『5まで数える』

収録短編「やつはアル・クシガイだ」全文ためし読み
松崎有理『5まで数える』刊行記念 特別全文ためし読み

松崎有理さんの新刊『5まで数える』の刊行を記念して、同書収録で「ちくま」連載時から評判が高くシリーズ化を希望する声も多い、疑似科学バスターズが活躍するネオ・ゾンビ小説「やつはアル・クシガイだ」を全文公開します。単行本『5まで数える』にはこの物語の前日譚「バスターズ・ライジング」が収録されていますので、バスターズにまた会いたいという方はぜひそちらもお読みください。


 もと奇術師の予感は的中した。ぼくたちが夕方に事務所へ帰りつくころにはもうつぎの事件が発生していた。強力な銃で被害者の頭を吹き飛ばした、という殺害方法は一致している。つづいてまた一件。さらに一件。
 「なんてことだ」ぼくは事務用デスク上の大型モニタの前で頭を抱えた。「さいしょの犯人、逮捕直前にネットワークへショートコメントを流していたんです。それが拡散してる、すごい勢いで」
 「どんなのだ」ふたりが背後から画面をのぞきこんできた。
  アル・クシガイ発生。同志たち、行動せよ
 「はやい。ネットワークのおかげで、魔女狩りシークエンスはかつてないほどに加速している」さすがのワイズマンも顔色をなくしてテーブルについた。ホークアイが無言でその向かいに座る。
 「なんですか、そのなんとかシークエンスって」ぼくはモニタの前から椅子を回して振りかえった。
 「マコト。中世の魔女狩り騒動は知っているか」ワイズマンが額の髪をうるさげに指で払うと顔をあげた。「構造は同じ、集団ヒステリーだ。歴史的には姿を変えてなんども発生している。ペスト流行時なら、特定の少数民族が井戸に毒を入れていると噂されリンチが行われた。直近であれば、近親者からの性的虐待の記憶を回復したという訴訟があいついだことがあったろう」
 集団ヒステリーは一般につぎのような経過をたどる。一、だれかが盲信にもとづき被疑者を告発する。その内容は、性犯罪や危険な感染症など疑いだけで相手にダメージを与えるものである。被疑者が否定するほど疑惑は強まる。
 「この初期段階でいちばん困った点は、魔女や性犯罪や感染症キャリアの疑いは反証不能またはひじょうに困難であること。魔女裁判の不毛さはとくに有名だ。縛った被疑者を水に放りこんで浮かんでくれば有罪、沈んだら無罪とする。どちらにしろ被疑者は死ぬわけだ。アル・クシガイ疑惑ももちろん反証不能だろう。すでに死んでいないことを証明するには死んでみせるしかない」
 二、集団内でさいしょの事件の話が広まると、すぐ追随者があらわれる。三、こうして告発件数が急速に増える。四、告発の勢いが頂点に達する。集団内のだれもが被疑者という状態になる。五、逆転が起こる。被疑者からの法的な逆襲、告発者を告発する。ないし懐疑主義者による告発の検証が広く認められる。六、大衆は事件への興味を失い、騒ぎは収束する。
 「この、検証の段階をなるだけ前倒しにして収束に導くことがバスターズの使命だ」高IQ科学者はつづける。「だが、近年のネットワークの発達が告発増加の段階をけたちがいにはやめている。検証し、その結果を公表して浸透させるための時間が足りない。しかも近代に入って集団規模が拡大したため被害は大きい。もたもたしていると被害者数は増えるばかりだ」
 急激に血の気が引いていくのを感じた。「ど、どうするんです」
 「策はある」ホークアイが口を開いた。「あいつを出そう。毒には毒を、盲信には盲信を、だ」
 「まさか。あいつって」ワイズマンが声を高くした。「あいつか。いや、だめだ。あいつを牢に入れるまでにどれほどの被害が。おまえの、その手だって」
 だがもと奇術師は十年来の相棒のことばをさえぎった。「あいつの超能力は真っ赤なにせものだが、メンタリズムの技術に裏打ちされたカリスマ性はほんものだ。漆黒の鴉も純白の鳩だと信じさせるような説得力にはおれも脱帽する。条件つきで利用しようじゃないか」
 「あいつ、って。だれですか」ぼくはふたりを交互にみた。
 答えたのはホークアイだった。「ロクスタ師だ」

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筑摩書房

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