紙子と学校

都心の一等地にあり、帝に仕えるための特殊技芸者を養成する中高一貫の女子校・玉笛女子学園。中等部に入学し寮で同室となった紙子と陽子は、不思議な先輩や先生たちとの交流を通じて成長していく。気鋭の詩人による和風学園ファンタジー、ここに開幕!(カット:鯨庭)

「都志見」
都志見は目を開いた。口の端に垂れていた涎を拭く。
「番の最中に寝てるのか」
土中の有機物が活発に分解される夜は、山のにおいは酸っぱくなる。鼻の感覚を研ぎ澄ませる。深夜二時を回った頃だろうと思った。
「広兄と一緒だと眠くなる」
「阿呆。何か、鈴を振っているような音がしないか」
 耳を澄ますと、確かに異様な音が聞こえた。
「鈴を振るうような音? 蛇が通るみたいな」
「大きな蛇が通る音かと俺も思ったが、この音がいつまでも切れないんだ。行くぞ」

「そこで太刀を構えていろ」
 都志見が抜いた太刀に月光が映り、青い草に落ちる二人の影が濃くなった。
 広都が異音の叢に近づいて行く。
不自然に揺れている背の高い草に一閃を与えた。

 力強い、草食動物の後ろ足が跳ねた。有蹄類の足。

「……鹿?」
 闇の中で鹿の足が跳ね上がった途端、都志見は危うく声を出しそうになっていたが、草食動物の証である有蹄の足裏を捉えた途端に安堵した。
 それでも、濡れた蛇が腹を擦るのに似た不吉な音は鳴り止まない。
 草の端から、わずかに別の獣の背が見える。口に人差し指を添えたまま、広都が都志見を招く合図をした。広都の背に歩み寄った。その通りがかりに、奇妙な光景が垣間見えて思わず声が出た。
「広兄」
「黙っていろ。列が動揺する」
 宮中に棲む生物を全て檻におさめて、突如錠を開け放したような光景だった。鹿、野うさぎ、栗鼠、狐、犬、猫……哺乳類だけでない。ゴミムシなどの雑食の甲虫の羽が枯葉の上で鈍く光っている。それらが脚を夜露に濡れた青草に差し入れながら、一心に北の方角へと駆けていく。彼らの鼻先には、宮廷御所の上に光る北極星がある。
 熊や狐などの肉食動物を避けるために、草食動物が群れとなって夜間に移動することはよくある。奇妙なのは、肉食動物と草食動物、さらに虫に至るまで、多種多様の生物が同じ方向へ鼻先を向け、濁流のように流れていくことだ。
 鹿の脇を、熊が四つ足で通り越していく。狐が蛇を踏みつけて走り抜けていく。ねずみの親子が犬の股下を駆けていく。
「まるで十二支のレースだ」
「十二支がひっくり返るのは、まさに『天変地異』だな」
 広戸が縁起でもないことを言った。
「都志見。屋敷にいる兄連中に異変を知らせてこい。念のため、帝陵(みかどのりょう)を護衛している隼人連中にも伝令を出すように。急げ」
 弾かれたように都志見は走り出した。普段八瀬童子や隼人連中が使用する階段を通り過ぎて、「滅法坂」と呼ばれる山伏系の修行者が通る急峻な断崖絶壁を難なく下っていく。八瀬童子の大屋敷に向かうには、こちらの方が近道だった。都志見は山猫のように獰猛に素早く走ることができる。この都志見の特性には、他の兄連中も目を見張るものがあった。都志見の身体は華奢だが、身体の重心と遠心を自在に操る天才的なしなやかさがある。
 八瀬の大屋敷の黄色い灯りが見えてきた。夜露に濡れた瓦屋根が電燈の色を含んで真白く光る。都志見は裏手に回って、屋敷に常駐する者が眠る部屋の戸を破らんばかりに叩いた。
 顔を顰めながら戸を開いたのは、兄連中の長である阿智都(あちと)だった。
「阿智兄。広兄からの伝令です」
都志見が伝令を述べると、阿智都の目には明らかな困惑の色が浮かんだ。
「人為に関することなのか」
「分かりません」
「お前も聞いたことがあると思うが、人為は烏山へは上がってこない。あいつらは虫と同じで、好物のにおいに引き寄せられて行動をするものだ。人為の好物は、潔斎の気をまとった生者。つまり、帝の周辺にいる連中だ。烏山に眠る『ご先祖』の穢を人為は嫌う。それはご先祖からの加護であるのか、単に『ご先祖』は自分らの食いかすゆえかも分からんがな。伝令は確かに受け取った。とにかく今は、応援の者を出そう」
「念のため、帝陵を護衛中の隼人連中にも伝令を出すようにと」
「隼人連中に伝令だと? あいつらは、我ら八瀬童子から帝陵の護衛を奪い取られることを恐れている。伝令を出すだけ無駄だ」
「しかし、広兄は隼人連中に伝令を出すように言いました」
「都志見よ。長兄は誰だ。この阿智都だ。それ以上は言うな」
 都志見は黙った。
「おれは広兄のところに戻ります」
 阿智都には、兄連中の応援だけ頼めればいい。
 隼人への伝令は、自分でやる。

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