世の中はとんでもないスピードで変わって行きますね。政治の世界では突然「新しい状況」が生まれてしまう。
リーマンショックの後で旧民主党への政権交代が起こる前くらいから、急速に「日本でも二大政党制を」という声が大きくなった。それはそれで不思議ではないけれど、じゃ日本の二大政党制は
「安倍一強」でろくでもない問題がやたらと現れて、でもこれに変わる勢力がない。だから小池百合子を代表として「改革保守」を強く打ち出した希望の党が現れると「激震が走った」みたいになってしまう。それは安倍晋三の自民党Aに対して、小池百合子の自民党Bが現れてしまったからでしょうね。
私は、別に不思議ともなんとも思わないけれど、「改革保守ってどういうもんだ?」的な驚き方をする人がいくらでもいる。そういう人達の頭の中には、「二大政党制と言えば保守対革新」という、今から六十年ばかり前のいわゆる「五五年体制」の考え方が残っているのでしょう。旧民主党が民進党になり更に解体に向かった党のまとまりのなさも、このことが大きく影響していて、「非自民であれば革新だ」という勝手な思惑で、保守と革新が便宜上一つになっていった。
本当に必要だったのは、「よりよい自民党」であるはずの「もう一つの自民党」だったのに、「非自民、反自民」を謳った結果、革新系も一つにして、結果、水と油のバラバラになってしまった。「政権与党になる」と言った旧民主党の弱さは、「もう一つの自民党になる覚悟」が持てなかったことじゃないかと思う。
日本で「政権与党になる」ということは、どうやら「もう一つの自民党になる」ということで、戦後の日本では初めから自民党―自由民主党が一つだったわけじゃない。「五五年体制」というのは、「自民党対社会党の二大政党が拮抗する」という、言ってみれば革新側の希望的観測を前提にしたもののように思われるけれど、その「体制」がどうして(一九)五五年体制であるのかというのは、その年に後の「日本の二大政党」と言われる自由民主党と日本社会党の二つが成立したというだけの話で、「意味のあるものとして五五年体制を堅持しなければならない」という理由なんかはない、と思う。
ここで戦後日本の政党変遷史を展開するつもりはないけれど、太平洋戦争が終わった段階で、日本に政党は
言ったらなんですが、日本の政権与党である自民党の中には、派閥争いが隠れている。これが「総理一強」ということになると、とんでもない暴走が始まるんだから、不安定極まりない現代社会にふさわしく、互いに牽制するのが可能であるように、自民党A、自民党Bの二つになりゃいい。そういう配置にしておいて、そこからはみ出してしまった、いわゆる「革新リベラル勢力」は、二つの自民党に対して「批判勢力」として存在すればいい。
社会党が力をなくしてしまったのは、「批判ばっかりでなんでも反対の社会党」と揶揄され、「現実的になって政権与党を目指そう」などと無駄なことを考えた結果で、「現実は現実、批評は批評」で、批評が「現実」なんかになる必要はないんだ。現実はいつでもいい加減で、だからこそ「非現実的な発言」である批評が意味を持つ。「批評は現実と関わらなきゃいけないんじゃないか?」と思った瞬間、批評は力を失うし、失った。批評は批評で、現実とは別次元にあることによって現実と絡み合う。非力だからこそ力を持つというのが、批評の力でしょう。
PR誌「ちくま」11月号より橋本治さんの連載を掲載します。