には、「親しさという牢獄」という、恐ろしげな副題まで付いているようです。タイトルからすると、どうも友情をよいものと見ていない(実は中身はそればっかりではないのですが)。他方で、友情を重視した本や、「つながり」、「絆」といったものをキーワードにした本もいっぱい。家族についても、『家族という病』なんていう本がある一方で、最近になって『離れていても家族』という本も出ました。

 私は、身近な関係は大事だと思っています。だから、「個人」と「社会」だけではなくて、身近な関係についてもちゃんと考えたいと思うのです。ところが、そう言ったとすると、「しかし、毒親が……」とか「友情なんて……」という人も出てくる。そして、私もそれらには一理あると思うのです。だったらどうしたらいいか。

 ひょっとすると「お前はけっきょくどっちなんだ、家族は大事だと思うのか、そうじゃないのか」とか「友情は必要なのか必要じゃないのか?」、挙げ句の果てに「俺たちの仲間か、それとも敵なのか?」と言われるかもしれないけど、「いやいやいやいや。ちょっと待って、その前に話を整理して、前提を作っておいた方がいいんじゃない?」と思うのです。最初から悲しんだり怒ったり、あるいは馬鹿にしたりするのではなく、まずはどうなっているのか、その基本のところを理解したい。これがこの本の出発点です。

 友だち、家族、恋人、学校、ご近所。我々の生活のかなりの部分は、こうした身近な関係でできている。我々がよく抱く悩みや問題もここに関わるものが圧倒的に多い。それなのに私たちは、身近な関係についてあまり(全然?)考えていない・・・・・・気がします。あまりにも近くにあるせいか、その大事さや、それらがどうなっているのかといったことがちゃんと考えられていない。いろいろ感じる・・・ところ、思う・・ことはある。だけど考えてない・・・・・。私にはそう思えました。私としてはだから、なんというか、すごく歯がゆい思いをしているのです。モヤモヤするのです。だから、ちゃんと理解したい。

 もちろん、私の考えたことが万全とは言いません。だけど、私自身はこの本を書きながら、ずっと感じていたその歯がゆさが、少しだけ軽くなった気はしています。

身近な関係が嫌われるわけ

――身近な関係の分厚さ

 身近な関係は重視されないばかりじゃなく、嫌ってさえいる人もかなりにいるように思えます。そして、それにも理由があるらしい。

 例えば、恋人のいない人、家族のいない人、そういう人はいるだろうとは思うのですが、家族も恋人も友達もご近所も何も無い、つまり、身近な関係を一切持たない、という人はめったにいない。ふだんの生活からそういう身近な関係を全部はぎ取ってしまったら、他にいったい何が残るだろうっていうくらいに、我々は分厚い人間関係に取り巻かれています。それによって、守られていたり、あるいは窮屈になったり。

 守られている? そう、それだったら(それだけだったら)いいんだけど、その分だけ煩わしかったり、うっとうしかったり(同じか?)、ともかく窮屈なこともある。

 例えば、さっき出てきた『友だち幻想』の著者、社会学者の菅野仁さんは『愛の本』という本も書いていて、これには「他者との〈つながり〉を持て余すあなたへ」という副題がついています。「持て余す」かぁ。そうね。「愛」も「友だち」も、とても大事なものだと人は言う。だけど、その大事な分だけ重くて私たちにのし掛かってきて、場合によっては潰されかねない。そういう側面は確かにあります。キツキツの人間関係。うう、息が詰まる!

 最近『風をとおすレッスン』という、タイトルも中身も素敵な本が出ました。これは、人々の関係に「風をとおす」という趣旨で書かれたものですが、逆に言えば、身近な関係には、風通しの悪いところもできちゃうわけです。

――時代の流れ?

 身近な関係が避けられちゃう原因は、歴史の流れで確認することもできます。どうも社会は、発展するに従って、こういう身近な関係をできるだけ縮小する方向へと進んできたように見えるのです。

 昔だったら、家庭やご近所など、身近な関係の役割はかなり大きかった。特に、江戸時代やもっと前を考えてみると、通信手段も交通手段も発達していなかったから、人々は生まれ故郷をほとんど離れませんでした。生まれて、大人になったら働いて、結婚して、といったことは全て、いわば手近なところで済ませていた。

 教育も、昔は今みたいなものじゃなくて、学校で教育を受けるなんていうこともあまりなかった。教育っていうのは、すごく贅沢なものだったのです。一般には、生活するのに最低限必要な、すごく基本的なことを、家の中でおりおりに教えられるだけ。

 そもそも、「生まれる」にしたって、今ではめったになくなった自宅での出産、昔はそれが主流だったわけです。病気になっても、病院が近くにないことも多かったし、ご飯を食べるっていったって、食堂やレストラン、コンビニなんかもないから、家庭でってことになる。今は選択肢がいろいろあります。ウーバーなんとかもあるし。

 だから、こうして見てくると、かつては家庭の中でまかなっていたいろんなものを、現代になるにしたがって、だんだんと、そうですねぇ、いわば外注・・するようになった。どこに外注するか。つまり、社会に。産むのは産婦人科、育児は保育園、教育は学校、料理はコンビニやレストラン、病気になったら病院、仕事は会社で、死んだら……。

 今では、人が死ぬとだいたい葬儀会社に頼みます。「なんとかホール」、「なんとか会館」といった名前の葬儀場で式をやる。手配は葬儀会社がやってくれる。私の子どもの頃には(もうずいぶん前です)、まだ自宅でお葬式をやっていました。遺族はそうでなくても家族を亡くしてたいへんだから、親戚やご近所の人がお葬式を進めてくれました。今はそういうのを外でやってもらっています。どうも、これが時代の流れに思えるわけです。

――自由のために

 さて、これがどういう意味を持つかを考えてみましょう。

 なぜ家族が家で看病する代わりに入院治療にするか。それは、専門家に見てもらった方が確実だからです。専門家であるお医者さんに、ちゃんとした、高度な治療をしてもらうため。教育の場合もそう。学校に行って、専門家である先生に、きちんと教育してもらう。

 こうして、病院の場合だったら病人、学校の場合だったら子どもにとってその方がいいと思えるわけです。だけど、そればかりではなくて……。ぶっちゃけて言えば、病人を抱える家族や、子どもを育てる親たちにとって、その方が便利・・だということがあります。何だか身も蓋もない話だけど、ずっと子どもの世話に手を取られるよりは、子どもを保育園や学校に預けて、ちゃんと育児、教育をしてもらって、一方で親である自分たちは、そうした手間から解放されて自由になれる。その間に仕事してお金を稼いだり、あるいは、自分の好きなことをする時間が得られる。

 そして現在、友だちや恋人も外注することができるようです。はうっ!

――そして今、どうなっているか?

 さて、昔は自分でやるしかなかったこと、あるいは、家族や友だちや近所の人たちと協力してやるしかなかったこと、それらを社会にかなり任せられるようになりました。その結果、現代は昔と比べて、そうとうに自由になり、余裕が出来ました。不自由で、自分のしたいことも出来なかった昔と違って、自分のしたいことが出来るようになって、そして、ずいぶん幸せになった……。

 そう、ここで「あれっ?」ということになるわけです。人間は昔、「時代が進めば、自由で豊かに生活できて、幸せになるはず」だと思っていた。そして、社会の仕組み、制度も整ってきましたし、科学技術のおかげで生活もずいぶん楽になった(はず)。ところが、自由だとか幸福だとか、そういうものが得られているのかどうか。これが問題です。大問題。

 まだまだ社会の仕組みが整っていないのでしょうか。そうかもしれない。そして、科学技術が十分に発達していないからでしょうか。そうかもしれません。だけど、ひょっとすると私たちは、根本的なところで勘違いしていた可能性もあります。

――問題:身近な関係は必要か

 さて、こうして現代では身近な関係が重視されなくなってきた理由も何となく分かりました。だけど、じゃあ身近な関係は全く要らないのか? そのあたりがモヤモヤします。たぶん、人によってかなり意見が違ってきそうです。

 そこでこの本では、この問題にきちんとした形で答えるために、しっかりとした準備をした上で取り組みたいと思います。

 本文でも書きますけど、社会や個人ってのはわりあい分かりやすいのです。ところが、「身近な関係」は、実はかえって難しい。すごく身近なのに、あるいは、身近だからこそ難しい。だから、あまり専門家も考えて来なかった。

 そういう意味ではこの本は、実はちょっと珍しい本なのです。

 そして別に奇を衒ったことが言いたいわけじゃないけど、結果的に、「家族とか恋人(恋愛)とか友人(友情)とか、そんなものはないんじゃない?」というような話もします。

 うん、「ちょっと」じゃなくて、かなり珍しいかもしれないな。

 いや、「身近な関係なんか重要じゃない」と言いたいのではないのです。てか、逆で、私は身近な関係は大事だと思っていて、だからこんな本を書こうと思ったのですが……。

 まだ言い足りないこと、もっと伝えたいことはあるんです。だけど、このままだと全部が「まえがき」になっちゃうので、後は本文を読んでもらえると嬉しいです。

 よかったらしばらくお付き合い下さい。



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