ちくま学芸文庫

大胆かつ繊細、豊饒な都市論
レム・コールハース著『S, M, L, XL+』

 キュレーターとしてクリティク=記述と実践を同時進行させている筆者にとって、コールハースはイデオロギー・理論から、実践・出来事への移行という大きな変化を体現、牽引する象徴的な存在といえる。クロスディシプリーナリーなフィールドで彼が大きな注目をあびるきっかけになった本が『S, M, L, XL』であった。
 本書『S, M, L, XL+』は、一九九五年に彼がブルース・マウと組んで、一三〇〇ページ超の厚さと圧倒的なビジュアルとともにセンセーショナルな形で出版した書籍『S, M, L, XL』から核となるテキストを選択、そのあとに発表されて話題を呼んだテキスト「ジャンクスペース」などを加えて翻訳出版されたものである。都市観察者として書いたエッセイに限られ、建築家としてかかわった建築、都市プロジェクトははいっていない。ジャーナリストでもあり脚本家でもあったコールハースのストレートで緻密な観察と、読み手を引き込んでいくストーリーの語り方が本書の魅力となっている。
 1「問題提起」、2「ストーリー」、3「都市」と大きく三つの章にわかれており、1では巨視的な分析が、2では詩的、感覚的な叙述から著者の感性が、3ではいくつかの都市の調査、観察が記述される。著者の一つ一つの記述が点となり、それを読み手がマッピングしていくことによって都市観があらわれてくるようになっている。
 彼はリサーチを通して集積したデータやインタビューなどをまとめ、情報の総体を解釈して、都市や建築のプログラムやプランに反映させていく、プログラム建築の方法論の実践者として知られる。現場の事実の集積から構想が立ちあがっていき、そこに彼の空間デザインについての幾何学がクロスする。筆者にとって本書のスリリングな部分は、希代のクリエイターとしてのコールハースの観察とその身体化=建築実践へのフィードバックの回路が見えるところである。
 さらにいえば、コールハースが流動的な状況に対してこれを言語化、記号化していくプロセスを通して、人びとを説得し、新たな秩序として説明し、そして自分のプロジェクトの実践にこれを利用しながら、決して独占せずに問題意識を拡散共有しようとする点である。1「問題提起」の「ジェネリック・シティ」や「クロノカオス」は現在でも色あせることなく議論と実践を呼びおこしつづけている。
 急速な変化が人びとにもたらす精神や記憶、文化的アイデンティティのクライシス状況に対して、アートはその歴史=通時性と同時代性=共時性のバランスをとろうと必死になっている。エルミタージュ美術館やミラノのプラダファンデーションの改装、あるいは前回の建築ビエンナーレでコールハースが見せた歴史へのかかわりは、「クロノカオス」のテキストの拡大実践ということができる。また「グローバリゼーション」についての記述では「グローバリゼーションは実在する建物にヴァーチャリティを添え、消化できない状態にして、いつまでも新鮮に保つ」(本書八九ページ)と言い放つ。3「都市」のシンガポールについての記述も、建国の父の逝去後に出た多くの記事と比較してみると興味深い。インドネシアで幼少期をすごしたヨーロッパ人として彼の中にある、文化的ハイブリデティへのセンサーが、観察と分析の中にあらわれている。
 彼の視点は、当事者性と膨大なデータ収集による複合性によって新鮮に保たれている。彼は決して外部のコメンテイターではなく、内部に侵入するが、データによってたえずグローバルな地図の中に自分の視点を相対的にマッピングしようとする。
 訳者太田加代子のあとがきは本書の的確な分析となっており、コールハースの語調と含意を反映した秀逸な翻訳(太田、渡辺による)は建築、都市計画関係者だけではなく、哲学、文学、社会学、アートなど広範な読者に、ミレニアムを跨ぐ三〇年間に展開してきた世界の変化に一つの明快な切り口をもった見方を提供するものといえるだろう。
 都市とグローバリゼーション、移動、ネイションの崩壊、そこから生まれる新たなポリティクス、テクノロジー、エコノミー、エコロジー、レイヤー化する文化地図、心理、エモーション、これらにまつわる言説とデータ解釈――この都市論の中から読み取れることの多さと、その大胆さと繊細さのふり幅の豊かさに、静かに圧倒される。

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