昨日、なに読んだ?

File85. 家をおっ建てたくなったときに読む本
読売新聞社会部『日本の土』(東京大学出版会) /後藤暢子・後藤幸子・後藤文子+伊東豊雄『中野本町の家』(住まいの図書出版局) /トマス・ウルフ『天使よ故郷を見よ』上・下(大沢衛訳、講談社文芸文庫)

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちがおススメ書籍をそっと教えてくれるリレー書評。今回ご登場いただくのは、『蹴爪』『震える虹彩』など、精力的に作品を発表し続けている、作家の水原涼さんです。


 同級生はだいたい代々地元に住んでて、そろそろ親もリタイアする年齢だ。車の次は家だ。マンションに住むのは若いころだけで、不動産の生前贈与を受けはじめて自宅の一部の名義を持ってる、Uターンを機に空き家バンクで山んなかの戸建てを即金で買った、ローンを組んで庭つきの家をおっ建てた、みたいな噂が、年にひとつは耳に入る。
 ここは東京で、地元ならでかい家を建てられる金を積んでも、狭くて古いマンションの一室がせいいっぱいだ。地元に戻る予定もなく、だから私が家をおっ建てるとしたら、よほど成功して荒稼ぎしない限り、狭いか不便か建て売りか、いずれあんまり自由に作れはしないだろう。
 それでもときどき、理想の間取りを想像することがある。森博嗣ばっかり読んでたころは、やっぱり書斎は球体の部屋がいい、などと考えてもいた。
 ヴァージニア・ウルフは「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」と書いた。ここでは〈部屋〉と訳されているが、roomには〈空間〉という意味もある。何者にも遮られることなく自分の小説を練り上げるための空間。家は人が住むための容器であると同時に、そこで営まれる行為や思索のありようと不可分にむすびついている。明確な意図や独自の理論をもった建築家が手がけた家には、設計者の個性も色濃く表れる。
 一方で、住まい手の生活は家という空間それだけで完結することはない。近所のスーパーや深夜のコンビニ、ネットのなかにこそ自分の生活がある、という人もいる。伊東豊雄は施主が住宅に求める象徴性を〈ヴァーチュアルな機能〉と呼び、同時に、現実に向けて開かれた建築をも志向した。「この二重性にしか現代の家はあり得ないのだと確信するに到りました」。
 その思想がかたちづくられるより前、伊東の初期の代表作である「中野本町の家」(G邸、White Uとも)は、きわめてコンセプチュアルな建築物だ。一九七六年、いまほど開発が進んでいなかった中野の住宅地のただ中にヌッと現れる、その名の通り真っ白な、U字型の巨大なコンクリートの塊。
 この家の施主は伊東の姉である後藤暢子だった。暢子の夫が四十歳の若さで亡くなったのを機に、たまたま売りに出ていた実家の隣の土地を買い取り、弟の豊雄と対話を重ねながらつくった。
 二十年ほどを経た一九九七年に解体されるにあたって、暢子と、竣工時は小学生だった二人の娘がこの家について語ったインタビューが、後藤暢子・後藤幸子・後藤文子+伊東豊雄『中野本町の家』(住まいの図書館出版局)として刊行されている。
 その冒頭で暢子は、この家を、「独りきりのわたくしが、自分のすべてを投企した建物でした」と振り返る。きわめて私的な動機によって、肉親とともに建てたからこそ、この家には、夫を亡くした当時の暢子の心象がつよく投影されている。
 当時小学四年生だった長女の幸子は、「つれあいを亡くし、これから一人の女性として自由に生きたいという思いもあっただろうに、あえて家族の住む、こういう大きなものを建てて、自分のこれからの一〇年なり、一五年なりを家族という単位でくくってしまった」と指摘し、「わたしにはこれが「墓石」みたいに思えた」と振り返る。
 幸子は、この家には、三人の〈家族〉が暮らしてはいたが、そこに〈家庭〉はなかった、という。肉親同士が醸し出す特有の雰囲気、協同性を欠いた、単に血のつながりのある人間が三人いただけ、という感覚。だからこそ幸子は、のちに調理師になりながら、自宅に〈所帯道具〉と呼べるような、〈家庭〉の雰囲気を帯びた器具を持たない。
 家という空間は、そこで育った人の行動や思想に大きな影響を与える。幸子と一歳差の妹である文子は、「この「家」のことが自分の外にあって客観的に話すというのではなくて、自分の中に自分と建物との境界線というのはなくて、自分の中に家があるような……」と語っている。
 母が〈自分のすべてを投企〉し、姉が〈墓石〉に喩え、妹が自身との〈境界線というのはな〉いと感じる家。三人は、それぞれ違ったものをこの家に見いだし、住まい、そしてほぼ同時に、その役割の終わりを確信して、解体を決意した。
 しかし、そもそもの契機となったはずの暢子の夫は、本書のなかで一度も名指されることはない。二十年を経て死者はすでに名を喪った。結果的にこの家が果たした〈ヴァーチュアルな機能〉とは、彼女たちの夫/父を過去に送ること、だったのだろう。写真で見る中野本町の家は、〈記念碑〉の地図記号とどこか似ている。
 インタビューを終えて三人は、自分たちのことを、「彼の作品の住み手でありつづけることができなくなった施主とその家族」と呼ぶ。豊雄も、この家が竣工から二十年あまりを経て解体されたとき、「「G邸」は二重性を認めず、ヴァーチュアルな力のみを求めて邁進してひたすら閉じていった」と振り返った。
 三人が、とりわけ暢子が過ごした二十年は、夫/父の、彼とともに過ごした日々の、長い長い服喪の期間だった。その二十年を苛烈に生ききり、G邸のあった場所には今、解体の翌年に建てられたマンションがあるばかりだ。

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