ちくま文庫

新子の前にあるもの
ちくま文庫『マイマイ新子』解説

アニメ映画『この世界の片隅に』のルーツとして再注目されているアニメ映画『マイマイ新子と千年の魔法』。その原作小説の文庫化にあたって、片渕須直監督が解説を寄せました。

 髙樹のぶ子さんの『マイマイ新子』に出会ったのは、最初の単行本化からそれほどたたない時期だった。当時所属していたスタジオのプロデューサーから紹介されて読んだ。このプロデューサーは『マイマイ新子』の舞台と同じ山口県の出身で、
「自分の子ども時代に遊びまわっていた風景を思い出す。こうした気持ちをアニメーション映画に描き出してもらえないだろうか」
 というのだった。本を手渡されながら、単なるノスタルジーにとどまらない、もっとずっと普遍的な何かを見つけなくては、と思った。


 自分自身で『マイマイ新子』を読んでみて感じたのは、全編の至るところに「死」の香りがちりばめられているようだったことだ。雑誌連載時にはそれぞれ連載の一回分だった章立てのその二十六章のほぼひとつひとつに、最低でもひとつ以上のそうしたものがくるみ込まれていたのだった。
「祖父の義眼」「新子が急に死んだ、とシゲルにいわれる」「霊安室」「貴伊子の母死」「貴伊子の母の死因」「防空壕の中にあった死体」「義足」「お大姉様が化かした偽者の父親」「広島の原爆」「死んでしまったジェームス・ディーン」「金魚のひづるの死」「タツヨシの父の死」「キン・シンゲンさんが死んでしまっているかもしれない可能性」「勝男や八郎の親の死」「新潟の初詣で百人の死」「身動きしない小太郎に死んだ真似をするなという」「小太郎が死んで黒枠の写真になってしまったと思う」「クロレラが死んじゃう」「ヘビはいつもヒバリの卵を狙う」「引き算されて天国に行った人々」「貴伊子の父は人を見殺しにするのではないか」「家出をして感じた家族の体」「青ひげに殺されるお妃」「小太郎の死」
 こうした描写を、「戦後まもない時代だから」「昔は衛生的でなくて死がすぐ近くにあったから」ともっともらしく語ることも出来る。だが、それ以上に感じたのは、世の中を見渡す目もまだ持たない年頃の新子が、けれど自分の存在の実感を求めようと、確かめようとしてさまざまに感覚をそばだてている様子だ。それは義眼や義足といった「生命を失った身体の一部と感じられるもの」であったり、ときに「死」そのものであったりしつつ、最後には新子がもっとも身近な祖父を喪うしなうところにまで行き着く。新子はひとつひとつ様々な死の表象を拾い集め、その都度とがったガラスの欠片のようなものが心の底に沈殿してゆく。そして、新子自身が存在する実感に近づいてゆく。
 ようやく『マイマイ新子と千年の魔法』という題でアニメーション映画化しようと目論みが立った頃には、毎日毎日日が暮れるまで遊びまわった子ども時代の楽しさなどというものに留まらない「描くべきもの」が自分の中にも蓄積されていたようだった。
 あらためてお目にかかった髙樹さんからはこのようにいわれた。
「映画に作るときにどういうふうに変えていただいてもかまわないんです。ただひとつここは大事にして欲しいというものがあります」
 ──それは『切なさ』なんです。
 と、髙樹さんは続けられた。もはや意外とも思わず受け止めることが出来たように思う。

 映画を作るため、髙樹さんのほかの著作も出来る限り読んで、新子の周りのディテールを、『マイマイ新子』の中で描写されていた以上に蒐集してみたりもした。
 新子の家(正確には髙樹さんの生家)は、戦前も遥か昔に建てられた茶室を含む二部屋きりの軒の低い家で、田んぼの中の一軒家として建っている。隣家は養鶏場で、ときどきその鶏が新子の家の庭にも入り込んで卵を産んだり。その庭には木斛(もっこく)の木があり、イヌマキの生垣に囲まれていて、木戸がある。食卓の横のガラス戸を開けると、目の前に子どもが身を隠すことが出来るほどのアジサイの葉陰がある……。
 髙樹さんは、ご自身が生活していた実際からイメージをたびたび引用して作品世界を構成されていたようだった。髙樹さんや髙樹さんのご家族には、当然のことながら、『マイマイ新子』で描かれた昭和三十年よりも前の歴史もあれば、以降もある。新子や新子の家族にも歴史も未来もあるはずだ。
 ならば、と思って、髙樹さんのお母さんが髙樹さんを身ごもられた頃のこともうかがってみた。髙樹さんは「母に聞いた話です」といって、いくつものエピソードを語って下さった。それはそのまま長子さんの前史のようだった。
 戦時中の長子さん。海軍航空隊の搭乗員だった夫の任地の下宿で、ひとりポツンと家事もせず畳に座っていたお嬢さん育ちの長子さん。終戦時にはこの若い夫婦は福島県郡山にいて、混乱した鉄道事情の中で、お腹の中に身ごもった赤ちゃんを抱えながら、苦労しながら山口県まで帰り着いたこと……。
 結婚して新子も生まれていたのに、結婚してないと嘘ついて婦人雑誌の写真コンテストで賞金をもらったのほほんとした長子さんにもそんな数年前があったのだった。
 防府では公立小学校に制服があり、女子の場合はセーラー服なのだが、見せてもらった卒業写真の中で、六年生の髙樹さんは制服とはまったく違うジャンプスカートを着て写っておられた。お母さんが洋裁で手作りしてくれたよそ行きだったのだという。新子にもそんな数年後が待っているのに違いない。

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