ちくま学芸文庫

「日常史」という挑戦
山本秀行『ナチズムの記憶』書評

「あの時代はよかった」ーー恐怖と暴力で国民を支配したイメージのある第三帝国だが、その時代を回想する住民証言からは、むしろ正反対の姿が描かれる。ごく平凡な「普通の人びと」は、どのようにしてどのようにして政策を支持するようになっていったのか? 詳細な住民証言に基づき、女性や子どもたちまでもが、徐々にナチ体制に統合された恐るべき道筋をあばきだした本書。ドイツ現代史がご専門の小野寺拓也さんによる書評を、『ちくま』4月号より転載します。

「日常史」という研究手法がある。市井の「ふつうの人びと」の視点、生活や経験から社会を考える、「下から」「内側から」の歴史学である。政治史、外交史、社会構造史といった伝統的な歴史学は偉人中心であったり、あるいは経済や社会構造といった「顔の見えない」ものが叙述対象であったりで、名もない「ふつうの人びと」は無視されるか、「受け身」の存在として描かれることが一般的だった。それではいけない、「ふつうの人びと」の側から歴史を研究することで、「上から下へ」の一方向でも「幹線道路」のみの歴史でもなく、人びとの主体性や多様性、ときに矛盾を含み込んだ豊かでダイナミックな歴史を描き出したい。アナール派やミクロストリアなどいくつかの源流はあるものの、一九八〇年代半ばにドイツで日常史研究がスタートしたときの野望はそのようなものだった。

 そのさいオーラル・ヒストリー、つまり聞き取り調査に着目した点も、当時としては画期的なことだった。文字史料に比べて信憑性が劣ると見なされてきた聞き取り調査を存分に使いこなした研究プロジェクト「一九三〇年から一九六〇年のルール地方における生活史と社会文化」は、日常史研究がブレイクスルーを果たす契機となった。

 そうした知的興奮のなか一九九五年に誕生した、日本における代表的な日常史研究が本書である。舞台となっているのはクーアヘッセンの小さな農村ケルレ村と、ルール工業地帯の炭鉱町ホーホラルマルク。世界恐慌以降ナチ党が勢力を拡大していくなかで、人びとはこれに対してどのように向かい合っていたのか。住民たちへのインタビューから見えてくるのは、炭鉱町と農村の実に対照的な対応である。ケルレ村の人びとにとってナチ党は所詮よそ者であり、「名誉」というモラルや「勤労のエートス」など、それまでの伝統的な価値観によって共同体を維持することが可能だった。他方、ホーホラルマルクにとってナチズムは人ごととして済ませられない現象だった。仕事やパンを手に入れるためにはナチスに同調するしかないと人びとは感じており、実際にナチ党への転向者も続出していた。そうしたなかで労働者としての一体性を維持することは難しく、社会はアトム化していく。

 しばしば寄せられる誤解として、日常史研究は歴史の大きな流れから目をそらし、歴史の細部をひたすら明らかにするだけの研究だというものがある。だがそれは違う。人びとが構造を「抱きしめ」、「領有」し、換骨奪胎させようとする「場」をいきいきと描き出すことで、政治や社会に対する新たな理解を可能にする、動的な研究なのだ。たとえば歓喜力行団というナチ党の余暇組織について、本書には次のような一文がある。

「逆説的ではあるが、非政治性と政治から自由な空間は、ナチ体制への合意を形成する一つの回路の役割を果たしていたことになる」。

 ナチ体制への合意は、暴力による強制やプロパガンダによる「洗脳」によって一方的に押しつけられるものだけではない。「旅行に行ってみたい!」「車が欲しい!」と自分から思うこと。そして、活動がそれほど政治的ではないということ。この二つがあると、ナチ体制のやっていることにすべて賛成しているわけではない人たちでも、「ナチスも良いことをしているじゃないか」と徐々に取り込まれていく。そうした合意調達の経路を、日常史研究は数多く明らかにしてきた。

 本書が刊行された一九九〇年代後半以降、そうした日常史研究の成果は「賛同に基づく独裁」論として大きく花開くことになる。なぜ「ふつうの人びと」はナチ体制に対して同意、協力、支持、少なくとも黙認を与えてきたのか、それを社会のあらゆる面で実証的に解明しようとする研究が爆発的に増加したのである。そしてそれが「民族共同体」論、包摂と排除のメカニズムを包括的に解明しようとする議論へと発展する。現在のナチズム研究における主要な〈解釈〉である。

「下から」「内側から」歴史を汲み上げ、「上から」「外側から」の視点と融合させることで歴史叙述はよりダイナミックになり、「面白く」なる。そうした日常史研究の醍醐味を本書で十二分に味わっていただきたい。

 

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