この章では、″書く″ことに具体的に触れていきたいと思います。
何度も何度も同じような繰り返しで申し訳ありませんが(我ながら、しつこい)、″書く″とは個を確認する作業です。
わたしたちは個です。個の物語を誰もが持っています。書くことで、そここそを確認しましょう。個の、自分だけの物語です。
あっ、誤解しないでくださいね。
自分だけの物語って、自分だけがわかっていればいいと、そういう意味じゃないんですよ。物語って読者、つまり、他者を獲得できたとき初めて物語としての一歩を踏み出します。でも読者の数は関わりありません。たった一人でも100万人であってもいいのです(専業作家からすれば100万人の読者なんて、隠し金山や伝説の秘宝に匹敵する気がします、はい)。
1973年、アメリカのヘンリー・ダーガーという作家は、生前一作も世に出すことはなく、周りの誰にも創作活動を知られることなく、身寄りも知り合いもないまま、アパートの一室で亡くなりました。死後、彼の遺品の中から15000ページにわたる長編とその挿絵が発見され(アパートの大家さんが見つけたのだそうです)、話題となったとか(わたしはその事実をさる本で知り、いたく驚きました)。ヘンリー・ダーガーは〝書きたい″という純粋な創作意欲だけで生きていたわけです。ある意味、究極の天才だったのでしょうか。
ダーガーのような作家は稀も稀、誰も真似できないし、する必要もないと思います。
わたしだけの、あなただけの個の物語を書き上げ、それを他者に伝える。
それこそが必要なのだと信じています。
囲い込まれ、溶かされ、容易く数値化されてしまう。それが、わたしたちです。例えば、戦場で、災害の地でしだいに、あるいは急激に増えていく死者数にわたしたちは憤り、悲しみ、嘆きます。そしていつか、それを忘れます。
数字は忘れられてしまうのです。
死者100人と報じられたとき、その100人に一つ一つの命と過去と暮らしがあったと心を馳せられる人がどれだけいるでしょう。
わたしにはなかなか難しいです。
「そんなにたくさんの人が亡くなったの」とか「かわいそうに」とか、せいぜい「〇歳で亡くなるなんて、辛いよね」なんて、ため息を吐くぐらいです。
でも、わたしたちは数字ではありません。笑って泣いて、他人を愛したり憎んだり、僻(ひが)んだり羨(うらや)んだり、救ったり救われたりして生きてきた人間です。
書くことで、数字ではないわたしという個、あなたという人間を示すのです。自分自身に、他の誰かに示すのです。わたしたちをただの数字に貶め、人間として扱おうとしない者たちと戦うのです。ここに個があると伝えるのです。
そのために、書くのです。
むろん、戦うべき相手は、わたしたちの内側にも外側にもいます。
前置きが長くなりました。いつものことですが、すみません(反省)。
では、いよいよ実践編に入ります。
わたしたちの武器は言葉です。まずは、この武器を点検してみましょう。兵站(へいたん)は大切です。自分がどんな武器をどの程度備えているか、知らねばなりません。そして、その武器をさらに磨き上げ、精度を上げ、種類を増やしていかねば‥‥‥うん? ちょっと、譬えが好戦的過ぎるかな。えっと、そうそう武器とは言葉です。書くとは言葉を使っての表現活動です。だから、戦い、戦争とはまったく真逆のところにあります。
「問答無用」って知っていますか。議論の必要などないという意味ですね。つまり、言葉のやりとりをあからさまに否定、拒否しているのです。で、この一言の後、人と人がにこやかに握手したり、抱擁したりなんて光景は想像できないでしょ。殴ったり、蹴ったり、さらに銃を撃ったり、刀を抜いたり、さらにさらにミサイルの発射ボタンを押したりする場面となら、容易に結びつきますが。つまり言葉を否定、拒否したところには暴力が芽生えるのです。逆に言えば、言葉が存在すればそこに理解や共感を生み出す余地ができます。
国と国も、人と人も。
あっいけない。また、横道に入りそうになっている。実践編、実践編。よし、気合を入れ直して始めます(かってにドタバタして、ごめんなさい)。
実践編その一、言葉の点検作業。
まずは、自分がどれくらい言葉を扱えるかの確認です。
「あかいはなたば」
これを別の表現に変えてみてください。あっ、そんなに難しく考えることはありません。表現に上手下手はありません。ただ、深い浅いはあります。お宝はたいてい深い海底に沈んでいたり、地中深くに埋まっていたりではないですか。いや、これもかなりパターン化した思考ですね。うーん、ン十年も書き続けてきて、まだ、うっかりパターン化思考にはまるとは。再びの反省(何度目だ)。
「あかいはなたば」。さて、あなたは、この一言からどんな表現を引き出しますか。
ノートを開いて、あるいはパソコンの前であなたの文章を綴ってみてください。メモ帳の端でも、スマホでも、どんな道具でも構いません。できれば、あなたが自分に向き合える最適な道具と場所と時刻であったらいいですね。でも、ご飯を食べながらでも、暇潰しにでも、ちょっと忙しくてイライラしながらでも問題ないです。どんなときも、あなたはあなた、他の誰でもありませんからね。
「あかいはなたば」
赤い大小の花が束になっている。
赤いチューリップの花束。
炎のような花の一束。
紅色の花弁を開いた大きなアマリリス。その周りを薄桃色のレースのようなカスミソウが囲んでいる。
赤いカーネーションが2本、花と同じ色のリボンに括られて、机の上に置いてあった。
毒々しい真っ赤な造花が大きな塊として飾られている。
きれいな薄紅色のブーケ。
気分が悪くなるような嫌な色の花たち。
家の飼い犬の口の中と同じ色をした花の束だ。
「あかいはなたば」から、あなたの紡ぎ出した言葉はどんなものでしょう。たくさん書けましたか。一つしか思い浮かばなかったですか。多ければいいわけではありません。次から次へと言葉が浮かんでくる時って、自分で考えているようで、実はありふれた表現を適当に組み合わせているだけのこともあります。自分の独自の思考ではなく、既製品を器用に使っているのですね。そこは、ご用心、ご用心。けれど、次から次へと浮かぶほど言葉を知っているのは、あなたの強みです。強力な武器‥‥‥じゃなくて、確かな力になります。
では、次は「あおいそら」でいってみましょうか。
「あおいそら」をあなたなりに表現してみてください。
真っ青な5月の空が広がっている。
雲の切れ間から海に似た青色が覗いた。
紫がかった青色の空だ。
今日の空は青ざめた病人のようだ。
青いはずなのに灰色に見える空。晴れて青いのに、ちっとも気持ちよくない空。
見飽きた空の色です。
水面に移った青い空と緑の山々が美しい。
いままで雨が降っていたのに、見上げると空は晴れていた。よく磨き込まれた青いガラス玉のようにピカピカ光っている空だった。
どうでしたか?
我ながら上手く書けたと満足できた人も、イマイチ、何も浮かんでこなかったと不満な人も、意外なほどすらっと言葉が浮かんだ人もいたでしょう。
それぞれです。ともかく、こうやって幾つかのお題(?)を設定して、思いつくままに綴ってみてください。お題は単純な方がいいと思います。色が入るとイメージを引き出しやすいかもしれません。
「しろいふく」とか「うすみどりいろのうつわ」とか「おれんじいろのはこ」とか、あまり長くないものがいいです。長いとそれだけイメージを固定化する言葉が出てきやすくなりますからね。これは一人でやってもいいですが、他の人と一緒にゲーム感覚で楽しむこともできるかも(わたしは、やったことがないので、あくまで推察しかできません。すまん)。
誰でもない、自分だけの表現とはどんなものだろう? その実践を始めてみよう!