さて、心機一転、緊褌(きんこん)一番、ここから字スケッチについて話を進めたいと思います。あら? 今書いてみて気が付きました。緊褌一番の褌って〝ふんどし″のことなんですね。そういえば、かたく決心をし、覚悟して事に当たることを『褌を締めてかかる』と表現したりしますね。みなさんは褌なんて見たことないでしょうが、確かに、下半身をぎゅっと締めると、背筋が伸びたりするんですよ。
下半身は大事です。肉体ではなく精神の下半身。そこをきゅっと締めて、力を込めて立つ。 そして、上半身を使って書くのです。上半身は揺れても構いません。揺れて、迷って、悩んで、諦めて、諦められなくて……あちらにふらふら、こちらにふらふらして構わないのです。むしろ、書くためにはふらふらこそが必要です。揺れない、迷わない、悩まないし失敗もしない、挫折も知らなければ、自分を嫌いになったこともない、なんて人が物語を書けるとは思えません。
揺れて、揺れて、揺れながら人は物語を生みだすのです。そして、揺れる上半身を下半身がしっかりと支える。だから、流されません。「世間の常識」とか「同調圧力」とか「大きな声と力を持っている人たち」に負けずに踏ん張っていられるのです。
おっと、いけない。横道に逸れないと断言したんだぞ、あさの。横道禁止、横道禁止。
こほんこほん(空咳)、では字スケッチについて、進めていきます。
簡単に言ってしまうと、つまり、字で、文章でスケッチするのです。
それ以上でもそれ以下でもありません。
え? 簡単すぎる? そうですか……そうですよね。
わたしには絵を描く才能は全くありません。学生のとき、美術の時間に犬と猫を描いたことがあるのですが、どちらが犬なのか猫なのか、描いた本人も判別できないような仕上がりになりました。「これぞ、シュールレアリスム」なんて誤魔化してしまいましたが、ことほどさように、描く作業が苦手です。
描ける人って、スケッチブックの上にさらさらと風景を写し取ったりしますよね。あれって、物の形を認識する能力に長けているんでしょうか? うーん、謎 (あさの危ない! また横道に入りかけているぞ) 。
こほんこほん(空咳)、字スケッチは、風景を描くのではなく書く、文字で切り取ってみようよというものです。
例えば、今朝、みなさん、いえ、あなたは何を見ましたか。そう、あなたというたった一人の人間が何を見たか。それを記憶の中から摘まみ上げてみるのです。
スケッチブックならぬノート(あるいは手帳でもメモ帳でもかまいません。もちろん、スマホの記録機能を使うのもありです。どんな方法でもいいので、文字として何かに残しておいてもらいたいのです)に、ざっと書き出してみてください。箇条書きでも、思いつくままに単語を並べるだけでもいいのです。
窓、朝日、ハンカチ、トースト、塩おにぎり、カーテン、緑の葉っぱ、家族、エプロン、食器、子犬、老いた猫、笑顔、泣き顔、葉っぱの水滴、制服、自転車、マグカップ、教科書、スニーカー、ローファー、花の群れ、トマトの切れ端、サラダ……。
思い出せる限りのものを記してみて。
つぎに、今朝、あなたは何を聞きましたか。
これも、思いのままに書いてみてください。数の多寡に拘る必要は全くありません。
鳥の声、笑い声、泣き声、怒鳴り声、ピアノの音、テレビの音、雨垂れ、風音、クラクション、パトカーのサイレン、川のせせらぎ、虫の羽音、独り言、囁き、挨拶……。
そして、何を嗅いだかも。
玉子焼きの匂い、なにかの焦げた臭い、花の香り、果物の香り、風の匂い、土の香、チョコレートの芳香、ワサビの刺激臭……。
味はどうでしょうか。
味噌汁、目玉焼き、焦げ過ぎたトースト、コンビニで昨日買ったスイーツの残り、海苔、吸い込んだ朝の空気、歯磨き、甘いジュース、水、ミルクたっぷりのコーヒー……。
どうでしたか?
じっくり思い返してみれば、意外なほど多くのものを見て、聞いて、嗅いで、味わっているでしょう。何も浮かばなかったという人も、それはそれでいいです。
明日の朝からちょっとだけ意識してみてください。
ノートに書き留めるために、何を見たか、聞いたか、嗅いだか、味わったか。意識してほしいのです。みなさんのペース、自分の気分のままに。
そう、縛られないこと。自由であること。
これが肝要なのです。
ここまでにこれを仕上げなくちゃならない。
この1ページをちゃんと埋めなくちゃならない。
この時間にこれを始めなきゃならない。
そんな「~ならない」は、いりません。誰かに提出して、評価を受けるものでもありません。あなたの心のままに、縛られないで、自由に、好きに書いてみてください。
そして、その中から、各セクション(?)ごとに2つか3つ、題材を選んでください。
〝見る″というセクションなら、サラダ。笑顔。
〝聞く″なら、クラクション。虫の羽音。
というように、です。あなたの今の気分に沿って。
そして、ノートの新しいページに、それをスケッチしてみましょう。もちろん文字で、言葉で、文章で。
〈サラダの描写1.0〉
ガラスの小さな容器に、レタスが敷かれている。その上には8分の1に切り分けられたトマトが二切れと千切りキャベツ、茹でたブロッコリーが少々、そして半熟卵が半分とロースハムが盛り付けられていた。トマトはとても赤い色をしていた。
〈クラクションの描写1.0〉
黒いセダンがクラクションを鳴らした。唐突に2回、パッパー、パッパーと音が響いた。四方にこだまするような大きな音だった。
こんな感じでしょうか。見たものをそのまま書き表すのは、比較的、簡単かもしれません。聞いたものや嗅いだもの、味わったものは少し難易度が高いです。
ここでは素直になってください。
うまく表現しようとか、リアルに感じられるような文章を書こうとか、力を入れないでほしいのです。ここらあたりまでは、誰からの感想も評価も意見も無用です。あなたが、あなたの文章や物語を他者に託す、つまり、読者を得るのはもう少し後になります。
横道に逸れますが……え? やっぱり横道? また横道? なんて、そんなふうに言わないでください。これは、むやみにふらふら横道に入るのではなく、意図的に本道から逸れているんですから! なんて、すぐ言い訳する癖……直さなきゃ。
えっと、その横道ですが読者のことなのです。
わたしは前に読者を一人でも得た時点で、物語は物語として成り立つと記しました。これは、わたし個人の理屈に過ぎないのですが、たぶんそんなに的外れじゃないと思います。
あなたが本気で紡いだ物語を本気で読んで、正直に遠慮なく、でも誠意をもって読んでくれる人が一人でもいたら、あなたは幸せで優れた書き手です。でも、他人が本気で読んで、感想を語りたいと思えるような物語がそうそう容易く書けるはずがありません。だから、書くためのトレーニングが必要なのです。
そのトレーニング方法をあなたに伝えたい、いや、一緒に考えていけたらと思っています。ただ、今は基礎トレーニングの段階です。ここで、力んではいけません。むしろ、気を緩めて、気軽に、できたらちょっと楽しいなぐらいのノリでやってみてください(おお、ちゃんと本道に帰ってきたぞ。えらいぞ、あさの)。
さて、ここまでできたら、今度は書き連ねた単語の中からもう一度、一つだけを選びます。けれど、今度は自分の意志を使わないやり方で。
えっと、つまり、目を閉じて指先で押さえるとか、猫が歩いたところの単語にするとか、妹に頼んで選んでもらうとか、ダーツの的に張って矢が当たったものにするとか、まあいろいろあると思いますが、自分で選ばないというのがポイント。
一度目は自分で選びましたよね。そういうときって、どうしても、自分の書きやすい材料を選びがちなのです。無意識にね。ただ、一回目であなたはサラダなりクラクションを選び、文章化しました。それによって、あなたの〝書く力″確実に強く、太く、逞しくなっているはずです。筋トレだってそうですよね。やればやるほど筋力はつく。ある程度まででしょうが、トレーニングの効果は如実に、あるいは徐々に現れてきます。
あなたは身に付いた〝書く力″で、自分の意に関わりなく選んだ言葉を展開していきましょう。あなたの朝があなたの文章によって、表現されるのです。そんなことを、できたら毎日続けてみて下さい。
さて、無作為に選んだ単語を文章化してみてどうでしたか。意外に難しかったでしょうか。それほどでもなかったでしょうか。あなたが字スケッチに回せる時間に、もう少しだけ余裕があるなら、さらに無作為に対象物を選んで、スケッチを続けてみてください。余裕があればで、いいです。ゲームに飽きたり、宿題をする気が起きなかったり、思いがけない暇ができたりしたときで、ね。
ええ、時間つぶしでいいのです。さっきも言いましたが、力を入れてはいけません。柔らかく、好きなように、気ままに、何にも囚われず。
本来、〝書く″とは自由なものなのです。自分を自由に解き放つためのものなのです。だから、制約を課してはいけません。この日までに、ここまでやらなきゃいけない。毎日、これをやらなきゃいけない。そういうのはナシです。本末転倒というか、書くことがノルマになり、目的になってしまうと困りますからね。
あなたの心のままに、書くことと向き合ってください。
ただ、もし、もしですよ、あなたがプロの作家になりたいとか、物語を一作でも完成させたいとかの想いを抱いているのなら、毎日、一行でも文章を書くことを、わたしはあなたに勧めます。地道な基礎トレこそがプロへの道となるのは、スポーツだけでじゃないんです。むろん、基礎トレ不要の圧倒的な天才というのはどんな世界でもいるのでしょうが。そういう破格の天才については、わたしは何も語れません。未知の領域なので。
書くことが好き。いつか自分の物語を書き上げたい。ずっと書き続けられる者でいたい。
あなたの中にそんな感情があるとしたら、あなたはノルマでも目的でもなく、自分のために自分の文章を綴ることができます。
あ、けれど、話が飛び過ぎましたね。ごめんなさい(断っておきますが、これは、横道入りではありませんから。悪しからずご了承を)。
では、次に移りますね。
今度は、そこに〝人″を加えてみてください。
そことは、あなたが選んだ題材のことです。わたしの場合はサラダとクラクションでした。そこに人を加えると……。
〈サラダの描写1.1〉
今朝、わたしはサラダを作った。レタスとブロッコリーとトマトと茹で卵とハム。それを3人前も作った。一つはわたしが、一つは弟が、一つは母さんが食べた。弟もお母さんもおいしいと言ってくれた。弟にわたしの茹で卵を半分、あげた。
〈クラクションの描写1.1〉
黒いセダンがクラクションを鳴らした。わたしは、すごくびっくりした。道を歩いていたおばあさんもびっくりしたようで立ち止まっていた。おばあさんは、わたしが歩き出しても、その場から動かずにいた。黒いセダンは、とっくに見えなくなっていた。
あなたの選んだ題材に人が絡められないとしたら、他のものに変えてもいいです。それか、人でなく鳥とか虫とかでもかまいません。何か別のものを加えて書き直す。それをやってもらいたいのです。できれば、生きていて動いているものがいいかなあ。それも、題材によりますよね。ここまでは、なるべく現実に忠実に、フィクションを加えないで、やってみてください。なるべくで、いいです。
でも、もし、辛かったら止めてくださいね。
朝は一日の始まりだけれど、いつも希望に彩られているわけではありません。
絶望とか失望とか、怯えとか落胆とか、そういう触れたくないものに繫がっていることもたくさんあるのです。朝の光が眩しければ眩しいほど心が沈むことも、空の色が美しければ美しいほど身体が重くなることも多々あります。
そういうときは、思い出さないで。何も考えずじっとしていてください。動かないことが、何もしないことが最良である。そんな日もあるのです。
そして、そろりとでも動けだせたとき、この字スケッチのことをちらっとでも思い出してくれたら……と、望みます。
では、このあたりで小休憩をとりましょうか。