本書の原著は1974年にノートン・アンド・カンパニーから、邦訳は1976年に岩波書店からそれぞれ公刊された。翻訳はアローと旧知の間柄にあり、東京大学や国際日本文化研究センターの教授をつとめた故・村上泰亮氏による。村上は経済体制論や文明論にかんする著作を多く発表しており、現在、それらは「村上泰亮著作集」(全8巻、中央公論社)にまとめられている。村上は1970〜80年代の代表的な論壇人でもあり、一般にはそこでの活躍で知られている。
しかし村上が、日本語での著作や論壇での活動を始める前の時代に、投票の数理の研究で国際的に高い評価を得ていたことは、あまり知られていない。そしてそこに村上とアローとの、ただならぬ接点がある。アローは本書の「日本語版への序文」で村上のことを「友人でかつての同僚」というが、両者の学問的な関係はそれよりはるかに深い。
本書の第一章でアローは「社会的な判断を、個人の表明された選好を集計することによってつくり上げようという試みは、つねに逆説の可能性に導く」(39ページ)と述べている。これはアローが1963年の著作『社会的選択と個人的評価』(第二版)で示した、「アローの不可能性定理」のことを指している。詳細は省くが、この定理は、人々の多様な考えから、ひとつの社会的決定を導く制度を作ることの困難を示すものだ(詳細は拙著『多数決を疑う』岩波新書を参照されたい)。簡潔に宣言文だけを記すと次のようになる。
皆の考えが同じときには社会はそれを採用する、というのが満場一致性という条件が意味することだ。二項独立性はより技術的な条件で、「選択肢AとBのどちらが社会的に好ましいかを決めるとき、他のCとの関係はいっさい影響しない」ことを意味する。そして独裁制とは、一人の独裁者の考えが、つねにそのまま社会の決定となる制度のことを意味する。アローは、満場一致性と二項独立性を満たす制度は、独裁制だけだと数学的に証明したのだ。むろんアローは独裁制を肯定しているわけでも、したいわけでもない。独裁制を許容しがたい以上、満場一致性と二項独立性の両立は、不可能だと示したのだ。これがアローのいう「逆説の可能性に導く」がいわんとすることだ。
満場一致性と二項独立性を合わせると、独裁制が出てくる。いわばこれは満場一致性と二項独立性の「共犯」である。では満場一致性と二項独立性の、どちらが「主犯」なのだろうか。この問いに最も鮮やかな解答を与えたのが村上泰亮である。彼は次のことを示した。
逆独裁制というのは、社会に「逆独裁者」という者がいて、つねに「その人の考えの正反対」を社会の決定とする制度である。もちろんきわめて奇妙な制度であり、常識的に思いつくようなものではない。村上は定理のかたちで、二項独立性をみたす制度が、独裁制か、逆独裁制しかありえないことを示した。さて独裁制は満場一致性をみたすが、逆独裁制はみたさない。よって村上の定理は次のことをただちに意味する。
すなわちアローの不可能性定理において満場一致性が果たす役割は、逆独裁制を除外すること、このきわめて軽微な一点のみである。よって不可能性の主犯は、まごうことなく二項独立性なのだ。
村上の定理はモノグラフMurakami, Y. Logic and Social Choice(1968, Routledge)に収録され、当該分野の大家である鈴村興太郎氏の翻訳が、先述した「村上泰亮著作集」の第一巻におさめられている。なお村上はこのモノグラフを発表したあたりから、研究分野を経済体制論や文明論にシフトさせ、また日本での、日本語での活動に重きを置くようになっていった。
それにしても、かくも見事にアローの不可能性定理の論理構造を明らかにした村上の頭脳、技術、およびセンスは尋常の域をはるかに超えている。そしてかようにアローの思考を深く理解する村上が、アローの思索が詰め込まれた『組織の限界』を翻訳したことは、われわれ読者にとって僥倖以外の何物でもない。
私が本書をはじめて読んだのは、1999年に本書が岩波モダンクラシックスとして復刊されたときであった。当時大学院生であった私は、経済学の思考に基づきながら、経済をはるかに超えた射程をとらえるアローの議論に、大いに感銘を受けたことを覚えている。そしていささか晦渋なアローの文章と比べれば、村上の訳文は正確ながらも整理されており、文意をつかみやすい。もちろん村上泰亮に独特の格調は自然に備わっている。
ひとりの愛読者として、このたび本書がちくま学芸文庫におさめられたことを心より嬉しく思う。本書は社会科学の古典の一冊であるのみならず、組織の混沌と市場の激流のなかを生きる個人が、自分をとりまくものとの関係をつかむための羅針盤でもある。それぞれの読者は、それぞれに生きる時代を見渡す視点を、本書から与えられるだろう。
(Webちくま版への追記)
本書『組織の限界』が公刊される直前の2017年2月21日に、ケネスー・J・アロー教授は95歳で逝去された。だが巨星の放った光は、いまなお――たとえば本書として――われらの手元にある。アローが遺した輝くばかりの豊かな学知を、われわれは活かしきることができるだろうか。人間社会という組織にそれは可能か。その限界のありようが、いまここに試されている。