人生がときめく知の技法

第1回 元祖・自己啓発哲学者、エピクテトスって?

山本 またえらいタイトルの連載がはじまっちゃったね。

吉川 うん。ついにこの日が来たかっていう。

山本 どういう日だよ。

吉川 だってエピクテトス先生について存分に語れる機会だよ! なんといっても我々の心の師匠だからね。

山本 そう、直接教えを受けたわけじゃないんだけどね。なにしろ2000年前の人だから、話を聞きに行くわけにはいかない。いわゆる私淑ってやつです。

吉川 うん。我々が勝手に師匠呼ばわりしているだけ。でも、なにか悩みごとが生じたり判断に困ったりしたとき、エピクテトスの言葉がどれだけ心の支えになったことか。

 

パスカル、漱石をとりこにした『人生談義』

山本 「誰だそれ?」という人のためにちょっと説明すると、エピクテトスは紀元12世紀のギリシャ・ローマで活動した哲学者で、「ストア派」と呼ばれる哲学流派の代表格。奴隷の身分から身を起こして哲学教師として生涯を閉じるという波乱の人生を送った人でもあります。すでに当時から尊敬を集めていたけれど、後世の人びとにも大きな影響を与えているね。モンテーニュやパスカル、それに夏目漱石なんかも愛読者だった。

吉川 じつは著書は一冊もないんだよね。エピクテトスは、彼が尊敬するソクラテスと同じように、物を書かない人だったから。でも幸運なことに、彼が弟子たちに語って聞かせた言葉の一部が書き留められて、『人生談義』という本にまとめられた。漱石たちが愛読したのもこれだね。

山本 この『人生談義』が傑作なんだよね。「談義」というくらいで、弟子や来訪者から寄せられる相談にエピクテトスが答える様子が記されている。宇宙や世界の原理とか成り立ちといった抽象的なことを語る本ではない。古代ギリシャ時代の人生相談といったらいいかな。仕事や人間関係、お金や地位といった日常的な問題がテーマになっている。

吉川 2000年も昔のおっさんの話を聞いてなんになる? なんて思うかもしれないけれど、さにあらず。この『人生談義』ほどためになる本はないよね。我々がふだん抱くような悩みなら全部対応できちゃうんじゃないかっていうくらいの勢い。

山本 むしろいまの時代ほどエピクテトスの教えが必要な時代もないんじゃないかな。なんというか、社会の全体を不安が覆っているしね。経済の停滞と格差の拡大、雇用の流動化にともなう就職難、若年層や女性の貧困といった経済的動揺に、隣国との関係悪化やヘイトスピーチの蔓延、憲法問題といった政治的動揺。

吉川 個人としても社会としても、明るい未来を思い描くことがむずかしくなってきているよね。こういう社会不安を思えば、自己啓発書が大流行するのも当然のことかもしれない。こんな世の中だけど、なんとか人生をときめかせたいって。

山本 でも、じゃあってんでそういう本を実際に読んでみると……不安に加えて困惑が広がるよね。いろいろありすぎて。自分を変える方法について熱く語るかと思えば、ありのままの自分を大切にと優しくささやいたり。

吉川 いったいどっちなんだ! って突っ込みたくなるね。これじゃときめくどころか、かえって混乱するよ。

 

どんな自己啓発書にも負けない、賢人の智恵

山本 そこで考えたんだよね。そういうことなら、この際、我々がエピクテトスの教えを現代に伝える役目に挑戦してみようじゃないかって。エピクテトスこそ、その名も『人生談義』という書名が語るように、あらゆる哲学の故郷である古代ギリシャで自己啓発を実践した、元祖・自己啓発哲学者というべき存在だからね。

吉川 うん。エピクテトスこそオリジネーター。我々もよく、「エピクテトス先生だったら、こんなときなんて言うだろう?」「現代に生きていたらどうするだろう?」「インターネットに降臨したら?」なんて語り合ったもんだよね。2000年後の不肖の弟子たる我々の悩みや問題にも、師匠ならきっと答えてくれるに違いないって。

山本 しかも、当たり前のようでいて大事なポイントは、エピクテトスの哲学というのが、誰にでも使える知の技法だってこと。特定の資質や才能をもった人にだけ向けられたものではないし、はたまた霊感とか超能力とかいう特殊能力も必要ない。ものの道理を理解しようとする気があればそれで十分。彼は哲学者として、あくまで理詰めでものを考える人だったからね。

吉川 だからこそ時代を超えて人の心に響くわけだ。エピクテトスの哲学には、「きみにはいったいなにができるのか」という根本的な問いを、その人となりに合わせて立てることを教えてくれるようなところがあるからね。いいかえれば、ひとりひとりが個人的な問いを立てるそのやりかたを、万人にたいして教えてくれるようなところがある。

山本 そういうわけで、人生がときめく知の技法を賢人エピクテトス先生から学んじゃおう、というのがこの連載の趣旨になります。

吉川 そのまんまだね。楽しくも苦しくもある現代社会で、いかに幸せに、そしてよく生きていくことができるか? どんな自己啓発書にも負けない、古代ギリシャの賢人の知恵にぜひ触れてもらいたい。そこにはシンプルで力強い「人生がときめく知の技法」が詰まっているはず。

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