ミステリには何故観光が出てくるか
わたしはミステリ・ファンで、エドガー・アラン・ポー、コナン・ドイルなどの古典から、本格派、ハードボイルド、サスペンス、スパイ・スリラーその他、幅広いジャンルにわたって、文字通り万巻のミステリを読んだと自負する者だが(ああ、それだけの時間を研究にあてていたら、どれだけマシな学者になれていたことか)、日頃から気になっていることがある。
それは観光という自分が専門としている分野と関係するのだが、ミステリには、事件が起きる舞台が観光地や交通機関(鉄道、飛行機、客船など)というケースが非常に多いことだ。テレビでミステリ番組など見ていると、観光を取り除いてしまったら何も残らないのではないかと思われるものさえある。そういう場合、探偵役も旅行作家とか旅館の若女将とか、観光関係の職業に就いていたりすることが多い。
理由としてまず思い浮かぶのは、読者の興味をひくツールとして、観光を使っているというものだ。例えば、松本清張のミステリは厳しい社会批判に満ちているが、あれほど登場人物たちに日本各地を(出張の形で)回らせなければ、戦後日本を代表するベストセラーになることはなかったのではないか。また、それだけ彼のミステリは、未だ貧しく、娯楽としての観光にはなかなか行けないものの、小説を読んで旅への願望を紛らわせ、出張の際に名所に立ち寄っていた当時の日本人たちをあらわす時代的表現となっている。
観光と関わったミステリは、テレビや映画で映像化されるとますます効果を発揮する。トリック、アリバイ崩し、動機など、どうにも話が理屈っぽくなるところで、観光地のようすや話題の乗り物を映像の形で盛り込むと、視聴者にわかりやすく、内容にも広がりをあたえるのだ。
ミステリと観光のドッキングは、小説における内容への効果だけでなく、舞台とされる地域にも大きなメリットをもたらす。取り上げられた舞台を一目見ようと観光客が押しよせるからで、地域を舞台にしたミステリを作家に依頼したり、文学賞として公募する例もある。英国でも一九三〇年ごろ、ある島の自治体が、当時売り出し中の作家アガサ・クリスティーに、宝探しの短編「マン島の黄金」を書いてもらっているほどだ。
最近のわが国では映画やテレビの撮影に利用してもらおうと、地元がフィルム・コミッションなどの組織を設け、大々的に誘致している例もある。もっとも、かつての映画『ゼロの焦点』(原作:松本清張、監督:野村芳太郎)のように、ラストに出てくる断崖が自殺の名所となってしまう物騒な例もあるからご用心だが。
このようにミステリは単に犯人やトリックによって構成されたフィクションであるだけでなく、時代の夢や憧憬、欲望、倫理や道徳、そして生活様式の反映に他ならない。だから、ミステリを観光から見ることは、そうした表現をより鮮明にさせることになるだろう。
ミステリは観光と同い年?
このように今やミステリと観光は切っても切れない関係にあるが、ミステリは『カンタベリー物語』『デカメロン』など、巡礼や保養で集まった人々が夜に語り合った小話にその起源が見出されるというから、もともと近しい関係にあったと考えてよさそうだ。
一九世紀の英国は産業革命の成果によって、ロンドンなど大都市の出現や、貿易と金融を中心としたグローバリゼーション、新聞などマスコミの登場など、現在のわれわれの社会的様式が始まったといわれる時代である。そしてこの時代、今のわれわれが親しんでいる形でのミステリと観光も同時に始まった――一八四一年という同じ年、偶然に。
この年四月、アメリカでエドガー・アラン・ポーが、世界最初のミステリといわれる短編「モルグ街の殺人」を、雑誌《グレアムズ・マガジン》に発表している。このあと「マリー・ロジェの秘密」「盗まれた手紙」と同じ探偵オーギュスト・デュパンが登場する作品が相次いで発表されることから、デュパン三部作と呼ばれる。作者はアメリカ人なのに、舞台はパリという組み合わせだ。しかも、二〇世紀を代表する文芸批評家ヴァルター・ベンヤミンが評論『パサージュ論』で推察しているように、このデュパン三部作はポーが少年時代をロンドン、すなわち当時人口二〇〇万を越す世界最大の近代都市で過ごした経験が大きかったといわれる。一〇〇万都市では、人口は莫大な反面、それは見知らぬ人ばかり、しかも過密な環境が公害や犯罪などを起こしやすい。そうしたロンドンで味わった経験を、ポーは同じように一〇〇万都市で、首都警察をロンドンより早く整備し、しかも雑誌の読者を旅の興味へと誘うパリへと変えたのに違いない。
同じ一八四一年七月、英国のバプティスト派布教士トマス・クックが、イングランド中部の都市ラフバラで禁酒運動大会を開催するにあたり、鉄道による運賃値引きを利用した団体ツアーを組んでいる。このツアーは単なる鉄道運賃の割引だけでなく、禁酒運動大会自体も楽しいイベント仕立てにして、クリケットなどのスポーツ競技や、「キス取りごっこ」「ハンケチ落とし」など独身男女が楽しめるゲームを行い、昼食にはサンドウィッチと紅茶を提供するといった、参加者が楽しめる配慮に満ちたツアーだった。このツアーが近代観光業(ツーリズム)の端緒といわれるのは、成功に味をしめたクックが、世界史上初の旅行代理店業を開業するに至るからである。
ちなみに、一八四一年の英国は、ヴィクトリア女王が即位して四年目、紡績など製造業が他の先進国を圧倒して、国中に鉄道が敷かれ、首都ロンドンの人口は五〇年前の倍以上である二〇〇万を突破している。インドなどの植民地化を進め、阿片戦争では清を屈服させるなど、内外ともに大英帝国は隆盛期にあった。
その隆盛を英国国民たちに実感させたのが、一〇年後の一八五一年に開催されたロンドン万国博覧会だった。展示された世界中の文物や工業製品を見ようと国中の人が、会場のロンドンのハイド・パークに押し寄せ、旅行代理店を始めたばかりのトマス・クック社も大々的にツアーを組んで、ビジネスを発展させていく。ミステリの世界でも、識字率が高まったおかげで本や雑誌が売れ、チャールズ・ディケンズ、ウィルキー・コリンズなど先駆者たちによるミステリが娯楽小説として親しまれていった。産業革命の発展で増えてきた各々の余暇を、屋内ではミステリの読書、屋外では国内外の観光で、人々が楽しみはじめた時期である。