遠い地平、低い視点

【第47回】「不徳のいたすところ」で辞める

PR誌「ちくま」5月号より橋本治さんの連載を掲載します。

 四十年ばかり前に糸井重里さんと対談集を出して、その中で私は「作家になって忖度とかの言葉を使えて嬉しい」なんてことを言ってるわけですね。それに対して糸井さんは当然「そんな言葉なにに使うの?」と言うわけです。それが、四十年くらいたつと流行語になっちゃうんですね。こないだ彼に会った時に「覚えてる?」と言ったら、「覚えてる」の答が返って来ましたが、私自身もなんだって「忖度」などという言葉を持ち出したのか、謎ですね。ただ、「使えて嬉しい」というか「使えるようになって嬉しい」と言っていた私が、その後に「忖度」という言葉をどれだけ使ったかは疑問ですね。
『双調平家物語』なんかで使ったはずだけれども、なんか、障子の隙間から覗き見してるような卑しさがあって、積極的に使いたくなるような言葉ではないですね。
 例の森友学園問題で「忖度」がやたらと問題になるけれど、「忖度」の卑しさは証拠が残らないことですね。
 他人に「忖度」を要求するような人間は、絶対に「忖度しとけよ」なんてことを言わない。これは、当事者が使うような言葉ではない。AがBに「忖度しろよ」的なことを言って、言われたBがなにを言われたのか分からない時に、かたわらにいるCなる人間が「忖度だよ」と囁くような形でしか使われない。「忖度」というのは、サ変動詞になって「忖度する」という表現が可能になっても、この動詞は「私が忖度した」「彼に忖度させた」という形では使われない。使っても意味がない。これは「そこに忖度があった」というような状況説明でしか使えない言葉だ。
 えらい人が小狡いことをやって、それがバレそうになった時、周囲の人間に「俺はなんにも悪いことしてないよな」と言って、それに対して「はい」という答が返って来た時、そこにもう「忖度」は生まれている。「はい」と答えた人間は、その言葉に従ってさっさと隠蔽工作を始めてしまうから。その隠蔽工作がバレたとしても、バレたのは「隠蔽工作」だけで、そこに「忖度」があったなどという証明は出来ない。そこにあったのは、「俺はなんにも悪いことしてないよな」「はい」という会話だけなのだから。 「他人の胸の内を推し量る」が「忖度」なのだから、「忖度」には実体がない。「忖度」自身は曖昧模糊としていて、「忖度して〇〇をする」になって、やっと実体が生まれる。でも、「忖度」は「〇〇をする」になるための媒介だから、実体が生まれてしまった時に、「忖度」はどうでもよくなって消滅してしまう。森友学園への国有地売却問題で、やたらと「忖度の有無」は言われるけれども、それを立証するのはむずかしい。
「「この問題に私や妻が関与しているなんてことになったら、私は総理の職も国会議員も辞職する」なんてことをおっしゃったので、「そうなったらいけない」と私が忖度して隠蔽を致しました」と言う人間が出て来たって、当の総理大臣が「私は「隠蔽工作をしろ」などと言った覚えはない。そういう工作があったとしても、それは彼の勝手な忖度(おもいこみ)で、私とはまったく関係がない」と言ってしまえばそれまでですわね。「忖度を立証する証拠」などというものはない。
 証拠のあるなしで言うと、「ない」ですわね。でも、森友問題っていうのは、そういう問題なんでしょうか? 森友問題に限らず、加計学園の問題も含めて、これはモラルの問題ですわね。だから「種々の不明朗」というのが明らかにされて、「しかしこれは、総理大臣や総理夫人に直接結びつくものではない」ということにされそうになりかかって、でも大多数の国民は「そんなことないだろう」と考えている。
 財務省の理財局が決裁文書の改竄をして、それが「総理周辺への忖度」だと言われて、でもその証拠は出て来ないだろうと言われて、でもだからといってそれで国民が納得するわけでもないのは、これがモラルの問題だからですわね。
 問題は「総理あるいは総理周辺が忖度を求めた」ということではなくて、「総理あるいは総理夫人に対する忖度が、総理自身とは無関係に(まァ、ホントは無関係かどうかも分からないけど)起こってしまった」ということなんですね。だからモラルの問題としては当然、「忖度などという勝手なことをさせてしまって申し訳ない」という一言があってしかるべきでしょうね。そういうお立場なんですから。財務省の理財局に責任をおっかぶせるのなら、「そのような不祥事を生んでしまったのは、私の不徳の致すところで」と言って、自分も総理大臣を辞職するのがいいんじゃないでしょうかね。「ああ、立派ななされようだ」と、人は賞賛しましょうね。折柄、北朝鮮と中国が急接近して日本は蚊帳の外に置かれていて、予算案も成立しているんだから、これはもう絶好の「政治空白」ですわね。

PR誌「ちくま」5月号
 
この連載をまとめた『思いつきで世界は進む ――「遠い地平、低い視点」で考えた50のこと』(ちくま新書)を2019年2月7日に刊行致します。

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