ブコウスキーの小説を読むといつも思うのですが、この人とんでもなく面白いけれど、面倒くさい人間なのか、破綻しているのか、もしくは、まじめすぎるのか、よくわからないし、いろいろ大変そうだけど、生活は大丈夫なのか、もう少し楽にやっていけないのだろうか、そんでもって、やっぱり酒飲みすぎなんじゃないか、などなど、自分がお節介になっていきます。
もちろん、そのような男が衒いなく書かれているから、ブコウスキーの小説は面白いのだし、そこが魅力だというのもわかるのですが、「どうにかならないもんかね」と小言を言いたくなります。当人にそんなことを言ったら、「余計なお世話だ、この野郎」と怒られて、「ふざけんな」と殴られてしまうでしょう。
酒飲んで、二日酔い、便所にいって、仕事して、部屋に女がやってきて、イカレた男もやってきて、喧嘩して、セックスして、酒を飲む。バーに行っても喧嘩をして、殴られたり、殴ったり、で、酒を飲む。競馬場に行って、勝ったり、負けたり、そして酒を飲む。
浅草に住んでいたとき、こんな感じのおっさんが、場外馬券場付近に結構いましたが、ブコウスキーの場合、そんな自分のことを作品にしているのです。このようなおっさんが、どんなことがあっても、とにかくタイプライターに向かって創作していた、ということだけでも驚愕ですし、書くことをやめなかったのは、それが救いでもあったのでしょう。
ブコウスキーは書くということがあったから、完全にヤバいところに落ちていかなかったのかもしれません。いや、すでにヤバいところにはいたのだけれど、しぶとくやっていけたのかもしれません。
自分は、ブコウスキーと一緒に酒を飲んだら、楽しいのかどうかと考えたことがあります。最初は、なごやかに飲んでいても、だんだん険悪な空気が漂い、突然怒られたりして、面倒なことになりそうなので、やっぱりやめといたほうがいいと思いました。
しかし今回、『ブコウスキーの酔いどれ紀行』を読んだら、やはり一緒に飲んでみたかったなと思いました。というよりもブコウスキーが酒を飲んでいる姿を生で見たかったと思いました。浅草の場外馬券場あたりの飲み屋で、ブコウスキーが酎ハイを飲んでいる姿なんて想像するだけで、わくわくします。
ブコウスキーの魅力は、破天荒なところであるとされているのですが、それよりもじつはチャーミングなところではないかと、わたしは思うのです。
『ブコウスキーの酔いどれ紀行』には、そんな彼のチャーミングさが満載でした。本書でのブコウスキーは、あいかわらず酒を飲んでいるし、喧嘩もしているけれど、どん底から抜け出した、清々しさを垣間見ることもできます。
それまでわれわれ読者は、ブコウスキーと共に、糞詰まり状態の人生を経験してきました。もちろんそれを楽しんで読んではいたのですが、冒頭で書いたように、わたしは、「どうにかならないもんかね」と常に思っていたのです。
本書を読んで、それが「どうにかなった」と思うことができました。ですから、酒を飲んでいても「飲んじゃえ飲んじゃえ」、喧嘩も「やっちゃえやっちゃえ」と後押ししたくなります。なぜなら、ブコウスキーが、この上なく楽しそうだからです。
この旅では、飛行機に乗るのも、朗読会も、鉄道の移動も、やたらとトラブルがあって、そこもブコウスキーらしいのだけれど、普段なら怒ってそうな場面でも、なんだか楽しそうなのです。そこには、チャーミングな、チャールズ・ブコウスキーがいました。
偉そうにすいませんが、わたしは「本当に、よかったじゃないですか、ブコウスキーさん」と言いたくなるのでした。
大好評『パルプ』に続くちくま文庫のブコウスキー第2弾は、伝説的カルト作家の笑えて切ないヨーロッパ旅行記! PR誌「ちくま」4月号より、昨年『のろい男 俳優・亀岡拓次』で第38回野間文芸新人賞を受賞された作家の戌井昭人さんエッセイを公開。
駄目駄目な作家を見守る優しい眼差しが温かい、ブコウスキー愛あふれるエッセイです。