PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

隠蔽された朝鮮人虐殺と証言の重さ
『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』書評

関東大震災から95年。その時、なにが起きたのか? 気鋭の韓国文学翻訳者が薦める事実を知るための本

 関東大震災直後の朝鮮人虐殺は、政府によって隠蔽されつづけてきたので、今日でも真相がはっきりしていない。だからこそ人々の証言を大事にしなくてはならないというのが、本書の編者・西崎雅夫さんの信念だ。本書は、「子どもの作文」「文化人らの証言 当時の記録」「文化人らの証言 その後の回想」「朝鮮人による証言」「市井の人々の証言」「公的史料に残された記録」の六部構成で、証言の多様さをビビッドに感じ取れる作りになっている。
 本書の特長の一つは、シャワーのように証言を浴びて、震災直後の人々の心境を追体験できる点だ。例えば倉田百三は、九月二日の夜、警鐘の音やピストルの音に混じって人の騒ぐ声が聞こえてきたとき、「フン人の侵略」を連想し、「その異様な叫び声は野蛮人、それも東洋人らしい、変な、しつこい酷いことをやりそうな、恐ろしいものを連想せしめた」という。しかしやがて、それは犬の吠え声だったことがわかったと、本人が記している。地震と火事を体験し、死者を見て強いショックを受け、明かりもないところで津波の不安に怯えていた被災者の判断力はどんなものだったか。百年近くたった今日の私たちにも充分起きうることである。大人も子どもも有名人も庶民も、証言の重みは等価だ。証言の内容には悲惨な描写がとても多いが、これは絶対におろそかにしてはいけない日本現代史の一角である。足元を踏み固める気持ちで、どうぞ読んでほしい。
 中でも貴重なのは、子どもの作文だ。ある少女は、朝鮮人に親切にしてやった知り合いのおじさんのことを記し、その人について「私はおじさんは情け深い人だと思った。くりーむ屋のおじさんだったら殺したかもしれないと思った」と書く。子どもはいつも、ちゃんと見ている。
 いくつかの貴重な視点も得ることができるだろう。例えば、犠牲になったのはほとんどが労働者だったことだ。留学生などは身なりからして違っていたし、日本語ができ、釈明も抗議もできたからである。さらに、中国人も犠牲になったが、その後の推移が朝鮮人とは全く違うことも重要だ。独立国ではなかった朝鮮人は、日本に調査や謝罪を要求できなかったのだ。
 編者の西崎さんは、自分のことを「墓守りですよ」と言う。実際に守っているのは、墓ではなく追悼碑だ。一九八二年、墨田区の荒川沿いの地域で殺された多数の朝鮮人の遺骨が河川敷に埋まっているはずだというので、「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」という市民団体が、河川敷三か所の発掘を行った。しかし遺骨は見つからなかった(後に、当時、警察によって二度にわたり、密かに発掘・移送されていたことが明らかになった)。私はそのころの西崎さんを少し知っているが、大学四年生だった彼が会の事務方として根気強く実務をこなしていた姿をよく覚えている。その後三五年というもの、彼の姿勢は変わらない。
 その後、会では墨田区八広の現場近くに追悼碑を建てた。毎年九月には河川敷で追悼式も行なっている。「悼」の一文字を刻んだシンプルな追悼碑の隣には「ほうせんかの家」というミニ資料館がある。西崎さんは以前はここに住んでいたし、今はここに通って追悼碑を訪れる人にレクチャーを続けている。墓守りというのは、そういうことだ。
会のメンバーとともにこのような活動をしながら、彼は図書館に通い、作家の全集から様々な団体の会報、自分史など膨大な資料に目を通し、朝鮮人虐殺と流言飛語の証言を集めてきた。それらは二〇一六年に『関東大震災朝鮮人虐殺の記録――東京地区別1100の証言』(現代書館)として出版された。五〇〇ページを超える大部の資料集で、こちらは東京に限定して、フィールドワークに役立てられるように編纂されている。九月を前に、併せてお読みになることをお勧めしたい。
(さいとう・まりこ 韓国語翻訳)

2018年9月20日更新

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斎藤 真理子(さいとう まりこ)

斎藤 真理子

斎藤真理子  (さいとう・まりこ)

翻訳家。訳書に、パク・ミンギュ『カステラ』(共訳、クレイン)、『ピンポン』(白水社)、チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』(河出書房新社)、ファン・ジョンウン『誰でもない』(晶文社)、チョン・セラン『フィフティ・ピープル』(亜紀書房)、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)、ハン・ガン『回復する人間』(白水社)『誰にでも親切な教会のお兄さんカン・ミノ』(亜紀書房)などがある。『カステラ』で第一回日本翻訳大賞を受賞した。

 photo:©Yuriko Ochiai

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