ラクするための経済学

第6回 コストをあげれば、バカな行為は減るのかも

リツートのように気軽にできるものだと、反射的にそれを拡散してしまう。しかし、間違った情報が広まることはよくない。
そういったことを減らすために「費用」というハードルを課してみてはどうでしょうか?


ネトウヨの大量懲戒請求
 無根拠の懲戒請求を大量に受けた弁護士2名が、請求者たちを提訴するニュースを見た。請求者たちはいわゆるネトウヨのようだ。とある非常にタチの悪い「愛国ブログ」が、ネットで弁護士たちを糾弾して、賛同したネトウヨたちが懲戒請求を行ったという。その数1000人以上、ブログは懲戒請求のテンプレートまで用意していた。詳細に関心にある方は、佐々木亮弁護士のツイッター(https://twitter.com/ssk_ryo)を参照してほしい。
 いくら弁護士とはいえ、1000人もの相手を提訴するのは大変なことだろう。他のやりたい仕事をセーブせねばならないだろうから、つくづくバカに絡まれるのはコストが高いとおそれるばかりだ。
 和解に応じてもらえたネトウヨのなかには、「軽い気持ちで」懲戒請求した者も少なからずいるという。でも本当に軽い気持ちなのだろうか。いくらテンプレートが用意されていようと、懲戒請求の手間をかけるのは、軽い気持ちではできないと思うのだ。道義的な重さの話ではない。たんに書類をプリントアウトして、署名捺印して郵送って、面倒くさくないか。封筒も必要だし、切手も買わねばならない。想像しただけで気が重くなる。
 私はコンビニで切手を買うときレジがもたつくのが苦手だ。郵便局の列に並ぶのは論外である。鞄のなかには三週間入れっぱなしの封筒があって、早く送らねば先方が困るのだが、私のモチベーションが低いせいで、なかなか投函されない。
 そう考えるとネトウヨはけっこうやる気がある。

有料にすればいいのに
 ここで懲戒請求制度についてちょっと説明しておこう。仕事を受けたのに放置するなど、問題ある行為をした弁護士に対しては、誰でも懲戒処分を請求できる。あて先は弁護士会だ。もっとも厳しい懲戒処分は「除名」であり、これを受けた弁護士は廃業させられる。もちろん請求するからには実際に問題行為があらねばならないし、請求が必ず通るわけではない。
 懲戒請求するには、書類の作成や郵送といった手間がかかるが、請求そのものは無料である。これは弁護士会の「批判は無料で受け付ける」という姿勢のあらわれであろう。この姿勢じたいは立派なものだと思う。
 しかし、これ、有料にしてもよいのではないだろうか。
 懲戒請求を受けとった弁護士会は、その処理について、事務コストがかかる。実際、ネトウヨから大量の懲戒請求を受けとった弁護士会は、その事務処理や費用の捻出に苦労しているという。無料にするせいで変な懲戒請求が殺到して、まともな懲戒請求にきちんと対応できないのなら、事態はぜんぜん立派ではない。
 もともと弁護士サービスは高価なものだし、裁判所の訴訟だって手数料はかかるので、懲戒請求一件に数千円くらいかかっても、相場としてはおかしくない気がする。
 「IT革命」はいろんなものを変えた。ネットには誤情報やゴミ情報もたくさんあるけれど、公的な手続きについては、公的機関がサイトを用意するようになったので、正しい情報を得やすくなった。懲戒請求についても、弁護士会がサイトで説明しているし、「愛国ブログ」が請求のテンプレートを用意してもいる。つまり懲戒請求するコストを、IT革命は大幅に引き下げたのだ。
 だから無料のままだと、懲戒請求のコストは大幅に引き下がったままだ。これをIT革命前の時代の水準に戻すためには、別のコストを高める必要がある。具体的には有料化だ。適切な有料化によって、ようやくコストを元の水準に戻せる。その意味では、これは「値上げ」ではなく、「値引きされていたものを元に戻す」にすぎない。

支払いの方法
 懲戒請求を有料にするとして、どの支払い方式をとればよいのだろうか。ここでは「ほんらい懲戒請求は無料であるべき」といったスジ論、および「あまり高くすると世間が納得しない」といった世間体に配慮することにしよう。要するに、できるだけ低い費用で、懲戒請求者のコストを引き上げてみたい。
 重要なのは、お金を遣うのにもコストがかかるということだ。何のコストかというと、お金が減るのがイヤだという気持ち、および支払い行為じたいの手間である。
 カード決済だと、支払う者は「お金が減る」という実感をもちにくい。実際、カード決済だと人は気前よく支払いやすくなるという調査結果は多くある(1) 。よってカード払いはさせない。
 ビットコインをはじめとする仮想通貨は、相場の乱高下が激しく、価値が安定していないから、そもそも支払い手段に適していない。よって仮想通貨もだめ。
 銀行振込はちょっと面倒くさいし、銀行が振込手数料を取りもするので、よいかもしれない。しかし最近ではネット上で振り込みの手続きができるし、コンビニのATMでも可能だから、十分に不便ではない。よってこれも却下。
 ではやはり、現金がベストなのだろうか。現金は普通郵便では送れないので、郵便局の窓口に並んで、現金書留の手続きをとらねばならない。これはけっこう面倒くさい。
 さらによさそうなのが、購入に手間がかかる定額小為替だ。これはゆうちょ銀行の窓口でのみ購入できる、小口の小切手である。広く使われるものではなく、多くの人は購入に不慣れなはずだ。なお、遠方の役所から戸籍謄本を取り寄せるときには、定額小為替の同封を求められることが多く、これは実に忌々しい。
 そこで「買うのが面倒くさい定額小為替を、他の書類と併せて、送るのが面倒くさい書留で郵送」というのが、気持ちや手間のコストが高くてよいのではないか。
 べつにふざけているのではなく、どの程度の手間を払う相手を相手にするかは、真剣に考えたほうがよい。さもないと、ほんらい相手にすべき相手を、相手にできなくなる。
 もし「貧しい人が懲戒請求しにくくなる」といったことを気にするなら、一定の所得以下の人は、それを証明するもの(課税証明書など)を同封すれば定額小為替は免除といった工夫で対応できる。ただし数千円(であろうか)程度(と言ってしまうが)の費用について、この問題を過度に気にする必要があるかは不明である。

フール・プルーフ(バカ防止)
 有料に「してあげる」という視点も大切だ。
 懲戒請求をして返り討ちに遭ったネトウヨのなかには、イタズラ半分でやった者もいるという。私は彼らに同情はしないものの、そのバカさ加減には共感しないでもない。私は大人になってからはイタズラをしていないが、これはたんに、ばれたら失うものがあるし、暇ではないからだ。でも失うものが少なくて、やるべきことがなかったら、何も考えずにバカなイタズラをするかもしれない。それはきっとつまらない日常をほどよく刺激するだろう。
 そんな私みたいな潜在的バカ候補のためにも、制度は「フール・プルーフ(fool-proof)」、要するにバカ防止であったほうがよい。本来的に、人間はバカなことを考える生き物である。インターネットの普及は、バカな内心を、そのまま外部に曝け出しやすくした。人類の内心のバカさ加減が、かりにIT革命の前後で変わっておらずとも、露出される度合いは格段に増した。
 悪質なブログに共鳴して、バカな行動を起こす者が増えているのなら、その行動をやりにくくしてあげるほうが親切ではないか。温情主義(パターナリズム)の発想でバイクのヘルメットを強制着用させるのと同じ理屈である。
 大量懲戒請求事件は、誰もトクをしていないように見受けられる。端的にいってひどい社会的ロスだ。IT革命は、懲戒請求制度の「フール・プルーフの度合い」を大きく引き下げた。これは恒久的な変化だ。今後さらなる社会的ロスが生まれる前に、制度をバカ防止に変えるほうがよいように思う。これはべつに「上から目線」なことではなくて、不毛な労苦を予防する程度のラクはしてもよいのではないかということだ。
注(1)一例として、カード払いだと寄付金額が増えることを観察した次の研究をあげる。Feinberg, R. A. (1986) “Credit Cards as Spending Facilitating Stimuli: A Conditioning Interpretation'' Journal of Consumer Research, Vol. 12, pp. 384-356.。