おかげさまで、入院から四カ月たった十月二十六日、私は退院しました。もちろん、退院したからといって完全な健康体になったというわけではありませんが、退院した以上あまり病人面もしていられません。なにしろ私は、四カ月も現実を留守にしていたのですから。
私が入院したのは夏至の数日後で、例年なら七月の後半になる梅雨明けが一月も早くやって来てしまった頃です。例年なら雨雲が太陽の光を遮っているのに、今年は一年で一番長い昼の時間を目一杯太陽が照らすんだから、暑いに決まっている。病院へ出掛ける前の天気予報で「今日の最高気温は三十何度」というのを聞いて、そうなる前の午前中に病院へ入って、その後はずっと窓の開かないエアコン完備の病室に居続けたので、今年の夏の暑さを私は知りません。知らないと言えば、私の入った病院は不正入試で逮捕者を出した医科大学の病院なんですが、全身麻酔で気を失ってその後に集中治療室に入っていた私は、それも知らずにいました。同じ理由で、同じ時期の西日本の集中豪雨のことも知らず、通勤して来た看護師や見舞客から「暑くて暑くて」ということばかりを聞かされて、想像でクソ暑い外の温度を体感していました。
私がいたのは新宿の新都心にある病院で、考えれば不吉な十三階の病棟です。考えなきゃいいのに、うっかりすると考えてしまいます。まだまだクソ暑いのが序盤であるような七月の半ば、「ちょっと転院してね」と言われた私は、恵比寿ガーデンプレイスを眺める線路際の病院に移りました。
恵比寿ガーデンプレイスには二十数年前、出来たばかりの頃、なにかのイベントで行かされましたが、その時に思ったのは「結構な金をかけておとぎの国を作ったんだ」でした。昭和が終わってから、私はほとんどの時間を地方で過ごしていて、バブルの金が地方都市をどのように変えるかを見ていました。
地方都市には、まだ変わる余地のある周辺部がいくらでもあるから、斬新で珍奇な建物がいくらでも建って、そこでは「地域ぐるみ変わる」が可能になる。ところがバブル後の東京には、それを可能にする広い土地がない。新しいビルが新しい複合施設としてオープンしてもビル一棟、さすがに東京、「見た感じのする新しさ」ばかりであまり感心しない。ところが、ビール工場の広大な跡地に作られた恵比寿ガーデンプレイスは場所ごとデザインされて「おとぎの国」になってしまっているところがちょっと違う――当時はそう思った。
子供の頃山手線に乗って恵比寿駅をちょっと離れたところを通ると、夜は真っ暗でなにもない。夜の中にネオンの光はなくとも、山手線の沿線なら民家の光が見えるのだが、恵比寿の辺りはそれがない。「なんで真っ暗なんだろう?」と昼間に注意して外を見ていると、広い敷地にビールケースが山のように積み上げられている――「それで夜は真っ暗なのか」と思ったが、そのビール工場の跡地が再開発されると、「なにもないところにおとぎの国」が出来る。周りになにもないから、ゴタゴタしたところがなくて新鮮だった――そう思っていたのが平成の終わりになってみると、妙にゴタゴタしている。周囲のゴタゴタの中に埋没して、昔日の面影がない。山手線の外側はそうでもないが、線路の内側は「ちょっとでも隙間があったら、そこに高さのある建物を作る」とでも言っているように、コンクリートのビルが種々に詰まって乱立している。
「これじゃ風通しが悪かろう。三十五度が連日になって、一向に冷めることもないな」と思って、もう一度新都心の病院に戻って見ると、びっしりと高層ビルが並んでいる新都心に新しいビルの建ちようはないはずなのだが、ある。「新都心」と呼ばれる地域を形成する外側の道路沿いに、背の高い衝立てのようなオフィスビルがやたら建てられて、大手不動産屋の名を高からしめている。もう高層ビルに囲まれている所だから、その外側を包囲するようにビルが建てられても気がつかない。でもよく見ると、ビルの上でクレーンが稼働して、新しいビルを高くしている。「これじゃ風が全然通らないよな」と、コンクリートだらけの新都心の夏の暑さを既に知っている私は思う。
「二年後に東京オリンピックがあるから、東京は建設ラッシュだ」なんて言う人もいるが、この夏に三十八度を記録してしまった東京をそのままにしてマラソンなんかやったら人死にが出るでしょう。建設ラッシュで東京を風通しの悪いヒートアイランドにして、そこでオリンピックをやるというのは、矛盾ではないでしょうか? 筋論で言えば「オリンピックをやるために、熱を逃がさない衝立ての役割をする上に熱を溜め込む高層ビルを壊して、東京の風通しをよくしましょう」なんじゃないですかね? この暑さじゃ来年の夏がこわい。陸ばかりじゃなくて、海水温も上がっているから、そこで発生する台風がこわい。でしょ? 筋論はメチャクチャだ。
(2014年7月号から2018年8月号掲載分を収録)