ちくま学芸文庫

『徒然草』の啓示

 徒然という言葉には幼い頃からなじんでいる。生まれ育った福岡県の山間部に「徒然なか(もの淋しい)」という方言があり、中学校の授業で『徒然草』を教わった時に、それが古語に由来するものだと初めて知った。
 なぜこんな方言が残ったかといえば、この地方一帯には南朝方の落人集落が点在していて、都言葉がそのまま生きつづけたからだ。他にも「ようら(やおら)」や「夜さり(夜分)」、「バサラか(非常に)」など『太平記』でおなじみの言葉があり、今でも日常的に使われている。
 こうした縁もあって、歴史小説家をめざした時には南北朝時代から書き始めた。第一作は高師直の横恋慕をテーマにした『師直の恋』で、兼好が師直に迫られて恋文を代筆した話も遠慮なく使わせていただいた。
 これは田舎者の師直が京都の洗練された文化や習慣に接して悪戦苦闘する物語だが、この私にも似たようなコンプレックスがあった。それを克服しようと京都に仕事場を移し、早いもので今年で九年になる。
 京都の人は優しくて辛辣である。表向きの顔はいいが、いざ親しく近付こうとするとピシャリと戸を閉ざしてしまう。「お茶でもどうどす」の文化である。兼好もそのことについて第百四十一段でふれているが、都人だけに身内びいきのようだ。
 しかし有難いことに、京都で二人の恩師に出会うことができた。一人は赤山禅院の叡南覚照大阿闍梨で、仏法の何たるかと、高僧の修行ぶりを学ばせていただいた。もう一人は藪内流の林
 焦 菴宗匠で、茶道の心得と、生粋の都人がどんな姿勢で俗世にのぞんでいるかを、身近に教えていただいている。
 近頃では紫式部の鋭すぎるほどの批評眼に、﨟たけた京女の才気と鼻っ柱の強さを感じるし、兼好が語る「良き友、三つ、有り」(第百十七段)などには、宗匠のつぶやきを聞いているような親しみを覚える。
 今回、丁寧な訳文と評に助けられながら『徒然草』を通読してみて、これは兼好の信仰告白ではないかと思った。そうなりたくてなれない自分との葛藤から生じた由無し事を、仏様に向かって書きつけているうちに、想念が普遍的な次元にまで昇華したのではないか。
 最終段に父との思い出をつづっているが、父の役割がこの草稿では仏様に変っている。兼好はふとそのことに気付き、幼い頃に父が諸人に語って興じたように、この書物も世に受け容れられよと願って、この段を置いた気がしてならない。
 本書に触発されてあれこれと考えているうちに、自分自身の行き詰まりを打開する手がかりを見つけた気がした。近頃ようやく万能の語り手として歴史を語る技は身についてきたが、誰に向かって語ればいいかという問題は未解決のままだった。
「そんなもん、読者に決っとりますやろ」
 そう考えるのは文学に疎い人である。俗世の読者に向かって物を語れば、よほど心を高く悟った人でなければ通俗的なものになってしまう。しかし兼好のように仏様に向かって語れば、精神を浄化しながら自分の中から最良のものを引き出せるのではないか。本書を読了した日の夜半に、ふとそう感じた。
 著者の島内裕子さんは、近頃『徒然草文化圏の生成と展開』(笠間書院)によって、東京大学から文学博士号を受けられたばかりで、本書にもその成果が充分に生かされている。
 夫の景二氏とは十五年来の友人なので、裕子さんと顔を合わせる機会も多い。そのたびに文学の研究に打ち込む姿勢のゆるぎなさと、御所人形のようにふくよかな笑顔に魅了されているが、今度もまた本書に出会って大きな啓示をいただいた。
 全段の中で一番好きなのは第三十八段。「名利に使はれて、静かなる暇無く、一生を苦しむるこそ、愚かなれ」
 締切りに追いまくられて苦闘している自分を笑われているような一文だが、道に志したからには万事を放下して一事を成しとげたいものだ。
 諸賢にも「ご一読あらまほし」と願う次第である。

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