紙子と学校

都心の一等地にあり、帝に仕えるための特殊技芸者を養成する中高一貫の女子校・玉笛女子学園。中等部に入学し寮で同室となった紙子と陽子は、不思議な先輩や先生たちとの交流を通じて成長していく。気鋭の詩人による和風学園ファンタジー、ここに開幕!(カット:鯨庭)

 
 先帝たちの骸が眠る帝陵は、烏山の頂にある三角点を間にして、八瀬童子が管理する石室の対にある。石室は玉笛学園、須城学園側を向き、帝陵は宮廷側を向いている。烏山の標高は宮中でもさほど高くはないが、尾根が長い。内侍の人間が履く官靴でも通れるように整備された階段を使うと一時間はかかる道のりを、都志見は十分もかからず帝陵にたどり着いた。あえて急峻な道を選んで登れば、効率的に帝陵に辿り着くことができるのだ。
 赤い篝火の前に、西洋式の軍服に身を包んだ隼人連中の姿があった。濃紺色の胸元に整列した金釦(ボタン)。金色の肩章。腰元には紅色の腰紐を巻いている。軍帽が隼人連中の目元を暗く隠している。
 帝陵の脇に身体が出た。都志見は隼人連中の前に姿を現すべく、陵を回ろうとした。
「何をしている」
 都志見の背後に洋刀を抜いた若い隼人の姿があった。
「子どもか。まずは名を名乗れ」
「おれは、都志見と申します」
「としみ?」
 隼人は顔を歪ませながら顔を傾けた。
「……黒い頭巾。麻の白装束。その名前」
「おれは八瀬童子の屋敷から参りました」
 軍帽の下で、隼人が不愉快そうに眉を顰めるのが分かった。
「八瀬童子が、神聖な帝陵に何の用だ」
「石室の方向に異常があり、帝陵を護る隼人連中に伝令に来た次第です。宮中に生息する獣や虫たちが、何ものかを恐れて宮廷の方へ北上している様子です。ご注意を」
「何ものかを恐れて、とは。随分遠回しな言い方をする」
 乾いた笑い声があった。隼人は剣をしまわずに都志見に向けている。
「人為によるものかどうかは、まだ定かではありません」
「俺は人為とは言っていない。人為よりも、疑わしいものがある。わざわざこの帝陵まで来て、我ら隼人連中を混乱させようとする。お前だ。八瀬童子」
 軍帽に隠れていた隼人の目を初めて見た。おそらく、広都と同じくらいの年齢だ。眼前の隼人の目を煌めかせているのは篝火や悪意でもなく、この男が信じきっている道のようなもの、この男自身の正義に違いなかった。
 都志見は隼人の様子から悪意を感じ取ることができないことに愕然としていた。目や口元に、下卑たものが浮かんでいるように見えない。
「そのような意図はありません」
「隼人連中の者たちは、山を隈なく見廻りに出ている。そのような伝令は届いていない。お前ら八瀬童子連中が、この帝陵の管理を我ら隼人連中から不当に奪い取るために、工作を働いているという知らせは聞いている。以前は烏山の頂で人為の姿を見ることなどなかった。お前ら八瀬童子が人為を引き寄せる奇妙な薬を烏山に振り撒いていると、宮中では専らの噂だ」
「おれたちが?」
 そんな薬を作ったとして、それが八瀬童子連中にとって何の利益になるだろう。宮中で噂になっている、という言葉が都志見には特に気になった。
 隼人が向ける剣先を睨みつけ、都志見も太刀をつと抜いた。
 太刀を構えた瞬間に、目の前の隼人が怒号に似た声をあげた。周辺の隼人連中たちが気づき、軍靴が砂を踏む音、呼子の甲高い音が鳴り響いた。
 自分がかなり不利な状況に置かれていることは都志見も気づいていた。一刻も早くこの場を後にした方がいい。ただ血が猛り、足が動かない。
「八瀬童子だ、子どもだ」
「捕縛しろ」
 怒声とともに、隼人連中の垣根が周囲に出来上がっていく。体は吊られたように太刀の構えを崩すことができないが、その切先にはまだ迷いがあった。
(どうすればいい)
 頭頂から汗が流れた時に、ふと広都の顔が胸に浮かんだ。
(広兄なら、どうするだろう)
 隼人連中の囲いの中で、胸の中の広都は太刀を抜いてはいなかった。隼人連中の口汚い挑発にものらずに、あくまで石室の管理を優先する行動をとるのだ。
 都志見は震える手を必死になだめ、自分の太刀を鞘(さや)の中へ押し戻した。
「怖気づいたか。だが今更、お前が太刀を抜いた事実を取り消すことはできない」
「先ほどあなたが言っていたことは、事実ではありません。その虚言に惑わされて、太刀を抜きました」
 怒りで息と体が震えるのを、全身の力をもって収める。
 目の前の隼人にそうした惑いは見えない。冷えて固まった鉄のように、意思と行動が揺らぐことはないのだ。これが成熟した男と自分の違いなのだと思うと、より体が震えてくる感じもあった。
「八瀬童子は、あなたがた隼人連中はじめ宮中を混乱に陥れるような行動をとったことはありません。先ほどあなたが言っていた、おかしな薬の話は全くの嘘です」
「まだ言うか。俺の兄は数日前に、お前らが烏山に引き寄せた人為に食われた。帝陵の護衛中にな」
 音彦よ、と制止する声を隼人が手で抑えた。
「兄は強い人だった。人為に食われるような人ではない。烏山に現れた奇妙な人為によって、半ば無理やりに殺されたのだ」
 都志見は先週に帝陵でご先祖の回収があったことを思い出した。回収中に自分たちに向けられている視線の意図を理解できなかったが、この話を聞いて合点した感じもあった。
「お気の毒ですが、あなたの兄上の殉職と八瀬童子に関連はありません」
「では何が人為を烏山に登らせたというのだ」
 都志見の胸の中に浮かんだ答えがあった。
「人為自身の病ではないでしょうか」
 その瞬間に感情的に振り下ろされた洋刀を都志見は体を翻して避けた。隼人連中の初撃は強烈で、決して太刀で受けてはならないということは、広都から剣術稽古で教わったことだ。ただ初撃さえ避ければ、一瞬の隙ができる。
 隼人の軍帽が前方へ飛んだ。
都志見は土に先の埋まった剣の柄を駆け上がり、隼人の頭頂から隼人連中の垣根の上を飛び越えた。
 帝陵の裏側にある急峻な岩垣を落下するように駆け降りていく。足の速さは天然の武器になることを教えてくれたのも広都だった。背後の隼人連中の怒声がみるみる遠くなる。無意識は本能に近い。道を塞ぐものを頭で認識していくのではすぐに躓いて倒れる。あえて無意識に身を浸す。両足がひとりでに巨石を飛び越えていく。ダンスを踊ったことはないが、きっとこういう感覚のはずだと思う。無意識が都志見の体を縦横無尽に延長していく。足の先に山猫の大きな爪を得たようにも感じる。
(長居をし過ぎた)
 阿智都が送り込んだ加勢より到着が遅れてはばつが悪い。都志見はただ飛び去るように広都の元へと向かった。

 石室に戻ると、兄連中の姿が見えなかった。
 ただ篝火が煌々と地を照らし出している。
 おそらく例の異変の見つかった叢に移動しているのだろう。
 先ほど広都が目印をつけた草を辿って行くと、双子葉類の木々が立ち並ぶ中で、不自然に伸びる柳の群れがあった。こんなところに柳の木があったかと記憶を辿る中で、ふと柳の木に兄連中の背中の気配を感じ鳥肌が立った。
「広兄!」
 広都の太刀が抜き身のまま叢の上に落ちていた。翡翠の玉石が嵌め込まれた鞘が、一本の柳の傍に落ちている。見れば、兄連中の黒い頭巾が血溜まりのように点々と草の上で月光に照らされて濡れたように光っていた。隼人連中の紅色のベルトもその中に混じっていることに気がついた。
 山の端に無数の白い灯りが見えた。阿智都の応援が来たのだろうか。白い灯りを静かに数えると、嫌に数が多い。兄連中総出の数をゆうに超えている。目を凝らすと、白い灯りの中には全て綺麗な顔立ちがあった。御所人形に似た、赤ん坊の白い顔。
(人為の群れ!)
 山を掃除する箒の穂のように、人為は整列しながら草むらを舐めている。四肢を土蜘蛛のように器用に差し入れながら、濁流のような勢いでこちらへ向かってくる。
 都志見は近くにあったブナの木に飛び上がった。その軌跡を見逃さず、人為が敏捷に木を登ってくる。寄ってくると、人為は人間の赤ん坊よりも大ぶりだった。それでも小さいが、群れると巨大な獣となる。瞬く間に木の肌が見えぬほどに密集した人為は、都志見のしがみつく枝まで押し寄せてきた。
「来るな」
 蹴り飛ばすために上げた足に反応して、数百もの人為たちがまるで鯉のように口を丸く開く。足先の人為を蹴り落とした時に、幼い子どもに似た浅く熱い息遣いを感じた。
(こいつらは、確かに生きているのだ)
 足を外した木の肌に、また人為が登ってくる。徐々に重心を失っていく。
(広兄が勝てないなら、おれにも勝てない)
 そう思った瞬間に、木から落ちた。都志見は木から落ちるのは初めてだった。体の下で人為が潰れて、辺りに赤い肉が散らばった。都志見の白い服が人為の赤い血で染まった。都志見は呆然と立ち上がり、人為をひたひたと足で潰しながら、広都のものと思われる柳の木に取り縋った。最期の瞬間を迎えるなら、ここしかないと思った。息を整えて目を閉じて、背後に迫る人為の群れを待った。
「都志見」
 胸の奥で、広都の声が聞こえる。
「忘れたか。戦いの最中は、『心』を体にするな。『力』を体にするんだ」
 都志見は目を見開いた。剣術稽古の際に、広都が口癖のように話していたことだ。その瞬間に、背中に人為の生温かな白い歯があてられた感覚があった。
「……負けたくせに、そんなこと言うな」
 振り向きざまに太刀を振り薙いだ。闇の中で葱坊主の先が飛ぶような景色。猛然と太刀を振るう。あれだけ剣術稽古をしたのに、こうなるとただ刀を打ちつけているだけだ。
 右足がぽりんと鳴った。人為がふくらはぎを後ろから食っていた。その瞬間に手から太刀が落ちた。指先が柳の葉に変わりつつあった。やがて鳥肌の立つような激痛が走った。肉と骨に喰らいつく人為を引き剥がそうとしたが、弱々しい柳の葉がぺちぺちと人為の柔らかな頬を叩くだけだった。
(心を体にするな。力を体にするんだ)
 骨と肉を咀嚼される激痛に心を奪われると、心が体になる。無意識に体を浸すことで、力が体になるのだ。
 都志見は人為の頭に噛みついた。人為は赤ん坊が顔を顰めるような顔をした。そのまま頭を噛み砕いて飲み込んだ。血潮という名の通り、海水のように塩辛い。これは、山に棲む獣の肉の味ではない。
(獣でもない。幽霊でもない)
 都志見に噛み砕かれた人為は頭を潰された瞬間に息絶える。鼠が鳴くほどの断末魔さえない。
(人為とは一体何だ?)
 都志見は手当たり次第の人為を食った。手足の先から、「自然(じねん)」という状態に固まっていく。末端から、人為の作用は始まっていくのだと知った。都志見が自由に動かせるものは、もはや口だけになった。それでも人為を食い続けた。夢中という状況に揉まれながら、激しい問いの疑問符が灯火のように白く浮かび上がり、そのまま何も見えなくなった。

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