人はアンドロイドになるために

1. アイデンティティ、アーカイヴ、アンドロイド 前編

 これは、すぐれた功績をあげた人間に対して賞を与え、「その人そっくりのアンドロイド」をつくるという動きが始まったばかりのころの話だ。たとえばロボットやアンドロイドを使って人間の技術や芸能を後世に遺そうという非営利団体「アルティメット・アーカイヴ財団」(通称UA)、という組織があった。同組織は全世界で、ジャンルを問わず、優れた人間を毎年百名ずつアンドロイド化していくことを発表していた。ハルはそれに選ばれた、最初期のひとりだ。このころのアンドロイドは、自ら判断し、動くことができる「自律型」は、いまだ発展途上である。この時代、アーカイヴとしてのアンドロイドは、人間による遠隔操作と組み合わせて使用することを前提にしたものがもっぱらだった。

 人間酷似型アンドロイドをつくるには、最低でも十万ドルはした。それにくわえ、アンドロイドに機能を足せば足すほど、制作費用は増える。手足をはじめ駆動する部分を増やす、歌や踊りができるようにする、対話機能を充実させる……そうやって機能を追加し、まともに動くものにして定期的にメンテナンスし、ときには機能をアップデートしていく必要があった。アンドロイドの制作、運用費用を負担できる個人は、ほとんどいなかった時代だ。ハルのアンドロイドは、彼の音楽的な技能をコピーすることに重きが置かれ、対話機能は付随していない。

 自分そっくりのアンドロイドができることを望む人間自体、まだ少なかった。「アンドロイド化されることがステイタスだ」という社会通念が、できあがってすぐのころである。それも、たんに「アンドロイドになれるなんてかっこいい」といった軽薄な理解が大半であった。

 ハルはなぜ、自分そっくりのアンドロイドがつくられることを泣くほど喜んだのか。

彼が、自分の作品を永遠に残したいと思っていたクリエイターだったからだ。

 人は、自分が生きてきた証をなんらかのかたちで世に残したいと願う。誰もが、自分の人生が無意味だとは思いたくはない。エンターテインメントや芸術に携わる人間であれば、我が子のような存在である自分の作品が評価され、長く愛され、歴史に名を残すものであってほしいと感じる。

 たとえ我が身がこの世から消え去ったあとも、みずからの技能がコピーされたアンドロイドを通じて、自分の作品、歌声、パフォーマンスにひとびとに触れてもらえる。ハルはそのことによって、自分の歌が、ひいてはそれを通じて自分自身が「永遠の存在」になれたかのような特別な感覚をおぼえていた。

 もちろん、ハルのアンドロイドは、ハルのすべての能力を再現できるわけではない。歌と、歌うときの身体の動きをコピーするだけだ。しかし彼のアイデンティティは何より歌にあった。彼は音楽さえ遺せるなら、自分のほとんどが記録され、後世に残るに等しいと感じていたのだ。

 ハルは自分の音源が残るだけでなく、パフォーマンスをする身体ごとアンドロイド化されることが、嬉しかった。

 しかし、アンドロイド技術は、人々に摩擦を生むこともあった。

         *

 ユキは、ハルがアンドロイド化する権利を獲得する候補としてノミネートされて以来、ずっと不機嫌だった。舞い上がっていたハルは、しばらくそれに気付かなかった――いや、異変を察してはいたものの、気づかないふりをしてきた。ハルがアンドロイド化の知らせを受けたあとも続いていたツアーの最終日、リハーサルが終わったあとの楽屋でふたりきりになると、ユキはハルに切りだす。

「論理的に考えて、ハルのアンドロイドをつくるのはありえない。アンドロイドをつくるなら、ハルノユキは解散したい」と。

 ユキを盟友と思ってきたハルには、寝耳に水だった。

「は?」

「簡単に言えば、私は君のロボットじゃない、ということだ」

「ロボット……? 何言ってんだ? あのな、お前が『論理的に』なんて言うときはいつもまったく論理的じゃない。ちゃんと説明してくれ。いや、今はこれからステージだから、終わってからでいい。なんでいきなりそういうことを言う?」

 ハルは本番前で、ピリピリしていた。ユキはしかし、感情を抑制しながら語り始める。

「ハルはこのまえ、アンドロイドができたおかげで自分の作品が永遠になった、と言っていた。しかし、私のカラダは機械じゃない。いずれ朽ちて死ぬ。年を取れば、きっと指も動かなくなっていく。ハルが、自分の音楽を奏でるプレイヤーに永遠を求めるなら、私は不適格だ」

 ハルは、ユキの歌唱は一級のものだと思って仕事をしてきた。だがそれが滅びゆくものだと捉えたことは一度もない。たしかにユキが機械のたぐいが苦手ではあった。あるいは、ユキの音程を採る能力の高さ、曲の再現能力の高さがマシーンにたとえられることもあった。しかし。

「……話が唐突すぎてわからない。それに、つくるのは俺のアンドロイドであってお前のアンドロイドじゃない。俺がいつ、お前の代わりにアンドロイドと組むなんて言った? 言ってないだろ?」

「ようするに、ハルノユキはまだ道半ばだ。だからハルには、ほかのことにうつつを抜かしてほしくない。『俺がお前をいちばんにしてやる』と私に言ったのに、その約束を守るまえにアンドロイドに時間を割くなんて許さない」

 ユキは無表情なまま一気に語る。またわがままが始まったか、とハルは思う。

 ハルにも、ユキが怒っていることはわかる。ハルにはユキに怒られる理由はいくらでもあった。素行の悪さにしても、この日、渋滞のせいでリハーサルに二分遅刻してきたことにしても。しかしアンドロイドをつくることに反対される理由は、ハルにはわからない。

「だから、お前が『ようするに』『つまり』『論理的に』とマクラにつけるときは、全然要約もされていないし、理由にもなっていない。すまんが、話が見えん。俺は、お前との活動をおろそかにするほどアンドロイドに血道をあげるつもりはない。それは安心してもらっていい。ただそれはそれとして、俺の歌と踊りを再現できるコピーができたら、お前嬉しくないの? 俺は俺のアンドロイドをユキといっしょに歌わせてみたい。アンドロイドだって、お前と歌いたがるんじゃないか?」

 ハルは相棒を褒めたつもりだった。

「そんなわけがない。ハルのアンドロイドは、遠隔操作型だ。自律的な意志はない」

「そこは常識で返すのかよ……」

 開演時間が迫る。ハルは立ち上がり、ペットボトルの水を喉に流し込む。軟水のはずなのに、味がきつい気がした。息を吸う。

「ユキ、いつも言っているだろ? お前の才能は、俺がいちばんよく知っている。俺はお前を信頼している。だからお前も俺の選択は信じてくれよ。それでずっとやってきただろ? アンドロイドをつくったからって、それくらいでなんで不機嫌になるのか、俺には本当にわからない。たいしたことじゃないんだよ、絶対に」

「じゃあたとえば私のアンドロイドがいたら? ハルはどちらを選ぶ?」

 鋭い目線がハルを刺す。抑えきれないほど怒気が滲み出た相棒の声。ハルは、ユキを説得するのは思った以上に難しいかもしれない、と思う。いつもの爆発とは、トーンが違う。

「バカ言うなよ、そんなの……」

「アンドロイドを選ぶはずだ。だってハルは、永遠を求めているんだから。もちろん、私のアンドロイドがいたら、という仮定は論理的に無意味だ。私は自分のコピーなど作りたくない」

 ユキは奥歯を強く噛み、「それに」とつづける。

「そもそもハルと違って、私はロボットになる資格は得られなかった。世間には、そんな価値がないと思われているんだろう」

「ちょっと待て。ユキはアンドロイドになりたいのか? その、つまり、嫉妬……? それとも」

「そうじゃない。つまり」

 納得も理解もできないが、そろそろ気持ちを切り替えなければまずい。もう、始まる。音楽に関しては完璧主義者のハルの我慢が、限界に達する。ひとまわり大きい声が出る。

「おいユキ、いい加減にしてくれ。これから俺たちはまだ仕事がある。ホールに集まってくれる人のために、歌わなきゃいけない。ここで揉めたままステージに立ちたくない。だから、今は終わりだ。俺たちに一番大事なのは……歌だろ?」

 ハルはユキに握手を求めたが、ユキは応じない。表情をわずかにゆがませただけだ。ハルの頭は疑問と苛立ちでいっぱいだったが、深呼吸してクールダウンし、言葉を選ぶ。

「悪かった。今日まで腹にかかえるものがあったから、いまこうして話してくれたわけだ」

 ユキは答えない。本当にこいつは面倒くさい、とハルは思う。

「つづきは、あとだ」

 ハルは楽屋のドアを開け、ユキを置いて先に歩く。

 リラックスするために楽屋で甘い匂いのお香を焚いていたことに気づいたのは、廊下に出て空気が切り替わったあとのことだった。