ラクするための経済学

第1回 ギリギリで受かるんじゃダメですか?

新連載がスタートします。経済学者の坂井豊貴さんによる「ラクするための経済学」です。経済学というと経済成長といった言葉があるように、イケイケドンドンなイメージがありますが、それだけが経済学ではありません。どうすれば「ラク」できるかといった視点もたくさんある! あなたもこれを読んでもっと肩の力を抜いてみませんか?

                                       ごあいさつ
 ラクをしたい。
 年々その想いが強くなってきた。
 理由は主にふたつある。
 まずひとつは、純粋にラクをしたい。しんどいのや面倒なのはいやだ。
 もうひとつは、大切なものに自分のエネルギーを集中させたい。そのために、大切でないものはできるだけあっさりと、ラクに済ませてしまいたい。
 若いときはあまりそんな風には思わなかった。時間がたくさんあったし、自分の人生に大切でないものはなかった。しんどいことや面倒なことにも時間を使えたし、そのすべてが自分の血肉になった。でも、いまは違う。
 若いころと比べると、体力も精神力も落ちた。縁側に座って茶を飲みながら猫を撫でたい。温泉に行きたい。のんびりしたい。でも、いろんな仕事とか家族とか社会関係とか、抱えているものが増えた。端的に言って非常に忙しい。すべての事柄に全力を注ぐわけにはいかないし、そんなことをしたら多分死ぬだろう。私はまだ生きることを手放したくはない。
 そういうわけでラクをしたい。
 これは、何もかもやめてしまいたい、ということではない。仕事をやめると生活ができなくなるから、全然ラクにならない。家族や社会関係を捨てるとラクにはなりそうだが、私は人生でラクだけをしたいわけではない。仕事だって大切なものを大事にしたいから、そうでないものはできるだけラクに片付けたいのだ。
 うまくラクをするのは難しい。
 そこでこれから、どうすればうまくラクができるか、何にラクをすればよいのか、このエッセイで考えていきたいと思う。私は経済学者なので、経済学の話題を引き合いにすることが多いだろう。経済学は「効率性」とか「最適化」にかんする知見が多いので、ラクをすることには相性がよい気がする。
 とはいえ気をつけたいのは、何でもかんでもラクができるわけではない、ということだ。たとえばラクして儲ける方法は、たぶん世のなかに存在しない。たまたまラクして儲かることはあっても、それはただの運任せであって、方法ではない。できることと、できないことは見分けたほうがよいだろう。努力の方向を間違えないことは、ラクをすることの要諦だからだ。
 読者の皆さんから「どうやったら自分はラクになれますか」と質問をいただくのも歓迎だ。役立つ回答ができることも少しはあるだろう。経済学者のつねとして、身も蓋もないことや、あまりに常識的なことでも、堂々と言おうと思う。「そういうものだ」と知ることは、余計な労力を省略するのに役立つだろうから。
 あんまり突き詰めないで書くつもりなので、気楽に読んでいただければ幸いです。