俺たちはどう生きるか

【第2回 労働】俺の代わりはいくらでもいる ──自己責任社会で使い捨てにされる男たち〈後編〉

前回、清田さんが取り上げたのは、「辞めたくても辞められない」など、仕事をめぐってミドル世代が抱える問題でした。真面目に仕事をしていても低賃金だったり、会社からハードワークを押しつけられたり……。そうしたことも、すべて自己責任なのか? 清田さんがズドーンと衝撃を受けた何冊かの本の力を借りつつ、出口を探ります!

いつでも切り捨て可能な、都合よく使える労働者

 今の仕事に向いてないことや、満足な給料が得られていない現状は、自分の努力が不足しているせいなのか。身を置く業界が斜陽なことや、会社からハードワークを押しつけられていることは、はたして自己責任なのか──。前編では中年世代が抱える仕事の悩みを紹介しながら、その背後に自己責任論的な圧力が関係しているのではないかという方向に話が展開していきました。

 私が自己責任という言葉をぼんやり意識するようになったのは、20代の後半くらいだったように思います。当時は機動力だけが売りの駆け出しライターで、いつか自分の視点で文章を書けるようになりたいと思いつつ、編集者や先輩ライターから振られた仕事はなんでもやるという日々を送っていました。スズメバチがぶんぶん飛び交う山奥で野宿をさせられたこともあったし、東日本大震災の直後に福島第一原発まで取材に行かされたこともあった。確かに刺激的な仕事と映っていたけれど、あのとき自分の身に万が一のことが起きていたら、おそらく誰からも助けてもらえず、あっさり〝使い捨て〟にされていた可能性が高い。怖い、怖すぎる……。もしかして私たちが最も恐れているのは、社会から「交換可能な存在」としてないがしろにされ、自分自身になんの価値も感じられなくなってしまう瞬間かもしれません。

 そんな問題を深く考えさせてくれるのが、生田武志さんの『ルポ 最底辺──不安定就労と野宿』です。社会人3年目の2007年秋、同業者の先輩に声をかけていただき、「日経ビジネスオンライン」というサイトで初めて書評の仕事を担当しました。私にとって新たな挑戦となるような仕事であり、取り上げる本も自分で提案してよいということで、その1冊目として張り切って選んだのがこの本でした。これはホームレス支援の活動に関わる著者が日雇い労働をめぐる問題をまとめた一冊で、帯文で「若者に告ぐ!」と大きく打ち出されているように、若者の貧困や不安定就労の話にまで接続されている点が特徴でした。

 いわゆる「ドヤ街」(おもに日雇労働者を対象とする簡易宿泊所が集中する地域)の一つで、日本最大の「寄せ場」(日雇い労働の仕事を求める人と、求人業者が多数集まる場)として知られる大阪・釜ヶ崎(あいりん地区)の実情を報告したこの本には、日雇い労働の仕組みや野宿者の抱えるさまざまな事情、宿泊所の生活模様や賃金のピンハネ問題など、複数の視点から寄せ場やドヤ街の内実が描かれていました。学生時代から釜ヶ崎で働きながら支援活動を続けてきた生田さんが、炎天下の建築現場で汗を流し、重労働でケガを負い、労働者の強烈な体臭が染み込んだドヤ(簡易宿泊所)の布団で夜を過ごし、真冬には夜回りで野宿者を訪ね歩き、生活保護の申請に付き添い、ときに路上死の現場にも立ち合いながらつづっていく実情はとにかく壮絶で、「不安定就労」と「野宿」が一直線でつながっていることを痛感。そんななか、個人的に最も響いたのが「調整弁」という言葉でした。

 ではなぜこのような「日雇い」という労働形態があるのだろうか。建築土木の現場では使う労働量が日々変動する。天気がいいと仕事があるが、雨が降ると屋外の現場の多くがストップする。また、空港建設などの大きなプロジェクトがあると仕事量が急増するが、それが終わると労働者は必要なくなる。建築土木産業は、こうした労働者数の増減を調整するため、日雇労働者を使うシステムを作り上げた。

 (中略)好景気で建設・土木の仕事の多いときには、センターに手配の車が押し寄せ、労働者は仕事を選び放題という状態になる。しかし、景気が後退して仕事が減ると、センターには手配の車が激減し、いくら仕事を探しても見つからない「アブレ地獄」が続く。こうして、日雇労働者は好景気では目一杯使われ、不景気時では一気に就労から切り捨てられるという「労働力の調整弁」「景気の安全弁」として使われ続けていた。(『ルポ 最底辺』第1章より)

 いかがでしょうか。なんとも恐ろしい言葉に感じませんか……? 調整弁や安全弁とはつまり「いつでも切り捨て可能な、雇う側にとって都合よく使える労働者」という意味だと思いますが、それは私にとっても他人事ではありませんでした。前編で紹介したようにライターは基本的に発注待ちで、声をかけてもらえないことには仕事が始まりません。当時はまだ景気のいい時代で、雑誌の売れ行きが好調だったり、新規メディアが立ち上がったりしたときにはたくさんの仕事が舞い込みましたが、他方で休刊や廃刊、あるいは担当者が代わったときにはなんの連絡もなく仕事が途絶えてしまうこともザラで……そういうなかで搾取やピンハネ、タダ働きやパワハラなど、私も理不尽な扱いを幾度となく受けました。『ルポ 最底辺』には、日雇い労働者が経験してきた不安定就労の問題が、フリーターや派遣労働者として働く若者たちにも及んでいる実態も描かれており、自分もその構造の中にいることを実感するような読書体験でした。

〝使い捨て〟への恐怖とその原体験

 市井に生きる〝普通の人々〟の話に耳を傾け、それを一篇の「ノンフィクション・コラム」に仕上げる上原隆さんの著作には、会社という組織の中でひどい目に遭った男性たちがたびたび登場します。老若男女いろんな人の物語が描かれているので、必ずしも中年男性の話ばかりではないのですが、「自尊心の危機が訪れるなか、人はどうやって自分を支えるのか」という問題意識を持って人々の人生に分け入っていく上原さんのコラムを読むと、男性にとって仕事が占める割合の高さを思わずにはいられません。

 例えば大手印刷会社で長年働いてきたとある男性は、会社の既定によって55歳で子会社へと異動。張り切って働き始めたものの、親会社から来た人間に反感を持つ部下たちから冷遇され、一年で髪の毛が真っ白になるほどのストレスを体験しています(『にじんだ星を数えて』所収の「職場」より)。また45歳のとある男性は、派遣社員として働いていた会社から正社員の誘いを受け、雇用が安定したことを機に結婚してマンションも購入。社内のコンピュータ管理を一手に担う仕事にやりがいを感じていた矢先、人事異動でやってきた上司からパワハラに遭い、転職活動を余儀なくされています(同書、「あいつさえいなければ」より)。

 さらには、新卒採用で20年間勤めた会社から突然の退職勧告を受けた45歳の男性や、高卒で入社した百貨店が早期退職者を募っていることを新聞記事で知った55歳の男性、会社から希望退職の対象にされ、長年やってきた仕事が評価されていなかったことに絶望してうつ病を発症した44歳の男性など……(『晴れた日にかなしみの一つ』所収の「希望退職」より)。これらを読むと、たとえ大きな会社の正社員という身分であっても、常に〝使い捨て〟の恐怖と隣り合わせであることを痛感します。

 私の中でこのテーマが切実なものとなった原体験は、おそらく自営業者だった父親の姿を見ていたことにあります。父は東京の下町にある小さな商店街で電器屋を営んでおり、私が子どもの頃はバブル景気でかなり繁盛していました。商店街はいつも活気に溢れ、ボーナス商戦の時期は家電も飛ぶように売れたそうで、万札でお店のレジが閉じなくなったこともあったとか。当時は小売店の立場も強く、家電メーカーの担当さんが私を幼稚園まで営業車で迎えに来るなど、今では信じられないようなことがいろいろありました。しかしそれは90年代前半までの話で、バブルが弾けて本格的な不況が叫ばれるようになって以降、目に見えてお店の売り上げは減っていきました。中学生のときには、近所にあった持ち家を売り、お店の借金を返済。電器屋の店舗面積を半分にして裏手に居住スペースを無理やり作り、6歳下の妹と一緒の部屋になるなど、子どもの立場からもはっきりと自覚できるほど苦しい暮らしが始まりました。

 父の仕事は、在庫を抱えるリスクのある家電販売から、身につけた技術で手間賃を稼ぐ電気工事へと徐々に移行していきました。国道沿いに大型の家電量販店が次々と誕生し、価格でも品揃えでも、もはや個人商店では太刀打ちできない時代に入っていたのも大きかったと思います。かつて家電メーカーの営業さんたちから「社長」と呼ばれていた父が、工務店や量販店から修理や取り付けの仕事を請け負う〝業者さん〟になり、工事の手伝いによく駆り出された私から見ても、父はお世辞にも尊重されているとは言い難い扱いを受けていました。例えば炎天下の屋上で行うアンテナの取り付け工事や、大きなハチの巣がぶら下がる屋根の真横で行う照明器具の交換工事……ネズミの糞が大量に散らばる天井裏で配線関係の修理をしたこともあったし、落ちたら死ぬであろう高所でエアコンの室外機を取り付けたこともありました。

 お店では、量販店の価格を引き合いに出すお客さんから強気の値引き交渉をされていたし、ツケで取引をしていたほど信頼関係のあった社長さんの会社が倒産し、夜逃げされて売り上げを回収し損なったこともあった。楽観的なのかなんなのか、父からはさほどシリアスな空気は感じませんでしたが、かつてバブル景気に沸いた日々を目撃した身としては、その落差が長期的なトラウマとして刻まれていったように感じます。

 そんな心の傷を刺激されたのが、音楽家でエッセイストの寺尾紗穂さんが書いた『原発労働者』でした。東日本大震災から4年がたち、原発をめぐる報道が〈ぐっと少なくなった〉2015年に出版されたこの本には、原子力発電所の定期検査やメンテナンス、内部清掃や事故処理など、現場で働く人たちの肉声が記録されています。

 現場の作業員には常に被曝のリスクが伴い、大量の放射線を浴びれば甚大な健康被害につながりかねない。だから放射線量や作業時間には上限が設けられ、一応は安全管理がなされているが、それでも不測の事態はたびたび起こるし、効率化や予算の削減によって工期がどんどん短縮されていく現実もある。作業現場は過酷な環境で、例えば安全のために防護服や防毒マスクの着用が義務づけられているものの、空調設備のない現場もザラだという。こうしたなかで、制限時間を無視して作業に当たったり、暑さや苦しさのためにマスクを外して作業せざるを得なかったり……しわ寄せが作業員に集中していく構造が、さまざまな証言を通じて浮き彫りになっていきます。

 とりわけグロテスクだったのは、〈原発の労働者は東電に雇われている訳ではない〉と書かれているように、孫請け、ひ孫請け、ときにはそれ以上……と、そこに何重もの〝下請けシステム〟が絡んでいたことです。こうしたなかではどうしても権力構造が発生し、危険を顧みない作業が現場の自己判断として黙認されたり、契約を切られることを恐れた下請け会社がミスや事故を隠蔽してしまったりする。さらには、危険な作業を担わされる人の多くが日雇い労働者や外国人労働者だったりで、何かあったとしても公式の記録に残ることはほぼない。もちろんそれがすべてではないにせよ、こうした実態が隠されることで、〝安全〟かつ〝クリーン〟な原発のイメージが演出されているとしたら、本当に恐ろしいことだと感じざるを得ません。

 ここで描かれていることを自分の体験とイコールで結ぶのは乱暴だし、労働者たちの当事者性に対する「タダ乗り」になってしまうとも思います。それでもなお、強いリアリティを感じたのは、どちらにも共通するメカニズムが働いているように思えてならないからです。父は炎天下の作業で熱中症になり、2階のベランダから落下して怪我をしたこともありました。私自身も冒頭に書いたように、体験記を書くためスズメバチがぶんぶん飛び交う山奥で野宿をさせられたり、東日本大震災の直後に福島第一原発まで取材に行かされたりしました。学びの多い経験ではありましたが、それらの仕事に社会的な意義があったかというと正直疑わしく、「丸腰で野宿したらどうなるか検証してきて」「潜入できたらすごいから、第一原発まで行ってきて」くらいの軽いノリだったことは否めません。放射線漏れがどの程度なのかもわからないなか、渡されたのは雨合羽のような薄っぺらい防護服のみです。あのときスズメバチに襲われていたら、あのときの被曝で健康被害が発生していたら、自分は一体どうなっていたのか……。上司も顧問弁護士もいない小さな下請け会社に所属する駆け出しライターが、断るという選択肢もあった中で引き受けた仕事であり、おそらく〝自己責任〟で処理される可能性が高かっただろうなと、改めて思います。

「誰も俺の味方になってくれない」という孤独感

 自己責任論は根強い。とりわけ新自由主義的な価値観が浸透した今の時代にあっては、ますますその傾向が強まっているようにも感じます。現状がしんどいのは結局のところ自分のせいだし、それが嫌なら頑張って這い上がるしかない──。そんな感覚は、誰の中にも少なからずあるんじゃないかと思います。でも、『ルポ 最底辺』や上原隆さんの著作、また『原発労働者』などが如実に描き出したように、自己責任論には雇用主や発注者──つまり権力を持つ側にとって都合がいいという側面があるわけですよね。そこに乗っかることは、めぐりめぐって自分たちの首を絞めてしまうことにつながるような気がしてならないのです。

 改めて前編で紹介したお悩み事例に立ち返ってみると、仕事に飽きている人も、働くことに疲れてしまった人も、クライアントから雑な扱いを受けている人も、派遣で働く自分の10年後に不安を感じている人も、現場仕事と管理業務のハードワークにさいなまれている人も、みんな「動きたくても動けない」という葛藤を抱えていました。背後には自分ではどうにもできない事情があり、そういうなかでなんとか頑張って踏みとどまっているのが、それぞれの現在地でした。

 私は自己責任論を危険なものだと思っているので、本当は「すべて社会のせいだ!」くらいに言ってしまいたい。会社や政治にこそ問題があるのだと訴え、個人個人が背負わされすぎている〝責任〟を少しでも軽くしたいというのが個人的な思いです。でも多分、みんな「会社の文句を言ってるだけでは何も変わらない」と思いながら我慢と努力を重ねているのが現状のはずで、それを踏まえた上でどう考えていけばよいのか……。

 我々の抱える不安や苦しみには、巨大な構造が関係している。これは間違いないことだと思います。「構造」というのは、わかるようなわからないような言葉ですが、それは例えば組織とか制度とか役割といった、ある種の〝ハード〟や〝枠組み〟として機能しているもので、工場の巨大な機械を思い浮かべるとイメージしやすいかもしれません。そこには鋳型やベルトコンベアがあり、いくつかの行程を経てガッチャンガッチャンと同じような状況が生み出されていく。私たちはおそらく、そうやって量産された共通体験を〝あるある〟と呼んでいるのではないかと思うのです。

 彼は、交換可能な存在として扱われることへの不満を書いた。派遣労働者である彼は、簡単にクビ宣告されたかと思うと、次は一転してクビ延期を通告された。「道具として扱われている」と感じた。

 とにかく、会社が自分を必要としているという実感はなかった。加藤の担当している仕事は、誰がやっても務まる仕事だった。他ならぬ彼でなければならない理由がなかった。いつでも付け替え可能。どこに行っても代替可能。自分の「かけがえのなさ」を実感することなど皆無だった。

 だから、加藤自身もリアルな世界を交換可能な存在として扱った。職場なんて、イヤになったら放棄してしまえばいい。ある日、突然「ばっくれて」飛べばいい。リアルな世界に、もう帰るところなんてないんだから。現実の人間関係なんてリセットすればいいんだから。

 加藤は、そろそろ飛ぼうと思った。職場を放棄して、新しい環境に身を置こうと思った。今の状況はもう限界だった。(『秋葉原事件』第5章より)

 これは、政治学者・中島岳志さんの著書『秋葉原事件──加藤智大の軌跡』の一節です。2008年6月8日に秋葉原の路上で発生した無差別殺傷事件にフォーカスしたノンフィクションで、犯人の生い立ちや人間関係、生活の様子やネットへの書き込み、仕事の状況や時代背景などを丹念に取材しながら、事件の背景にあったものを立体的に描き出していきます。私が最後にこの本を紹介したかったのは、「交換可能な存在」として扱われることの虚しさ、「誰も自分の味方になってくれないんじゃないか」という孤独感こそ、私たち中年男性の抱える悩みの中核にあるものだと感じられてならなかったからです。

 できるだけ安い賃金で働かせたい。いつでも切り捨てられるようにして、リスクをなるべく抑えたい。働く人間を〝コスト〟と見なす社会では、いろんな仕組みを作る上で、また変える上で、雇う側のそのような思惑が巧妙に反映されていきます(派遣労働の規制緩和などはその典型例と言えますよね)。それらはときに「合理化」や「イノベーション」など、利潤や生産性を追求するための手段と見なされることすらある。そういった力学が働く構造の上に私たちの労働が存在していることを考えると、「不満を言うな」「言い訳するな」「苦境は努力で乗り越えろ」「組織に甘えるな」といった自己責任論が、いかに雇う側に便利なロジックであるかを改めて痛感させられます。

 給料が安いことは、無茶な納期や予算で仕事をさせられることは、家族のために働かざるを得ないことは、すべて自己責任なのか。雇用の調整弁として利用されてしまった日雇い労働者は、「希望退職」という名の下で切り捨てられた会社員は、危険な場所で過酷な労働に従事させられた原発労働者は、はたして自分のせいなのか。どれだけ追い詰められていても無差別に殺し傷つける行為は圧倒的に許されないものですが、かと言ってその遠因となったはずの社会構造にはなんの責任もないのか……。

 仕事がすべてじゃないとよく言うし、実際にその通りだとも思います。でも、仕事の成果や能力と自分の価値とを知らぬ間に直結させられてしまうような圧力がこの社会には渦巻いていて、そこから逃れるのはとても難しい。上原隆さんのコラム「希望退職」に登場した男性たちは、会社を〈誰かに認めてもらえる場所〉〈自分の人生そのもの〉だと言い、働く仲間たちの存在の大きさを語っていました。秋葉原で凄惨な事件を起こした犯人も、派遣切りにあった際に〈工場の人間関係が良かったので、彼らとの関係を続けたかった〉という言葉を残しています。仕事は居場所にもなるし、自尊感情の源にもなる。自分の意思で、自分の価値観で、自分のペースで働けたらいいなと思うけれど、どうしても会社からの評価を気にしてしまうし、限られた選択肢の中では「ここでダメでも他がある」とはなかなか思えない。「自分の代わりはいくらでもいる」という感覚は、想像以上に私たちの心身を蝕むものかもしれません。

 おそらく、この社会の現実に適応しようとするなかで身につけてしまうのが、自己責任論的な発想です。権力者にとって都合のいいロジックを内面化することで、社会がますます権力者にとって都合のいいものになっていくとしたら……なんとも皮肉なことだと感じませんか? だからこそ私たちは、自分の中に自己責任論的な発想が染みついていないか、改めて点検してみる必要があるのではないか。その感覚は構造によって植え付けられたものかもしれないという視点でこの自己責任社会を見つめ直し、「そんな中で俺たちよくやってるかもね」「非難し合うのではなく、心配し合う感じになっていけたらいいよね」という発想にシフトしていくことこそ、今を生きる私たちに必要なアクションだと私は考えています。社会構造はすぐには変えられないけれど、そういうなかで見知らぬ〝俺たち〟との連帯感を醸成していくことができれば、中年男性の抱える孤独や虚無感も少しずつ和らいでいくのではないかと思うのです。

 

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